オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、映画・舞台・ライブ鑑賞後の感想をゆるゆると呟いたりする気ままなブログ。

わかりみがすぎる😍~映画『空に住む』

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   交通事故で突然両親を亡くし、天涯孤独になった直美(多部未華子)が、叔父(鶴見辰吾)が投資用に所有している天空の城のようなタワマンで暮らし始めるところから、このストーリーは始まります。

 

  渋谷や新宿の遠景を遥かに見下ろすそれは、直美がいみじくも呟いたように「まるで空に住んでいるかのよう」。両親を突然亡くしても「なぜか涙が出なかった。四十九日を過ぎても、まだ泣けない」と語る直美。一人娘なのに両親はなぜか彼女に対してあまり関心がなかったようで、そのせいなのでしょうか、昔からボヘミアン的な性格だったらしい彼女は、父親から「雲みたいな子」と呼ばれていたらしい…。

 

  人は所詮、一人で生まれて一人で死んでいく。周りからみたらそれは、寂しい生活なのかもしれないけれど、その、どこにも属さず、ネコのハルだけを相棒に空に浮遊しているような孤独だが自由な生活を直美は、達観とか諦め…というより楽しんでいるように見えるのはヲタクだけ❓😅…自分寄りに考えすぎなんだろうか(笑)ヒロイン役は、こういうどこかコジレた女子の、繊細な心理を演じたら右に出る者はいない、無敵の多部未華子❗(笑)もう、全編彼女の独壇場です。

 

  かようにモノクロームで淡々と続いていくかに見えた直美の生活に、ある日微かに色彩がかかります。ふとしたきっかけで始まった、同じマンションの住人である人気俳優、時戸森則(岩田剛典)との秘め事。それは浮遊する、地を離れた空の上で行われるからなのでしょうか、どこか浮世離れして見えます。

 

  この時戸という人物がなかなかのクセ者でして(笑)刹那的な恋愛を繰り返す快楽主義者で、人の心の隙間にするりと入り込んでくる猫のような男。しかし軽いヤツなのかと思えば存外、暗い瞳の奥には彼独自の人生哲学が仄見えて、変幻する魅力、女性を翻弄してやまないオム・ファタール。岩田剛典の、トム・ヒューズばりのblank eyesがセクシーでクラクラします(笑)

 

  「もう、こんな関係は終わりにしよう」と言いつつも、深いところでどこか共感しあっている二人の関係(本人たちは意識していないのかもしれないけど)が、苦くて辛口、フランス映画みたいでヲタク的には凄く好み😉時戸が、直美の叔母のある行動に激怒する場面があるのですが、それがひいては直美のその後のライフスタイルに大きな影響を与えていくことになります。…人と人との関係は、深く濃密で、長く続くことが是である、という思い込みが私たちにはあるわけですけれども、この映画は、決して声高ではないですが、そういう固定観念というか先入観に対して静かなアンチテーゼを示してくれているような気が…。

 

 助演陣も凄く豪華😮出版社で働く直美の後輩に岸井ゆきの。担当作家(大森南朋)の子を妊娠しながら全て隠してフィアンセと結婚するとんでもない女性の役(笑)しっかし『愛はなんだ』でも然りでしたが、現実にはとても存在しないようなぶっ飛んだ人物像を、ギャグではなくリアルに演じ切れる彼女の力量っていったいどこから来るんでしょうか?

 

  直美とのふれあいの時間は一瞬だけど、彼女にとっては特別な意味を持つ人物に柄本明永瀬正敏❤️うーーん、二人ともサスガの存在感。特に永瀬正敏は、「両親のお葬式でも泣けなかったサイテーなワタシ」と自嘲する直美が、彼の呟く名言に思わず涙する…という、ニクイ男として登場(笑)

 

 必死に突っ走ってきた人生、ふと足を止めて、来し方行く末を振り返ってみる。

深まり行く秋に相応しい一本。

 

 

 

 

  

 

ステロタイプなんかぶっ飛ばせ❗~『ブックスマート』

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  黄金町のミニシアター、ジャック&べティで『ブックスマート~卒業前夜のパーティーデビュー』(2019年)。女子二人の痛快青春ムービー❗

 

  卒業前夜のパーティーって言ったらプロム❓ポスター見ると、右側の女子はかなり立派な体格だから、体型にコンプレックスがあってパーティーデビューに悩む話❓でも実は「そんなキミがホントは好きだった」って学園の王子様が現れてプロムのパートナーに…❓今までのステロタイプの青春映画って言ったらそんな感じなんだけど、ノンノンノン(ヾ(´・ω・`)

全然違う❗

それに、白馬の王子様は全く出てこない❗(笑)

今ドキ女子は、白馬を奪ってじぶんの欲望を遂げるのじゃ(爆)

 

ガリ勉の優等生モリー(ビーニー・フェルドスタイン)と社会活動に熱心なエイミー(ケイトリン・ディーヴァー)は、鉄壁の友情を誇る親友同士。モリーは高校生活の全てを生徒会活動と勉強に投げうち、悲願のイェール大学に合格。ところが、トイレでの同級生の会話から(トイレがそもそも男女共用なのがツボ)、イケイケリア充の彼らが実は、軒並みハーバードやらスタンフォードに受かっていたことを知ってしまったから、さあ大変。(ワタシが犠牲にしてきたモノを何食わぬ顔してちゃっかり楽しんできたあいつらが許せない、きーーっ💢)…てなわけで、モリーは嫌がるエイミーを巻き込んで、最初で最後の高校生活の思い出に、副会長の人気者ニック主催のパーティーに殴り込み❓(笑)をかけようと目論みますが…。

 

  何がキモチいいかって、モリーのハンパない自己肯定感の高さですね(笑)一瞬だけ弱気になる瞬間があるんだけど、そんな時は相棒の魂の片割れ、エイミーが「何トボケたこと言ってんの❗あんたは地球最高の人間なんだよ」って、ちゃんとどやしつけてくれる(笑)

 

ひょんなことからドラッグ盛られちゃって😅二人で自分たちがバービー人形みたいなスタイルになった幻覚を見る場面。モリーの「何コレ❓女性を縛るフェミニストの幻想❓手足の比率がおかしいんだけど。脂肪が欲しい脂肪がぁぁぁー」ってセリフに思わず吹き出しました(笑)彼女はパーティーで、同級生たちの、今まで彼女が理解しようとしてこなかった、じつは愛すべきさまざまなキャラを初めて知っていくことになるのですが、相手を真の意味で理解し、愛するためにはまず、自分自身を受け入れ、愛することが大前提なのだと、この映画は笑いの中にそっと教えてくれるのです。またね、登場人物たちの描き方、ことごとくこちらの思い込みというか固定観念の裏をかいてくれて、そこが愉快爽快です😉…そして、今までアメリカの青春映画につきものだった、ステロタイプのヒールも出てこない❗

 

  勉学&社会奉仕活動一直線のマジメ子ちゃんでクラスメートとの交流が皆無だった二人は、まずもってパーティーの場所がわからない😅電話をかけても、(どーせ生徒会の用事だろう)と思うのか、誰も出てくれない(悲しいね=笑)あってあらゆる方法を駆使して目的地にたどり着こうとする二人。この女同士のバディ、まるで『テルマ&ルイーズ』、青春ロードムービーの味わい❤️女の味方はやっぱり、女よね(笑)

 

  人種もジェンダーも軽々と飛び越える柔軟なリベラリズム、真の意味の「個」の尊重、社会参画の意識の高さ…。この映画に登場するアメリカの若者たちは誰も彼も非常に魅力的です😍彼らが高校を卒業し、大学に散っていって、アメリカの中枢でそれぞれの夢を実現したとしたら…。

 

  (これが初監督作とは信じられない)ツボを押さえた職人芸、オリヴィア・ワイルド監督が願いと祈りを込めて描き出すアメリカの未来は、限りなく明るい😊…たとえそこに至るまでに想像を絶する困難があったとしても。

