オタクの迷宮~映画と舞台と音楽と Chaos-α

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Netflixで『凱里ブルース』(ビー・ガン監督)~たゆたう夢幻泡影


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  ジャック&べティで今日見る予定だった中国映画『凱里ブルース』。台風の接近で映画館で見るのはあきらめ、自宅にてNetflixで鑑賞。

 

  監督は、長編第2作目『ロングデイズ・ジャーニー~ この夜の涯へ』がカンヌ映画祭ある視点部門に出品され、瞬く間に映画界の寵児となったビー・ガン。『凱里ブルース』は、彼の長編処女作で、当時監督はなんと26才❗

 

  凱里の小さな診療所。まるで世捨て人のように、老女医の助手としてひっそりと暮らす中年男のチェン。彼は以前、やくざな生活を送っており、ボスの息子の復讐に手を染めたことから9年の刑を受けた。刑期を終えた彼は、妻もこの世にはすでになく、可愛がっていた甥のウェイウェイも他の町へ連れ去られたことを知る(登場人物たちがフツーに子供の人身売買の話をしてるんだけど、中国ではいまだに日常的な出来事なんだろうか❓…恐ろしすぎるヽ(;゚;Д;゚;; ))ある日、甥に再び会いたいと、凱里を出たチェン。しかし彼の意識は朦朧と移ろい始め、過去・未来・現在が行きつ戻りつする時空間の歪みに迷い混んでしまう…。

 

  この映画について語る前に、映画の舞台であり、中国貴州南東部に位置する凱里市について触れておかなくてはならないでしょう。凱里は、中国に存在する55の少数民族のうちの1つ、ミャオ族の自治区でもあります。『ロングデイズ・ジャーニー』からの流れからか、今作品も、最後40分にわたるロングワンショットや、時計が多用される意味、時代の逆行と輪廻のテーマ…などが焦点となって語られる場合が多いですが、ヲタクはそれよりも、凱里という、今や近代化が進んで過去の姿を急速に無くしつつあるという特異な魅力に溢れた町を、映像という形で永遠に止めおこうとした監督の、壮大なラブレターに思えて仕方ないのです。この映画を見ていて、アカデミー賞受賞時のポン・ジュノ監督のスピーチを思い出しました。「最もパーソナルなことが最もクリエイティブ」という…。自分の身の回りに起きる、過去・現在・未來を巡る些末な出来事の羅列であっても、(今この瞬間、すぐに移ろってしまうこの瞬間を、あるいは昨夜見た幸せな夢を、その残像のかけらでいいから永遠に刻みたい)という切ない気持ちは、誰もが一度は思ったことがあるでしょう。悲しいかな、ヲタクを含めてほとんどの人はビー・ガン監督のような才能は持ち合わせていないので、その気持ちも移ろって、やがて消えていくだけですが(笑)本作品、当のポン・ジュノ監督や、ギレルモ・デル・トロ監督の絶賛を浴びましたよね😊

 

 

  雨が多い為か、目に沁みるように、鮮やかに浮き立つ緑、山あいをゆったりとたゆたう河、そこにまるで廃墟のようにそびえ立つ高い建物群。晴れたかと思えばあっという間に視界を覆い隠してしまう深い霧…。

 

  今でも、山の陰には剛毛で覆われた狂暴な「野人」がいると、まことしやかに噂する住人たち。(映画の冒頭、「ウェイウェイは野人のえじきになったんだ」などというセリフが登場します)野人を避ける為に両脇に棒を挟んでおくという特異な風習や、後ろ手に手を組んではいけないという禁忌、また、特殊な笙の笛の使い手が次第にいなくなっているという描写など、本作品は監督の、この世の黄昏に寄せる挽歌であり、滅びゆくものに対する哀惜の念が伺えます。

 

  どの場面で時空ポケットに入ったのか、どれが現実でどれが主人公の夢だったのか…など、理詰めで考えるのはあまり意味がないことのような気がします(笑)ストーリーも、あって無きが如し…ですし😅

 

  それよりも私たちは

今起きている変化については、僕ではない誰かが表現してゆけば良いと考えています。僕はそこにかつてあったものや、記憶や脳裏に残像として残っているものに価値があると思い、映画の中に取り入れてきました。

という、今そこになくても、微かにたゆたう過去の残像を止めおこうとする監督の、甘美でエキゾティックで、詩的なセリフと映像に身を任せ、それを感覚で味わえばよいのではないでしょうか。左脳ではなく、右脳を総動員して(笑)