昨日の地震。長女の夫の実家が新潟なので、心配で長女に聞いたら、震度5弱の地域だったので、かなり揺れはしたものの、何かが倒れることは免れたもよう。何しろ中越大地震で家が全壊し、数年間仮設住宅暮らしを経験している方たち。同じ場所に家は建て直したものの、刈羽原発の傍である為、もし再稼働して、また大地震が起きたらヨードが配布される地域😢心配は尽きない。
長女たちの結婚記念日は2011年3月11日。そう、まさに東日本大震災の日。義理の息子の誕生日が奇しくも3月11日だった為、その日の入籍にこだわったのである。大震災が起きた時、長女夫婦と次女、ベルギーに夫を残して帰国していた私の4人は、自宅近くの懐石料理店で祝杯をあげていたのである。ひどい揺れだったけど、まさかあんな未曾有の出来事があったとは…。自宅に帰って事実を知って愕然とした。
震災後の計画停電やらガソリン不足やらで、当時自宅に住んでいた次女と私の両親が心配な私はベルギーに帰れなくなり、長期間日本に滞在することになった。また、当時の人間関係の繋がりから、私は、大震災からまだ1ヶ月しか経っていない仙台に、急きょボランティアに行くことに。4人で1グループ、津波の被害に遭ったお宅の整理が主な作業。ガラスや瀬戸物が散乱しているので、底に鉄板が入っている長靴や、アスベスト対策の為の防塵マスク、掘り起こし作業の為の雪かき用の四角い形のスコップなどを取り揃えて…。忘れられないのは、立ち会いに来られた家のご当主(80才位の男性)から、「他人事だと思わないほうがいいぞ。次はあんたらの番だからな」と言われたこと。その口調に怒っていた人もいたけれど、私はなぜかしごく冷静に頷いて、その方の言葉をかみしめた。3つの地震プレートの上にあり、その下には火山帯が縦横無尽に走っている日本という国。地震というものがなく、比較的自然災害も少ないベルギーに長年住んで、その厳粛な事実を忘れ去っていた自分。
仙台にボランティアに行った2年後、我が家の総リノベーションの為にまた1人で帰国した私は、夫との相談の上、1回目のベルギー滞在時に持ち帰ったヨーロッパの家具を全て処分した。ガラスを多用し、上の部分はただ載せるだけの大型飾り棚などは地震時に凶器になるので😧書斎机、洋服ダンス、食器棚は全て作り付けにし、地震時に自動でロックする機能をつけた。我が家は元々旭化成のヘーベルハウスで地盤のボーリング調査を行い、地盤強化をした上で建てた家なので、耐震工事の費用は計上しなくすんだので助かった😅ボランティアで悲惨な状況を目の当たりにして、モノへの執着が激減したのも大きい。ほとんどモノがない新しい家、掃除もしやすく、アレルギーにも効果ばつぐんである😊
ベルギーの人たちは何週間もバカンスをとるのに日本人スタッフは1週間がやっと。文句を言うワタシにいつも夫が返す言葉「ほとんどが平野で地震等自然災害もないベルギーと、ダム1つ作るにも、鉄道1つ敷くにも山を貫通させなきゃいけない日本。せっかく作っても自然災害に見舞われる。だから俺たちはベルギー人より何倍も働いて、何倍も知恵を絞んなきゃいけないんだよ。それが日本人の宿命なんだよ」そう言われたら、一言もない。
日本人として生まれ、日本で生きていく選択をした以上、その真実から目を逸らさず、腹をくくってベストを尽くすしか生きる道はないってことか。