 

  

 

 

Netflix新着『レベッカ』~ヒッチコック版と見比べる楽しみ♥️

Netflixオリジナルドラマ『レベッカ』配信開始~🎵
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  原作は英国の作家ダフネ・デュ・モーリアの同名の小説。時は第二次世界大戦前の1930年代後半。ヒロインの「わたし」は、コンパニオン(当時富裕層の老夫人が一人で旅行する場合、付人として若い女性を雇う場合が多かった)として富裕な未亡人について旅行中、英国貴族の御曹司マキシム・デ・ウィンターに見初められ電撃結婚。豪奢な居城マンダレイで新生活を始めたものの、彼の前妻レベッカは海で謎の死を遂げていた。妻の死をいまだに受け入れていないように見える夫。城のそこかしこに残るレベッカの影。使用人たちの間でも、類い稀な美貌と才気を誇ったレベッカはまだ「生きていて」、あからさまにレベッカと比較され、冷笑される「わたし」。はたしてこんなわたしを、夫は本当に愛してくれているのだろうか?それとも…。

 

  ヒッチコック版との最大の違いは何と言ってもヒロインのキャラ設定でしょう。ヒッチコックは真性のサディストですからね😅好みの女優さんを映画の中とは言え、虐め苛む悪趣味(笑)いかにも薄幸そうな美貌の持ち主ジョーン・フォンティーンを、召し使い頭のダンヴァース夫人(ジュディス・アンダーソン)がまあ、イジメることイジメること😅同じ原作者の『鳥』では、ブロンド美人のティッピー・ヘドレンを大量の鳥につつかせたヒッチコックですが、『レベッカ』の心理的イジメも負けず劣らずキツいわよねぇ😅

 

  ところが一方、Netflixの我らがヒロイン、リリー・ジェームズ(戦う「シンデレラ」や、「戦争と平和」)はヤラレっぱなしぢゃ、ありませんぜ。ドラマの中の「ある事件」をきっかけに、「わたし」は妻として女性として大きく変わっていくのですが、Netflix版では「わたし」の変化に焦点を当てているような気がしました。

 

何が潜んでいるかわからない歴史あるお城。ヒロインがそれにまつわる秘密と陰惨な過去に苛まれ、不安と恐怖に追いつめられるという原作の雰囲気を残しつつ、新たなヒロイン像を作り上げた、「ネオ・ゴシックロマンス」の味わい❤️

 

  Netflix版はもちろんカラーなので、二人が出逢うモンテカルロや英国の海岸の風景が目を奪うほど美しい😍その代わり、ゴシックあるいはサイコサスペンス感は少々薄れていて、「恐怖の盛り上がり」という点では、モノクロで古城の薄暗がりがめちゃくちゃ怖かったヒッチコック版が一歩リードかな😊

 

 陰険でずる賢く、ヒロインにモラハラの限りをつくすダンヴァース夫人。ヒッチコック版のジュディス・アンダーソンは、能面のような無表情、モノに取り憑かれたような狂気の眼でどこか人間離れしたヒールに徹していましたが、Netflix版のクリスティン・スコット・トーマス(直近ではチャーチル首相(ゲイリー・オールドマン)の妻役など)は、その行動全てが亡くなったレベッカの愛ゆえ…という点でヒッチコック版よりかなり人間味があります。「わたし」に対する冷たい憎しみに、愛する女主人を失った哀しさを微かに滲ませて、サスガの演技力でございます😊リリー・ジェームズとは、『ウィンストン・チャーチル』で共演済みなので、演技の息もピッタリですね😊

 

  そしてそして、謎めいた英国貴族、マキシム・デ・ウィンター役のアーミー・ハマー。キャストを聞いた時は、典型的アメリカンタイプの彼が英国貴族❓ってチラッと思いましたが、いざ見てみると、生来のおぼっちゃまくんである彼の、育ちの良さや鷹揚な雰囲気が案外ぴったりでした❗演技力…って言い出しちゃうと、英国の至宝とも言うべき伝説的シェイクスピア俳優、ローレンス・オリヴィエ卿(ヒッチコック版)と比べたら、アーミーがかわいそすぎるから何も言わないわ(笑)

 

  結論❗ヒッチコック版もNetflix版もそれぞれ独自の魅力があるので、思いきって両方見ましょ🎵(笑)
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こんなパリなら暮らしたい😍~Netflix『エミリー 、パリへ行く』

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 いやー、このドラマに登場するパリ、「花の都」と形容するに相応しいゴージャスな美しさ。どんなやり方したらこんなふうにキレイに撮影できるん❓ゴミはどーした、犬のフンはどこに行った❓(笑)

 

  ベルギーに住んでいた頃、何度かパリには家族で遊びに行きましたが、スリやサギに遭いそうになるわ、またある時はメトロに乗っていたら真っ黒いマントを着たお婆さんが、死んだニワトリの首を持って乗り込んできて、まだ幼かった次女が恐がって泣き出すわ…で、あんまり良い思い出なし(笑)凱旋門のロータリーはみんなビュンビュン飛ばしてて私たちみたいなオノボリさんは全然入れないし😅やっと駐車場に入れたと思ったら、出る時に急坂すぎてタイヤが空回りしてなかなか上れなかったし(設計、どーなってんのよ(*`Д'))

パリを舞台にしたフランス映画は大好きなんだが(笑)

 

  Netflixのオリジナルドラマ『エミリー、パリへ行く』。シカゴのマーケティング企業で働いてるエミリー(リリー・コリンズ)は、合併吸収の対象になっているフランスの企業で働くことに。憧れの都、パリ😍しかし、フランス語を話せないエミリーは、オシャレで仕事ができて意地悪で(笑)典型的なパリジェンヌの上司(フィリピーヌ・ルロワ・ボーリュー)からはハナからバカにされて相手にされず😅同僚たちからも冷たい視線…。近所のパン屋のオバサンにすら、フランス語の発音がなってないと直される始末😅それでもターミネーター並みにメゲない、100%ポジティブなアメリカンガールのエミリー(ヲタクみたいに、「どーせパリから愛されてないのよワタシ」なんて言ってヤサグレたりしない😅)が、SNSをフル活用、斬新なアイデアを駆使して次第にキャリアアップしていくおはなし❤️

 

  リリー・コリンズが小柄で細くて、このドラマの、少女マンガ的な展開にピッタリです😃フランス人の同僚との丁々発止のやり取りも最高🎵先日見たエピソードでも「アメリカ映画は必ずハッピーエンドだろ❓ウソ臭いんだよね。フランス映画は違う。やっと落とした彼女が実はレズビアンだったとかさ。リアルってそんなもんだよな」とか、映画ヲタクとしてはあるあるで、思わず吹き出しちゃいました😅少女マンガ的な展開にしてはなぜか下ネタも満載、キャリアアップを目指すエミリーと、生きる為に楽しむ為に働くフランス人の同僚たちとの仕事観の違い(「シャカリキに働くなんて罰ゲームみたい」なんて発言にはさすがにビックリですが)など、海外転勤先の職場のリアルもなにげに織り込まれていて◎❗

 

  少女マンガには王子様役が必須ですが、エミリーのアパート(築100年❗)に住むフランス人のシェフ、ガブリエル(ルカ・ブラヴォー)が超イケメン~~🎵生粋のパリッ子ではなく、フランスの田舎からパリに憧れて出て来た青年の役で、アメリカから来て苦労しているエミリーのキモチにも共感してくれる設定で、超イケメンな中にもどこか、良い意味で野暮ったい、素朴な雰囲気を漂わせているとこがまた、いいんですよね😊新人の俳優さんみたいだけど、これから人気出そう。大富豪の親に反抗してパリに来た中国人のミンディ(アシュレイ・パーク)との「異邦人同士の会話」も楽しいし、あっという間に10エピソード見終わっちゃいます(笑)1つのエピソードの時間が30分程度なので、何かの合間にさくっと見れちゃうのも魅力❤️

