オタクの迷宮~映画と舞台と音楽と Chaos-α

変わり者よと言われても 今日もオタクで生きてゆく

吉沢亮の凄絶な美~「華の碑文」

 吉沢さんの美を表現するのに、「平成史最高峰の美男」(いよいよ殿堂入りを果たしましたね❗)「美の暴力」「彫刻の森美術館」…さまざまな言われ方があるわけですけれども、個人的に、演技者あるいは被写体としての吉沢さんを拝見すると、どうしても「凄絶な美」というフレーズが浮かんできてしまいます。どこかで同じフレーズが使われているかネットで調べましたら、一、二の例はあって、どうも「圧倒的な美貌」という意味で使われているみたい😊

 

  ワタシ的には、圧倒的な美貌は言わずもがなとして、さらに、凄絶・壮絶な人生を送りながらも決してその美しさは損なわれない…そんな意味です。直近の役で言えばやはり王の身代わりとなって壮絶な死をとげ、その美を永遠のものにした「キングダム」の漂、中華統一という前人未踏の夢に向かい死屍累々の道を行く贏政、そして過酷な環境の中で、芸術家としての生を全うしようとする山田天陽…。三者とも、凄絶な運命に負けない、強靭な美しさの持ち主です。生き方そのものの美しさまでも、吉沢さんはいつも的確な演技力で、如実に表現して下さっていると思います。

 

  昨夜は川崎大師で、燃え上がる火を背に演じられる幽玄な薪能を観賞。昨夜は、観阿弥世阿弥の直系の子孫であり現代能楽界のトップに君臨される26世、観世清和氏がお出ましに😲舞囃子でのご登場でしたので、直面(ひためん)で舞われました。「逢魔が刻」に演じられるその素晴らしいシテの舞を見ながら、例によってオタクの脳内暴走が…(笑)

 

  杉本苑子作「華の碑文」

  当時は猿楽と言われ、流れ者の芸人と蔑まれていたものを芸術にまで高めた世阿弥の生涯。生まれつき圧倒的な美貌の持ち主であった少年、世阿弥(藤若)は、一族郎党を養う為に、悪辣な僧兵たちの慰み者に。その場面は凄惨を極めます😢弟子たちを養う為に、父親の観阿弥も見てみぬフリ😭

やがてその美貌と優れた芸が時の将軍足利義満の目に止まり、その寵愛をバックに頂点に上り詰めていきます。

 

  自らに対しても弟子たちに対しても世阿弥の稽古は熾烈を極めました。芸術の前には家族に対する情にも決して流されない。「能楽」という、凄まじい修羅の道。

「五百年、千年先に残すべき美を、なまはんかな手でいじりまわされてはかえって危ない。後に続く者は守るだけ、再現するだけでいいように作詞、作曲、作舞、演出…能のすべてを、私は私一代で、完璧なものにまで仕上げ切るつもりで努力して来たし、必ず仕上げ切る決意でもいる」

義満が死に、後ろ楯を失った世阿弥佐渡に流刑となりますが、それでも衰えない芸術への探求心。

 

著書「花伝書」に記された、「秘すれば花」「無用のことをせぬと知る心」「不易の美」「身体で識れ」「人気の質は、厳撰しなければならない」…等々、現代の芸道にも通じるような名言のかずかず。世阿弥こそが花そのもの生涯であったことは間違いありません。

 

  篝火煌めく、まるで異次元のような舞台の、この世のものとは思えないような観世26世の舞を見ながら、吉沢亮に脳内変換をしつつ😅いつものように悦に入っていた幸せな夜でありましたことよ(笑)