オタクの迷宮~映画と舞台と音楽と Chaos-α

変わり者よと言われても 今日もオタクで生きてゆく

ガチで『青くて痛くて脆い』を語るとトンでもないことになるので

 思いの丈をブログでぶつけられない、叫べないのがもどかしい(笑)激しくネタばれになっちゃうし。吉沢さんの演技も、リピートして見てみると、(あっ、やはりこの場面はこういうアプローチで演じてるのかな❓)と、新たに気付かされるところが多々あるんだけど、それも口にするのは、はばかられる😅

 

…なので、この記事を読んで下さっている方の中でまだ、近来稀に見る問題作、衝撃作『青くて痛くて脆い』をご覧になっていない方、日本在住で映画館に行ける環境にある方はぜひ、すみやかにチケットを購入するのをお薦めします(笑)

 

すでに原作を読んでいらっしゃる方、映画を一度鑑賞された方は、ライターの飯田一史という方がYahoo!で原作と映画版の人物造型やストーリー展開の違い、原作では登場しない不登校の少女(森七菜)が登場する理由…等々をわかりやすく書いて下さっているので、読まれるといいかも。ヲタクも既に「原作を読んだ人」「映画版を観た人」だったので、いちいち頷いて記事を読みました。但し、原作より先に映画を見る方、「青春サスペンス」「この青春には、ウソがある」とうドキドキハラハラ感の側面からまず楽しみたい方は、一度映画を見てから記事を読むのがおススメです😊

 

  ヲタクから見た原作と映画版の違い…。住野よるさんの原作では、登場人物たちが抱く大学時代特有の、理想主義が肥大して頭でっかち、何者かになりたいけどまだ何者にもなっていないひりひりした焦燥感が印象的でした。「世界を変えたい」「平和な世の中を実現したい」という大きな理想を掲げながら、厳しい社会の現実に直面して挫折を経験した時、自身が変容するのを余儀なくされるか、あるいはそれに絶望して破壊的行為に走るか…そんな青春の痛さ、脆さが描かれていたように思います。(ヲタクの世代だと、ユーミンの「いちご白書をもう一度」ですかね…古すぎるね=笑)

 

翻って映画版。飯田さんが指摘されていたように、最大の違いは、田端楓の人物像でしょう。吉沢亮さん演じる映画版の楓、原作の楓にはまだかろうじて残されていた❓一片の社会変革の意識や一種の正義感も、ものの見事に吹き飛んでいて(笑)、ごくごく個人的な感情や本能に突き動かされ(ある意味純情とも言える)、本人もそれとは自覚できないまま(ここが最大の問題点😅)、破壊的行為に突き進んでいきます。しかし彼の持つ愚かさは、私たち人間誰しもが内包しているもので、私たちはそんな愚かさ、危うさに何とか折り合いをつけつつ、ふとした瞬間魔が差して負の行為にスイッチを入れてしまわないよう、頑張って生きていくしかないと教えてくれる。

 

吉沢さんの凄いところは、楓の危うさ、愚かさを客観的に把握・分析しながら演じているのにもかかわらず(実際にインタビューで「演じることは自分を解放すること。普段だったらとてもできないことができるから楽しい」っておっしゃってますしね😊)、まるで彼が役柄そのものに憑依されてるみたいに、なりきって演じてることでしょうか。彼は、田端楓をリアルに「生きていた」。映画の中で、確実に楓は実在していたのです。

 

   今もって「国宝級イケメン」という接頭語がつくことが多い彼が、この役を演じることを選択し、また実際にああいう捨て身の演技ができるということ自体が大きな衝撃であり、この映画の演技でまた一歩、新たな階段を登ったんだな…という感慨がハンパない。

 

やっぱり吉沢亮という役者は天才だな❗

…って、結局これが言いたかったのね、じぶん(笑)