 

  第2シリーズ期待したいけど、今またパリはコロナ禍で大変なことになっちゃったから😭どうなることか…。安心して撮影できる時がパリに、世界に、早く訪れますように。

 

 

  

 

  

 

  

 

 

 

  

珠玉の作品『テロルンとルンルン』&小野莉奈さん舞台挨拶


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『珠玉の作品』…ってよく聞く言葉ですよね😊立派で美しいものを表していることは間違いないんですが、それは例えて言うなら、真珠など小さな宝石を指すのであって、大作や長編には使わないそう😮そっか…。珠玉の長編って聞いたことないね😅だとしたら、キノシネマみなとみらいで今日初日を迎えた映画『テロルンとルンルン』は、まさに珠玉の短篇あるいは小品と言えるでしょう。

 

  突然難聴になってしまった少女瑠海(ルンルン。演・小野莉奈…セリフでは語られていないけど、彼女が普通高校に通っていて、彼女の症状に周囲がまだ慣れず、戸惑っている様子を見ると、そのように推察できる)。周囲に心を閉ざし孤立している彼女は、ふとしたきっかけから、寂れた町工場に引きこもって日用品の修理を細々と続けている青年類(テロルン…演・岡山天音)と知り合う。彼の父は一人息子を喜ばそうと自分で花火を製造し、それが誤って爆発した為に亡くなってしまった。一歩間違えば大惨事になりかねなかった為か、小さな町の住人たちの驚きと怒りは、不条理且つ無慈悲にも残された息子類に向かい、いまだに工場のシャッターには次々と心ない落書きが書きなぐられる日々…。

 

  苛酷な状況に置かれてはいるけれど、瑠海にはまだ生きる意欲と希望が残ってる。当初自分と全く目を合わそうとしない類の、厚いカーテンを引いた窓を力いっぱい叩き続けてとうとう根負けさせる根性がある。ビッチな同級生に負けずに殴りかかるガッツも持ってる(笑)だけど類は、父の死、それに続く周囲の人たちの差別や酷い仕打ちに、心を喪いかけてる。生きることを諦めかけてる😭そんな時、瑠海が、壊れたオモチャを彼のところに無理やり置いていった。「絶対直せよ。直ったら連絡しろ」のメモとともに…。

 

  そのオモチャは、ルンルンがテロルンに投げた、彼と外界をつなぐ、一本の細い、細い、クモの糸。さあ彼は、その細い糸をどうするのだろうか…❓

 

もう、もう、岡山天音くんがサイコーです❗なんて繊細で深い、心に沁みるお芝居をする人なんだろう…。

  その柔らかい笑い声、表情、走り方…広島の海辺の町の片隅に、類という心優しい青年はきっと、暮らしているに違いないと思える。

 

 上映時間は49分。若い二人の、青春のある一時を切り取って映像化するのに、まさに絶妙な時間。そしてまた、全編を流れる日食なつこさんの『Vapor』という主題歌が、類の心象風景と作品のテーマを素晴らしく的確に表現しています。"hide in the vapor from the pain…"(痛みから逃れて、霧の中に身を潜めるんだ)という歌詞が、この記事を書いている今も、ヲタクの頭の中に鳴り響いています(笑)

 

☆小野莉奈さん舞台挨拶

  2年前の撮影時は実際に高校生だったそうですが、今はすっかり大人の素敵な女性に😊いやー、お年頃の女性の2年間はスゴいものがあるなぁ(笑)

 

  『テロルンとルンルン』が女優としての初デビュー作だったそう。1週間の撮影中、岡山くんとはほぼ会話なし。ただ、最終日にあちらから突然話しかけてきて、(あ、こんなに明るい人だったんだ)って思ったそう😅小野さんは「役に入り込まれる方なのかも」とおっしゃっていたけど、それって単なる人見知りなんぢゃ…(笑)

 

  作品の中でも重要な場面、二人が心通わせる町工場の窓ごし。真冬の撮影でそれはそれは寒かったとか(あー、ほぼ制服姿だったものね😅)「女優って寒い仕事なんだと思いました」って…可愛い😍

 

  聴覚障害の役なので殆どセリフはないのですが、強い意思を秘めた澄んだ瞳と、凛とした孤高の佇まいが強烈な印象を残すルンルン。これから楽しみな女優さん、期待してます❗

美しき陰翳の魔術~映画『スパイの妻』

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 桜木町駅前のブルグ13にて、『スパイの妻』(黒沢清監督)鑑賞。NHKの8K放送で6月に放映されたドラマの劇場版。我が家のTVでは8Kは受信できず、口惜しい思いをしたものですが、今日見終わって、この作品のスケールの大きさを考えれば、やはり、映画館のスクリーンで見ることができて良かった、と思った次第。

 

  舞台は神戸、時は1940年、日独伊3国同盟が結ばれ思想の自由が次第に奪われ、戦争の暗雲が日本全土を覆い始めた不穏な時期から、1945年の終戦まで。神戸で生糸を輸出する商社を経営する有能で優しい夫・優作(高橋一生)の庇護のもと、何不自由のない幸せな生活を送っていたはずの妻・聡子(蒼井優)。戦争が起きなかったら、彼女の幸せはずっと続いていたことでしょう。ところが、商機を求めて夫が当時の満州国に外遊したことをきっかけに、夫婦の運命の歯車は大きく狂い始めます。満州から帰国してからの夫は、すっかり人が変わってしまった。そして自分には黙っているが、秘密裡に美しい一人の女性を満州から連れ帰ったようだ。夫が抱える大きな秘密。妻は疑心暗鬼に苛まれ始め、それはのちの悲劇の幕開けとなった…。

 

 戦争は、人が大事にしていたものを全て変えてしまう。いや、変わったのではないのかもしれない。元々夫婦の間にあった見えない溝が、亀裂が、人生や社会に対する考え方の決定的な違いが、戦争という大きな熱風によって、あぶり出されただけかもしれない。夫ばかりでなく、純情で朴訥な少年であったはずの幼なじみ・津森(東出昌大)さえも、憲兵分隊長となった途端に、思想犯を平然と拷問するような冷徹さを露わにし始める…。

 

  夫の秘密を知り疑心暗鬼になりながらも、「愛」という名のもとに夫にすがり、夫をじわじわと追い詰めていく蒼井優の鬼気迫る感じ、外見がいかにも天真爛漫で少女のような風情なんでよけい怖い~😅また相対する夫、高橋一生の、一見優しそうに見えて目が笑ってない、時折ひんやりした何かを感じさせる演技が役にぴったりで、東出昌大の、忠国と大義に取り憑かれた眼差し、無言の威圧感を感じさせる軍人の佇まいもしごくリアルです。この三人の息の合った演技のアンサンブルはお見事❗

 

  テーマは重苦しく、結末は皮肉で苦い後味ですが、それに反して、スクリーンを彩る映像のそれはそれは美しいこと。ああ、この光と翳の美しさは、その昔谷崎潤一郎が随筆「陰翳礼讚」の中で讃えた美そのものだ…と感動しました。谷崎は、光の届かない薄暗がりにこそ美は存在するとし、幼い頃、暗い書院や床の間の闇に言い知れぬ畏れと寒気を覚えたと語っていますが、今ではすっかり廃れてしまった日本古来の陰翳の美。中国ヌーベルバーグの映像作家たちの極彩色の光と影とも違う、ブライアン・デ・パルマのそれともまた違う奥ゆかしい美しさを、黒沢監督は見事にスクリーンに蘇らせてくれた❗

 

  この作品の大きな謎、ミステリーは、夫の心そのもの。夫は何を目論んでいるのか❓夫は本当にスパイであり売国奴なのか❓そして妻である私を今でも変わらず愛してくれているのか❓私たち観客は、蒼井優とともにもどかしさでジリジリしながら、夫の表情からその真意を必死に読み解こうとするのですが、悲しいかな、肝心な場面で夫の表情は逆光や闇に埋没してはっきりとは判別できません。監督の心憎い演出によって、私たちはますますミステリアスな迷路に踏み込んでいくのです。(夫・優作に心酔する甥っ子が聡子に向かって、「あなたは今まで叔父さんの何を見てきたんです?何も見てはいない❗」と、執拗に繰り返しますが…)

