オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、映画・舞台・ライブ鑑賞後の感想をゆるゆると呟いたりする気ままなブログ。

オタクが選ぶイヤミス映画 TOP10②

 

  昨日、ヲタクが独断と偏見で選んだイヤミス映画TOP10のうち、10位~6位を発表❓いたしましたところ、予想外に沢山の方々に読んで頂いているようで、調子に乗って5位~1位を発表するヲタク(笑)
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⑤イノセントガーデン(2013年 米・英合作)

 『ジェーン・エア』や『クリムゾン・ピーク』で、観ているこちら側の嗜虐心をソソる巻き込まれ型ドMヒロインを演じているミア・ワシコウスカと、英国の歩くイケメン彫刻、ジェントルマンのお手本みたいなマシュー・グード。この二人のパブリックイメージを逆手にとったストーリー展開にまんまと騙されます(笑)恐怖と美とエロティシズムをミックスしたカクテルは深紅の色。お耽美ホラーの趣もアリ。あのニコール・キッドマンがまったくの脇役に徹していて、こんな贅沢な使い方していいの❓って感じ😅監督は、『オールドボーイ』のパク・チュヌク。面白くないわけがない❗


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ドラゴンタトゥーの女(2011年 アメリカ)

 ミステリー史上最も過激なヒロインと言われるリスベット・サランデル。このダークヒロインを産み出したのは、スウェーデンの作家スティーグ・ラーソン。本国では三部作全てが映画化されていて、北欧ミステリ特有のリアルな暴力シーンや、暗く陰鬱なムードが余すところなく表現されていました。その大ヒットを受けてハリウッドでリメークされたのが、この2011年版。プライベートではセレブのお嬢、映画でもその手の役が多かったルーニー・マーラが、今までのイメージをかなぐり捨てて、文字通り「カラダを張った」熱演。そこが最大の見所かな🎵リスベットを主人公にした映画は、ハリウッドではもう1つ製作されていて(『蜘蛛の巣を払う女』2018年)、リスベット役はルーニー・マーラから、英国女優のクレア・フォイに代わりました。そう、Netflixの大ヒットドラマ『ザ・クラウン』でエリザベス2世を演じている彼女です。いやー、ルーニーにしろクレアにしろ、女優さんのド根性って凄いわ😅


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③聖なる鹿殺し(2017年 イギリス・アイルランド)

見終わった後、まるで何か得体の知れないモノを無理やり喉に押し込まれて、それが下がっていかないような、何とも言えないどす黒い気持ちがいつまでも続く作品。一言で言えば、バリー・コーガン扮するサイコパスの青年の出現によって、幸せそのものに見えた医者一家(コリン・ファレルニコール・キッドマン)の生活が崩壊し始め、ついには恐ろしい悲劇に見舞われる…という話なんだけど。なにせバリー・コーガンが、現代の常識も倫理も社会通念も全く通じなくて、怖い、ひたすら怖い((( ;゚Д゚)))

  監督は、ギリシャ人のヨルゴス・ランティモス。あのブラックなコメディ『女王陛下のお気に入り』の監督です。そう言えば『聖なる鹿殺し』には、ギリシャ悲劇の香りもする。ほら、ギリシャ悲劇って近親相姦だの親殺しだの、現代の倫理観からは計り知れない闇を窺わせるじゃないですか。昔イタリアの監督ピエロ・パオロ・パゾリーニの『アポロンの地獄』って映画を観て、同じような感覚にとらわれたことを思い出します。怖くて、シュールで、不条理なあの感覚。

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アイデンティティー(2003年 アメリカ)

  豪雨のために交通が遮断され、さびれたモーテルに泊まることになった10人の男女。若いカップル、女優とそのマネージャー、囚人と彼を護送する刑事、子供連れの夫婦…。まもなく女優が行方不明になり、その頭部が乾燥機の中で発見される。犯人は誰? レイ・リオッタジョン・キューザックなど、個性派クセモノ俳優のリアルな演技が恐怖を煽ります。

  ホラー映画かと思いきや、あっと驚くどんでん返し、驚愕の結末。アイデンティティーとは、自己同一性とか、自己認識とか言う意味ですが、この題名が最大の謎を解くカギになっていて、見終わった後、激しく納得します(笑)


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①セブン(1995年 アメリカ)

 イヤミスの帝王、デヴィッド・フィンチャー監督の有名すぎる作品。ヲタク的にはやっぱりこれが今のところ不動の1位。オープニングを通じて流れる、神経を逆撫でするような不快な金属音を聴くだけでもう、不安と恐怖を掻き立てられます。

  キリスト教で言われる『七つの大罪』に準えて実行されていく猟奇殺人。犯人は警察の無能さを嘲笑うように『ジョン・ドゥ』(英語でいう名無しの権兵衛)と名乗って殺人を重ねていきます。しかしこの映画の真の恐ろしさは、七つの大罪を模した一連の殺人の犯人に、誰でもなりうる可能性があると暗示していること。奇しくもフィンチャー監督は、「これは人間が次第に自制心を失っていく映画なんだ」と語っています。暴力が暴力を呼び、憎しみが憎しみを呼ぶのだと。あたかも、人間として原罪を背負って生まれてきた以上、七つの大罪からは逃れるべくもないのだと言われているかのように😭

 フィンチャー監督は、今こうしている間にも世界のそこかしこで起きている同じような出来事を予兆していたのでしょうか❓

 

その先鋭的なテーマ、斬新な映像、25年前の作品とは信じられないほど色褪せない名作です。