 

 「 夫婦なんだから秘密は持たないで。私に全て話して」と迫る妻に、夫の顔が光と翳の真っ二つに割れる場面。「僕は君に嘘をつくようにはできていない。だから何も聞いてくれるな」という夫。幼い谷崎が日本家屋の暗闇に畏れと寒気を覚えたという、全く同じ感覚を、その時ヲタクは感じたのです。人間の持つ二面性、心の奥底に潜む光と闇。

 

 それは、 映画史に残る名場面の一つと言っても、過言ではありますまい。

久しぶりのジャック・ロウデンニュース❗~初プロデュース作ついに公開


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 何ヵ月ぶりだよぉぉぉ~😭ジャクロくんの「お仕事」の話が書けるの。前回は8月末に、ただいま交際真っ最中のシアーシャ・ローナンとのラブラブぶりについて書いたんだっけ(笑)二人とも大好きな俳優さんだし、二人の映画への情熱もリスペクトできるし、ヲタク的には理想のカップルだからオールオッケーだけど…やっぱり推しに関してはプライベートよりお仕事について書きたいので、もー、嬉しい❗

 

  映画愛が高じて、お友だちと映画プロデュースの小さな制作会社を立ち上げたジャクロくん。今回の作品『Kindred(血族)』は、その記念すべき初プロデュース作品。(撮了時には『CORVIDAE』(カラスの一種)という題名でしたが、変更されたんですね)愛する人の赤ちゃんを身籠り、二人で夫の実家を訪れる途中、凄惨な事故でその愛する彼を失った女性シャーロット(タマラ・ローレンス)。夫の母親(フィオナ・ショウ)は、そのまま実家に残って出産するようシャーロットに勧める。実家には、夫と腹違いの兄弟(ジャック・ロウデン)も同居していた。…が、次々と不審な出来事が彼女の身の回りに起き始める。元々デリケートな神経の持ち主だった彼女は、次第に精神的に追い詰められていき…という、サイコホラーであるらしい😊

 

  主演のタマラ・ローレンスは、英国植民地を舞台にしたドラマ『The long song』で農園主を演じたジャクロくんと禁断の恋に落ちる黒人奴隷役を演じた女優さん(…けっこう、激しいラブシーンがあったらしい😅)。義母役のフィオナ・ショウは、ジャクロくんが「英国で一二を争う素晴らしい女優」と絶賛する演技派。下に掲載した批評の中でも、三人の演技のアンサンブルが素晴らしいと書かれてますね。

 

  全米での配給は決まったみたいなので、このブログを読んで下さっているアメリカにお住まいの方で興味ある方がいらっしゃいましたら、ぜひ😅

 

  欧米では、ある程度キャリアが確立されると制作側に回って映画業界全体に貢献したり、若い人たちの育成に力を注ぐ俳優さんが時折見受けられます。そういう姿勢そのものを含めて評価されることが多い。ジャクロくんも映画制作の他に、ボランティアで俳優を目指す若者のワークショップに講師として参加したり、業界の発展の為に精力的に活動しています。

 

 ジャック、あなたのそんな生き方が好き😍


You can’t run from family in the psychological thriller Kindred

 

 

 

意識の流れはいずこ~『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』

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 中国新世代の若き才能、ビー・ガン監督の長編第2作目『ロングデイズ・ジャーニー~この夜の涯てへ』(撮影時、監督はなんと29才❗)。長編処女作『凱里ブルース』を水墨画モノクロームな美しさに例えるなら、『ロングデイズ~』は言わば、目も綾な、極彩色の絵画の世界。しかし、古くは『花様年華』近くは『鵞鳥湖の夜』と、中国や香港の映画って、赤い色がどうしてこう魅力的に使われているのだろうか。

 

  父の死を知らされたルオ・ホンウ(ホアン・ジュエ)は、長年離れていた生まれ故郷の凱里の街に帰って来た。彼の脳裏に去来するのは、銃の密売に手を染め、それがもとで殺されてしまった幼なじみの白猫と、闇社会のボスの愛人、ワン・チーウェン(タン・ウェイ)のこと。ボスの目を盗んで、ワンと重ねた逢瀬、濃密な愛の日々に、12年経った今でもホンウの心は囚われたまま。微かな記憶を頼りに、ワンを尋ねて凱里の街をひとり彷徨するルオ・ホンウだったが…。

 

  二人の水辺のラブシーン、二人の重なりあうシルエットからカメラが次第に水の中に下りていって、ゆらゆらと揺れて揺蕩う水藻を写し出す場面は、ゾクゾクするほどセクシーで淫靡。『凱里ブルース』にも、現実と夢幻を分けるような役割として登場したトンネル。本作品にも登場しますが、それは粗削りでノスタルジックな前作とは違う、ひどく官能的な小道具。夜、ルオの車から下りたワンが暗闇のトンネルの中をひたひたと歩き始めると、ルオは再び引き返して、ゆっくりと車で近づいていく。「なんでまたついてくるの?」と怪訝な表情のワンの唇から、真っ赤なルージュがはみ出している…。

 

私たち観客は、ルオ・ホンウの夢と記憶が紡ぐ『意識の流れ』を、追体験しているかのよう😊『意識の流れ』…「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法」と定義されますが、文学でこれを試みたのが、アイルランド出身の作家ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』であり、ウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』。ビー・ガン監督はそれを映像で表現しようとしているのかも。

 

  ヲタクはNetflixで見たから平面的でしたけど、監督は後半1時間を3D使っているわけでしょう?…革命的だよね😮より、「夢魔に脳内を支配されてる」感が強くなったと思われる😅大学で『フィネガンズ・ウェイク』の講義を受けた時にはヲタク、自分の理解力不足か、はたまた語学力不足か、ちんぷんかんぷんでしたけれども😅ビー・ガン監督のように映像で表現してくれると、そのまま水の流れのように作品の世界に入っていける😊「映画は言語である」(今年のベルリン国際映画祭の、ティルダ・スウィントンのスピーチより)とはよく言ったものです。『意識の流れ』を心の病の治療に活用したのがフロイト(「夢判断」という著書もあり)で、この映画の中でも、監督の幼い頃の心的外傷をイメージさせるシーンが散見されます(リンゴを噛るシーンなど)。辛い記憶を映像で表現することによって、監督自身もまた、癒しを得ているのか…。

 

  映画そのものが一篇の詩とも言うべき作品なのですが、ヲタク的に最も印象的なシーンの一つに、ルオが凱里に帰って来てから借りた、まるで廃墟のようなアパートに雨が降り込むシーンがあるんですが、これがもう、雨水が野外の公園みたいに滴ってる。常識から考えたらとんでもないんですけど(笑)ビー・ガン監督のインタビューを読んで、目からウロコ、だったんですよね。監督が小さい頃住んでいた家は湿気がひどくて、雨が降ると雨漏りがしていた。もちろん、映画のシーンみたいにひどく降り込んできたことはなかったけど、子どもの目には、映画の中の描写そのもののように、ひどく降っているように見えた…と❗

 

  ほんの少し、監督の作品のナゾが解けたような気がしました。子どもの目から見た光景、記憶の残像こそが、この映画のリアルなのだと。

 

  日頃から、今起きている変化については、僕ではない誰かが表現してゆけば良いと考えています。僕はそこにかつてあったものや、記憶や脳裏に残像として残っているものに価値があると思い、映画の中に取り入れてきました。

…と語っているビー・ガン監督。夢の中で迷路から抜け出そうともがいている感覚。遠い遠い昔、一つ一つの些末な出来事にも、まるでこの世に終わりが来るような衝撃を覚えたあの時。そのもどかしい数々の想いを、これほどまでに明確に、美しく映像化できるきらびやかな才能。

 

  後半の1時間(驚異のロングワンシークエンスと呼ばれてるアレ)は耽美的な前半(夏至の頃)とガラリと雰囲気が変わり(冬至)、ルオと共に、記憶と夢の迷路にさらに深く踏み込んで行くことになります。まるで、(怖くない、怖くない。これはどうせ夢なんだから)と言い聞かせながら眠っていた子供の頃のように。

 

  監督の2つの作品を見終わって、すっかり「ビー・ガン・ワールド」の囚われ人になってしまった自分を意識するヲタクなのでした😊

 

  一度見てしまったらこの作品、どうしても3Dで見たくなったなあ…。後半のとあるシーンで、(あっ、これ子どもの頃夢の中で見たことある❗)っていう、激しくデジャヴなシーンがあったんだけど、もう一度3Dで確かめたい😅…でも、今上映してるの、全国で「下高井戸シネマ」だけなんだっけ😅しかも夜(笑)こうなったら近くにホテルとって、下高井戸の夜の涯てまで行くしかないか(笑)

Netflixで『凱里ブルース』(ビー・ガン監督)~たゆたう夢幻泡影


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  ジャック&べティで今日見る予定だった中国映画『凱里ブルース』。台風の接近で映画館で見るのはあきらめ、自宅にてNetflixで鑑賞。

 

  監督は、長編第2作目『ロングデイズ・ジャーニー~ この夜の涯へ』がカンヌ映画祭ある視点部門に出品され、瞬く間に映画界の寵児となったビー・ガン。『凱里ブルース』は、彼の長編処女作で、当時監督はなんと26才❗

 

  凱里の小さな診療所。まるで世捨て人のように、老女医の助手としてひっそりと暮らす中年男のチェン。彼は以前、やくざな生活を送っており、ボスの息子の復讐に手を染めたことから9年の刑を受けた。刑期を終えた彼は、妻もこの世にはすでになく、可愛がっていた甥のウェイウェイも他の町へ連れ去られたことを知る(登場人物たちがフツーに子供の人身売買の話をしてるんだけど、中国ではいまだに日常的な出来事なんだろうか❓…恐ろしすぎるヽ(;゚;Д;゚;; ))ある日、甥に再び会いたいと、凱里を出たチェン。しかし彼の意識は朦朧と移ろい始め、過去・未来・現在が行きつ戻りつする時空間の歪みに迷い混んでしまう…。

 

  この映画について語る前に、映画の舞台であり、中国貴州南東部に位置する凱里市について触れておかなくてはならないでしょう。凱里は、中国に存在する55の少数民族のうちの1つ、ミャオ族の自治区でもあります。『ロングデイズ・ジャーニー』からの流れからか、今作品も、最後40分にわたるロングワンショットや、時計が多用される意味、時代の逆行と輪廻のテーマ…などが焦点となって語られる場合が多いですが、ヲタクはそれよりも、凱里という、今や近代化が進んで過去の姿を急速に無くしつつあるという特異な魅力に溢れた町を、映像という形で永遠に止めおこうとした監督の、壮大なラブレターに思えて仕方ないのです。この映画を見ていて、アカデミー賞受賞時のポン・ジュノ監督のスピーチを思い出しました。「最もパーソナルなことが最もクリエイティブ」という…。自分の身の回りに起きる、過去・現在・未來を巡る些末な出来事の羅列であっても、(今この瞬間、すぐに移ろってしまうこの瞬間を、あるいは昨夜見た幸せな夢を、その残像のかけらでいいから永遠に刻みたい)という切ない気持ちは、誰もが一度は思ったことがあるでしょう。悲しいかな、ヲタクを含めてほとんどの人はビー・ガン監督のような才能は持ち合わせていないので、その気持ちも移ろって、やがて消えていくだけですが(笑)本作品、当のポン・ジュノ監督や、ギレルモ・デル・トロ監督の絶賛を浴びましたよね😊

 

 

  雨が多い為か、目に沁みるように、鮮やかに浮き立つ緑、山あいをゆったりとたゆたう河、そこにまるで廃墟のようにそびえ立つ高い建物群。晴れたかと思えばあっという間に視界を覆い隠してしまう深い霧…。

 

  今でも、山の陰には剛毛で覆われた狂暴な「野人」がいると、まことしやかに噂する住人たち。(映画の冒頭、「ウェイウェイは野人のえじきになったんだ」などというセリフが登場します)野人を避ける為に両脇に棒を挟んでおくという特異な風習や、後ろ手に手を組んではいけないという禁忌、また、特殊な笙の笛の使い手が次第にいなくなっているという描写など、本作品は監督の、この世の黄昏に寄せる挽歌であり、滅びゆくものに対する哀惜の念が伺えます。

 

  どの場面で時空ポケットに入ったのか、どれが現実でどれが主人公の夢だったのか…など、理詰めで考えるのはあまり意味がないことのような気がします(笑)ストーリーも、あって無きが如し…ですし😅

 

  それよりも私たちは

今起きている変化については、僕ではない誰かが表現してゆけば良いと考えています。僕はそこにかつてあったものや、記憶や脳裏に残像として残っているものに価値があると思い、映画の中に取り入れてきました。

という、今そこになくても、微かにたゆたう過去の残像を止めおこうとする監督の、甘美でエキゾティックで、詩的なセリフと映像に身を任せ、それを感覚で味わえばよいのではないでしょうか。左脳ではなく、右脳を総動員して(笑)

 

  

これは熱烈ブロマンス映画なのだ❗(ち、違う😅❓)~『生きちゃった』


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 およそ8ヶ月ぶりの東京にキタ~❗ユーロスペースで映画『生きちゃった』。前回の上京は、渋谷Bunkamuraでセルゲイ・ポルーニンのバレエの舞台を見たんでした。それからというもの、文化芸術への試練が続いたのはご存知の通り。昨年と全く同じ状況…というわけにはもちろんいかないけれど、好きな映画を好きな映画館で見ることのできる幸せを、改めてかみしめる。

 

  妻の奈津美(大島優子)と娘と3人で、平凡だけど幸せに暮らしている…と思い込んでいた主人公・厚久(仲野太賀)。いつか一緒に起業することを夢見ている親友・武田(若葉竜也)と通っている英語や中国語のクラスでも、例文として口をつくのは家族のこと。

 

  だけど、だけど妻の気持ちは、違った。ある夏の暑い日、体調を崩して早退した厚久の目に飛び込んできたのは、あられもない姿で喘ぎながら、見知らぬ男に馬乗りになっている妻の姿だった…。

 

  厚久はどうしてこんな事態になってしまったのか、訳もわからず途方に暮れるばかり。親友の助けを借りて、筋道立てて考えをまとめようとするが、上手くいかない。そうこうするうちに時ばかりが過ぎ、妻や子のその後を含め、彼を取り巻く運命はまるで坂道を転がるように、思わぬ方向に急加速で動き始めて…。

 

  自分の心の在りかもわからず、それを表現する術も知らず、どんな状況にあってもただ困ったように微笑むだけの無口な主人公を、仲野太賀がもう、心憎いばかりに巧みに演じています。だからこそ最後のクライマックス、自分が本当に望んでいることに気づいて、人生で初めて❓自ら行動を起こす、その感情の爆発が生きた❗そして若葉竜也ね~~😍優しい優しい人柄の親友役。『愛がなんだ』のナカハラくんよりさらに優しいんだよね。彼の、主人公への気持ちはきっと、友情を越えた熱烈なプラトニックラブ❤️…たぶん、今日一緒の回で見てた人の中で、ヲタクと同じ感想を持った人は誰一人いないと思うけど(笑)でもいいの、映画館で上映が始まったら、もはや作品は監督のものでも俳優さんたちのものでもない、私たち観客のものだから😊私たちは自由に作品を愛せばいい🎵…と思う(笑)

 

  最後のクライマックス、自らに目覚めようとする厚久の再生の号泣。私たち観客も、彼を励ます武田と一緒に号泣する。心の中で(がんばれ❗今こそ愛を叫ぶ時だっ❗)って…。上映終了後、場内が明るくなって目を腫らしてるのは少々気恥ずかしいけど、他のみんなもだいたい似たような顔してるから、大丈夫(笑)この後味、不器用でどんくさい主人公にいつのまにか感情移入して、頑張れ頑張れって心の中で旗振るカンジは、昨年公開の名作『宮本から君へ』に似てるなぁ~~😊もっとも宮本くんの場合、厚久とは真逆で、考える前に行動起こしちゃって、大変なことにいつも巻き込まれてたけど(笑)

 

  大島優子もね、女性の一途さ、狡さ、身勝手さを持つ反面、愛に飢えた女性の淋しさ、娘の為なら身を投げ出す母性のひたむきさが滲む難しい役どころだったと思うんですが、リアルに演じきって凄いと思いました。『紙の月』の時も宮沢りえに負けてないな、と思ったけど、今回の作品ではもう何というか、役が憑依してましたよね😮嶋田久作伊佐山ひろ子(厚久の両親)、北村有起哉など脇役も味のある役者さんたちばかり(北村さんの役は…まあ、ホントにキモチ悪かった=笑。演技の力ですね😊)そしてそして、厚久の兄役にパク・ジョンボム監督❗愚かな、だけどひたすらに弟を愛する兄😢

 

  見た後が爽やかなのは、登場人物がみな、誰かを一生懸命愛しているから。その発動のしかたがかなりズレてる為に、結果的に人や自分を傷つけちゃうんだけど、それが何なんだ?誰も正しく人を愛せる方法なんか知らない、みんな失敗だらけでもがきながら生きている、だからこそ生きてることが、生き続けることが大事なんだ。

 

…久しぶりに そんな気持ちにさせてくれる、熱いエネルギッシュな映画でした❗

(おまけ)

レ・ロマネスクの劇中歌が、いまだにヲタクのアタマの中をぐるぐる回ってる。パフォーマンスをボーゼンと見つめる仲野太賀と若葉竜也の何とも言えない表情と共に(笑)

ああ青春、されど青春~U-NEXT新着『ワンダーウォール』映画版

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  U-NEXTで『ワンダーウォール』映画版鑑賞。1913年建設の京都大学寮の取り壊しを巡って、取り壊しに反対する学生たちと、取り壊しを強行しようとする大学側の、闘争の顛末を描いたもの。

 

  実際の闘争自体は、なんと大学側が住民である学生を訴えるという、エグい展開になっていますが、そこはそれ『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』『ストレンジャー~上海の芥川龍之介』等の渡辺あやが脚本を担当しただけあって、実話をベースにしながらも愛すべき登場人物たちがリアルに躍動している、青春エンターテイメント映画になっています😊

 

 築100年、 幽霊屋敷みたいなボッロボロの近衛寮。しかしそれは学生たちの心のふるさと。一見無秩序に暮らしているようにみえても、そこには厳然たるルールがありました。まず、敬語は絶対禁止。上級生や下級生の区別はなし。トイレも男女では分けない。男も女もトランスジェンダーも好きなトイレを使うべし(笑)寮の議事は多数決ではなく、全員一致を旨とする為、会議はめちゃくちゃ長くなる😅この設定がいいんだよなぁ~、ジェンダーレス、ボーダーレスのパラダイスぢゃないか。今世界中で問題になってる差別や分断化なんてここには跡形もない。学生だったら、ヲタクだって入りたいよ…って、ホコリだらけでアレルギー悪化しそうだけど(笑)

 

  主人公のキューピー(須藤漣)が言う通り、「変人ばかり」の住人たちですが、それぞれ強烈なキャラ立ち(笑)特に、最近ヲタク大注目の岡山天音くんと若葉竜也くん❗冷徹な頭脳を誇り、闘争に参加しながらもその意義と将来性を常に分析・思考しているデカルトの弟子みたいな志村役(岡山くん)と、自由な趣味人ドレッド(若葉くんの壮大なドレッドヘアが見ものです😅お茶を立てる姿がカッコいい)という重要な役をそれぞれ演じていて、やはり二人の演技は群を抜いています。

 

  学生課に新しい受付担当の美女(成海璃子)が登場したことによって、学生たちの闘争は新たな局面に入っていきますが、さて、その結末はいかに…❗❓(前任者の受付を、京都を舞台にした映画には欠かせない?山村紅葉さんが演じているんですが、もう彼女のキャラ、サイコーです❗言うなれば、『半沢直樹』における香川照之的な=笑)

 

  映画の最後に流れるテロップ。それによって私たちは「人生のリアル」を突きつけられます。でも、ヲタクは寮生たちに言いたい。権力がどんなに力ずくで君たちの自治と権利をもぎ取ろうとしても、君たちが真剣に考えたこと、対話を持とうとしたこと、未来に向けて行動したことの意義は決して消えることはないと。一抹の苦さをかみしめながら、ヲタクはひとり、そんなふうに心の中で呟いてみるのでした。

 

  

トム・シリングの瞳の青さよ~『ある画家の数奇な運命』

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  キノシネマみなとみらいで、『ある画家の数奇な運命』(原題"Never look away"眼を逸らさないで)桜木町から歩いてキノシネマまで来ると、駅周辺やランドマークタワーの喧騒がウソのよう😊


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(秋晴れのキノシネマ周辺)

 

  ドイツ最高の芸術家と称される巨匠、ゲルハルト(映画では、クルトと名を変えています)リヒターの半生を描いた、3時間に及ぶ大作です。リヒターと言えば日本との縁も深く、リヒター自身が瀬戸内海の風光明媚な環境を気に入って、豊島(とよしま)という無人島にガラスの巨大な作品を展示していることで有名です。

 

  今作品はリヒター自身の個人史と言うよりもむしろ、芸術を目指す一青年の眼から見た激動のドイツ現代史であり、美術史❗ 

 

  1937年、ナチス政権下のドイツ。幼少期のクルトが、彼の絵画の才能の一番の理解者である美貌の叔母エリザベト(ザスキア・ローゼンタール)と、退廃芸術展を鑑賞するシーンから始まります。ガイドは、モンドリアン(本格的抽象画の祖とされるオランダの画家)やカンディンスキー(ロシア)の作品を、堕落である、ナチスドイツの主義に反すると、口を極めて罵ります。芸術が、政治権力に歪曲されてしまう恐ろしさ。そもそも作品を批判し、貶める為に開催される展覧会など、芸術への冒涜行為以外の何物でもないと、ヲタクは思いますが…。

 

  クルトの愛する叔母は芸術家肌で、人よりも少しばかり感受性が強すぎた為(ヲタクには、どうしてもそうとしか思えない)に、ナチス党員の医師から「精神に異常をきたしている」との烙印を押され、精神科病棟に入院させられてしまいます。そこで断種手術を施されるエリザベト(ザスキア・ローゼンタールの透明な美しさと相まって、このシーンは見るのが辛すぎる😢)。さらには、彼女が常に反抗的態度であったゆえか、「生きるに値しないカテゴリーの人間」と「選別」され、障害を持つ女性たちと共に、ガス室で若い命を散らすのです。

 

  当時、ナチスドイツの政策によって断種手術を受けた女性は40万人。さらには、「英国の空襲に備えて兵士の為に病床を空けなくてはならない」「地上の資源が限られているなら、価値ある者に与えられるべき」という原理の元にさらに多くの人たちがガス室送りになったという戦慄の史実。叔母の悲劇的な生涯と、彼女の「眼を逸らさないで❗(原題はこの叔母の言葉から)真実はすべて美しい」という言葉は、クルトの人生に後々まで大きな影響を及ぼしていきます。

 

  戦後ドイツは東西に分断され、クルトの住む東ドイツソ連共産主義の傘下に置かれた為、「芸術に革新は必要ない。労働者の団結を鼓舞する為のもの。抽象画に走ったピカソは堕落した」という「社会的リアリズム」に、またもや彼の自由を求める芸術家魂は抑圧を強いられることになります。

 

  戦後彼は東ドイツ美術大学に進学し、そこで生涯を共にする運命の相手エリー(パウラ・ベーア…フランソワ・オゾン監督『婚約者の友人』のヒロイン役。今回も、クラシカルな美しさが光る)に巡り合います。しかしそれは、神が与えたもうた最も残酷な巡り合いでした…😢

 

  クルトが最初に世に認められるのは、新聞や家族写真を無作為に選んでまず精密に模写し、さらにそれを微妙にぼかす「フォトペインティング」という手法なのですが、結果的にそれは、妻の父に関わる恐ろしい秘密の暴露に繋がっていくのです。何という人生の皮肉❗

 

  この作品、若く美しい二人のラブロマンスの側面も持っていると思うのですが、初めて結ばれた時にクルトが、「ロマンチック(スリリングの同義語かしら❓😅)じゃないな…。君の身体は綺麗すぎるんだもの。恋に落ちるに決まってるじゃないか」って口説くんですよね。さすが芸術家、言うことが違うと思いました(笑)映画全編にわたって繰り返される二人のラブアフェアの、叙情的で美しいこと😊

 

  主人公を演じるのは、ドイツのカメレオン俳優、トム・シリング❗(『我が闘争』『ルードウィッヒ』『コーヒーを巡る冒険』『ピエロがお前を嘲笑う』など)彼の、全てを見透すような青い、青い瞳がスクリーンに大写しになる瞬間が何度もあって、頭クラクラ(笑)監督は、卓越した演技力もさることながら、彼の青い湖みたいな瞳に魅了されたのではないのかと…。あのクリストファー・ノーラン監督が、『バットマンビギンズ』の撮影中ずっと、いつキリアン・マーフィーのメガネを外す場面を入れて、蠱惑のブルーアイズをご開帳しようかと考えていたと同じように(笑)

 

  フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督(前作『善き人のためのソナタ』)が、ゲルハルト・リヒター本人に映画化を申し込んだ時、「登場人物の名前は変えて、何が事実かそうでないかは絶対に口外しないこと」を条件に、即座に映画化が許可されたとか。ドイツ最高峰の巨匠の、なんという懐の深さよ。

 

 そしてまた、ヒットラーナチスドイツがドイツ史上最大の汚点であることは間違いないにせよ、その事実から決して「目を逸らさず」、未来永劫断じて同じ事を繰り返してはならないと、国を挙げて重い歴史を背負い続け、報道で、映画作品で、世界に真実を公開し続ける…やはりドイツって凄い国だと思います。

 

  映画が終わってキノシネマから横浜美術館を通って桜木町へ向かう帰り道。空は今見たばかりのトム・シリングの瞳のようにどこまでも高く、どこまでも青い。これを至福と呼ばずして何と呼ぼう😊


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中村倫也主演『人数の町』


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  キノシネマ横浜みなとみらいで、映画『人数の町』鑑賞。衆知の通り、2017年に木下グループが開催した第1回新人監督賞の準グランプリを受賞した作品。脚本・監督は、本作品が初の長編映画だそうですが…。

いやぁ、面白かったっす❗

ワンシチュエーション映画の秀作ですね。こういう新しい、若い才能にチャンスを与えるってスゴイことだ❗日本映画界を元気にする試み、キノフィルムズばんざい❗

 

  借金で首が回らずボコボコにされた人生崖っぷちの男(中村倫也)は、通りすがりの奇妙な男から「君はここでは居場所がないんだね。何からも自由になれる美しい町に行かないか」と誘いを受け、ついふらふらと話に乗ってしまいます。行き着いた先は、時折住人たちと簡単な「仕事」をするほかは衣食住が保証される町。住人たちは一様に「デュード」と呼ばれ、区別されるのは住んでいる部屋の号室だけ。しかし彼らはその生活に一片の疑問すら持たず、毎日を享受し、その場限りの乱交を繰り返していました。まるで現代のソドムの市であるかのように…。(『岬の兄妹』の松浦祐也氏が、またもや毒々しい怪演を見せてくれます)

 

  中村倫也の、生きることのやるせなさ、切なさ、哀しさを滲ませたヒトミにヤられたわ(笑)人生に対して投げやりだった彼が、行方不明になった妹を探して「町」にたどり着いた女性(石橋静河)と出逢ったことから、次第に変化していくその表情にも。「町」の生活に疑問を抱き始めた彼と彼女がこれからどんな道を選ぶのか、サスペンスタッチでストーリーが展開していきます。果たして彼らの運命は❓そして「人数の町」の真の正体とは…❓

 

  ミステリーの底に、今世界が直面している社会の分断や格差、差別の問題が見え隠れします。そして、それに対する、一般的には良しとされている解決策への、荒木監督の強烈なアンチテーゼがあるような気がするんですよねぇ…。感情を無くしてしまったかのような中村倫也が、映画の中でたった一度だけ、激して感情を爆発させる場面があります。彼が何に傷つき、何に怒ったのか❓ヲタクが最も心に刺さった場面。

皮肉で意外なラストにも注目❗

 

…って、げげげ、キノシネマみなとみらいは明日で最終日❗❓ハマッ子は急げ❗(笑)

 

  そしてそして、『人数の町』を見終わったところで、ヲタクの推し、吉沢亮さんの12月公開作『AWAKE』のポスターヴィジュアル公開のニュース❗…なんてグッドタイミングなんだ…(うっとり✨)

 

  はいっ、『人数の町』が準グランプリなら、『AWAKE』は、山田篤宏監督による「木下グループ第1回新人監督賞」堂々のグランプリ作品ですっっっ❗❗

 

準グランプリがこれだけ面白いんだよ❓

グランプリっつったら、どんだけ~~❗(by IKKO)

 

  

傷だらけのヒーロー、胡歌(フー・ゴー)~中国ノワール『鵞鳥湖の夜』


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 白鳥(『ミッドナイトスワン』)の次は、鵞鳥を見るヲタク(笑)まっ、実際に鵞鳥そのものは映画には登場しないんですが😅

 

  その昔ジャン・リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーがそうであったように、現代中国映画のヌーヴェル・バーグとも言うべきディアオ・イーナン監督の最新作がやっと陽の目を見ました❗…実はこれ、アジア映画批評家協会賞では、ポン・ジュノ監督のあの『パラサイト~半地下の家族』を抑えて監督賞を受賞し、映画界に衝撃をもたらした作品。現代中国社会の闇(庶民の貧困)と、権力(特に警察機構)の暗部を鋭く抉った内容であるのは、同監督の前作『薄氷の殺人』(ベルリン国際映画祭金熊賞)と同様ですが、映像やストーリー展開はより鮮烈に、よりスタイリッシュ且つ耽美的になっている気がします。

 

  大がかりなバイクの窃盗を繰り返し、闇社会で生きてきたチャウ(フー・ゴー)。刑務所を出所したばかりだというのに、再び窃盗団のシマ争いに巻き込まれ、誤って警官を射殺してしまう。逃亡犯となって夜の闇の中を逃げ続けるチャウ。彼の首に懸かる多額の報奨金。それを狙って、窃盗団の対立相手も動き始める。次第に追いつめられていくチャウに近づいて来た謎の女(グン・ルンメイ)。彼女は鵞鳥湖のほとりで春をひさぐ水浴嬢(リゾート地の水辺で商売をする娼婦のことを中国ではそう呼ぶらしい)。果たして彼女は敵か味方か?その真の目的は…?

 

  廃墟のような美しさを持つ街並み。すりガラスを通して部屋の内部に射し込む、まるで血の色のような毒々しいネオンの光、夜のしじま、ゆらゆらと揺れる湖の水面、水辺の動物園、野生動物たちの闇に光る眼。陰翳と極彩色の鮮烈なコントラスト、そこに浮かび上がる、不吉な影、影、影…。ブライアン・デ・パルマに匹敵する、人の影の演出は見事で、何やら中毒性がありますね😅

 

  『薄氷の殺人』に引き続き、ヒロインを務めるグン・ルンメイ。この人こそ真の美魔女でしょう。ズブの素人からスカウトされたというデビュー作『藍色夏恋』の時と似たボーイッシュなショートヘアなんですが、あれから18年も経って、ほとんどイメージ変わってないってどゆこと~~❗❓😅娼婦の役で、フー・ゴーとけっこう激しい愛欲シーンとかもあるのに、清冽なイメージが消えないのは、同じように娼婦役を演じた『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘプバーンを彷彿とさせます。

 

  そしてそして、中国の歩くイケメン彫刻、フー・ゴーは満を持しての映画初主演❗「顔面崩壊」と言われた凄まじい自動車事故から、まさにヒロイックな奇跡の復活(100針縫い、形成外科手術は10回に及んだとか。たしか以前、世界仰天ニュースか何かで特集されていましたね)。復活後第1作のTVドラマ『琅琊榜 〜麒麟の才子』の時はまだ目の辺りの傷が痛々しかったですが…😢今回は、『琅琊榜 』の病弱で白皙の貴公子とはうって変わって、キレッキレのアクション、無精髭もセクシー😍、一見細身の体躯に見えるのに「ボク、脱いだらスゴイんです」的な萌えシーンも(笑)このチャオという男、5年も奥さんほっぽらかしてヤクザ人生歩んできて、最後くらいは奥さんに警察に通報させて報奨金を残していこうっていう…。クズ男の純情というか何というか…フー・ゴーの抑えの利いた演技が泣かせます😢

 

  脇役も素晴らしい❗『薄氷の殺人』では女性蔑視のクズ警官役だったリャオ・ファンが、本作でもチャオを追いつめる警部役。前作ではアル中の役だったから体重増量してたんでしょうね。本作ではかなり身体絞って別人みたい😅チャオの妻役のレジーナ・ワン、人生に疲れた、薄幸な感じがぴったりです。

 

  しっかし『薄氷~』も『鵞鳥~』も、そこで描かれる警察の内情って言ったら、ひどすぎるんですけど😮犯人を挙げる為には、被疑者も一般人も人権なんて考慮してもらえない…みたいな。二作とも時代設定がひと昔前になってるのはそのせい❓…今の中国は違うって逃げ道残しとかないとダメとか❓😅

…深読みのしすぎかな(笑)

  

 

圧倒的演技に酔い、究極の美に魅せられる~『ミッドナイトスワン』


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いろいろな意味で圧倒され、打ちのめされる映画でした。

  すでに様々な人が、様々な場所で語っていることですが、二番煎じでも三番煎じでも呟かずにはいられない(笑)まずは草なぎ剛さん。彼にはこの時、演技の神様が降りてきていたとしか考えられない、もはや。

 

  新宿のショーパブで、時に心ない酔客の罵声を浴びながら、夜毎『四羽の白鳥の踊り』を踊るトランスジェンダーの凪沙。中年期に差し掛かった彼は、過酷なホルモン治療の身体的な辛さや、「美を維持する為に必要な」費用の莫大さ、将来への不安に、ともすれば押し潰されそうで、心を葬らなければやっていけない日々。

 

  トランスジェンダーのリアルを描いた映画と言えば、第2のグザヴィエ・ドランとの呼び声も高いルーカス・ドン監督(ベルギー)の『ガール girl』(2018年)。プリマバレリーナを目指すトランスジェンダーの治療の過酷さ、身体的・心理的負担から次第に主人公が精神的に追い詰められていくさまを正面から描いた映画でしたが、本作品もそのリアルな描写にかけてはひけをとりません。

 

  灰色に塗り潰されたかに見えた凪沙の人生に、ある日突然、一筋の光が差します。母親からニグレクトを受けている親戚の少女一果(服部樹咲)を一時的に預かることになったのですが、彼女は煌めくようなバレエの才能を持っていました。「私は子どもが嫌いなの」と公言する凪沙にとって(それが彼女の哀しいウソだということもいずれわかるしくみ)、当初はお荷物でしかなかった彼女が、突如として黄金の美神に変身する場面。それは凪沙が初めて一果のバレエを目にする場面。草なぎさんの、美に陶酔すると同時に、幼子を見る聖母のような慈愛に満ちた表情に変わる瞬間❗この表情を見るだけでも、この映画を鑑賞する価値があります。

 

  「自分らしく生きれば人生happyだよ」と人は簡単に言うけれども、生まれながらにしてそうすることがとても困難な人たちがいる。自分らしく生きる為には、周囲の偏見や、好奇の視線や、身体の痛みに歯を食いしばって耐えなければならない人たちがいる。草なぎさんはその痛み、切なさ、虚しさを表情で、背中で、立ち姿で、いや全身で表現し切った❗

 

  凪沙が、自らをどんなに痛め苛んでも手に入れることの出来なかったものを生まれながらにして身にまとい、オデット姫のように神々しく降臨した一果。その瞬間から、凪沙は一果の「母」になる為のいじらしい努力を始めるのです。一果のバレエ教室のレッスン代を稼ぐため、世間の好奇な目に晒されながら会社勤めに転身しようとする凪沙。果ては身を売る決意までも…。

 

  自らを犠牲にして他者の成長と幸福を願う時、それを「母性」と呼ばずして何と呼ぶのか。自分のお腹を痛めて子を産んでも、それだけで母性が身につくわけではないという現実は、ヲタクを含め、母である人は一度ならずその苦さを味わったことがあるはず。『ミッドナイトスワン』の中でも、凪沙の皮肉な対極に位置する者として、一果をニグレクトする母親(水川あさみ)、娘に自らの夢を押し付け、全てをコントロールしようとする母親(佐藤江梨子)、息子の姿を受け入れられず狼狽し号泣する凪沙の母親(根岸季衣…あ、なにげにつかこうへいつながり😅)が登場します。もちろんヲタクは、彼女たちを責めたり、ましてや冷笑したりなど、とてもじゃないけど、できません。ところが、トランスジェンダーの凪沙は、私たち女性を縛る「母性の呪縛」から軽々と解き放たれ、純粋な愛をひたすら貫いていくのです。あたかも、海を飛翔する白鳥のように…。

 

  血縁のない母性の表現…と言うと、ヲタク的に真っ先に頭に浮かぶのが、『万引き家族』の、かのケイト・ブランシェットも絶賛した安藤サクラのダイナミックな泣きの演技。彼女の演技を「動」とすれば、今回の草なぎさんの母性の表現は、それに匹敵する究極の「静」の演技と言えましょう。個人的には、一果のバレエ教室の先生(真飛聖)に、間違って「お母さん」って呼ばれて、恥らって笑う凪沙の表情が大好き😍めちゃくちゃキュートなんだもん(笑)

 

 一方、もう一人のヒロインである 一果は、人生の辛酸をなめつくした凪沙が一瞬にして魂を奪われるほどの耀かしい存在でなくては説得力がないわけですが、この服部樹咲さんという新人の方がもう、素晴らしい❗まるでバレエを踊るために生まれてきたかのような美しい体型😮特にエポールマンやアロンジェの時のアームズが作り出す空間がしなやかで、且つ広い、広い❗バレエ映画としても秀逸です。『全裸監督』の森田望智さんもそうでしたが、内田英治監督の、新人発掘の神がかった慧眼、凄い。

 

  チケットをゲットしてあったセルゲイ・ポルーニンの『サクレ春の祭典』が公演中止となり、少々落ち込んでいたヲタクですが、彼女の踊りを見て元気が出ました😍

 

  素晴らしい演技に酔い、『美』に魅了された二時間。

至福の時間をありがとう❗