オタクの迷宮

海外記事を元ネタにエンタメ情報を発信したり、映画・舞台・ライブの感想、推し活のつれづれなどを呟く気ままなブログ。

意識の流れはいずこ~『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』

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 中国新世代の若き才能、ビー・ガン監督の長編第2作目『ロングデイズ・ジャーニー~この夜の涯てへ』(撮影時、監督はなんと29才❗)。長編処女作『凱里ブルース』を水墨画モノクロームな美しさに例えるなら、『ロングデイズ~』は言わば、目も綾な、極彩色の絵画の世界。しかし、古くは『花様年華』近くは『鵞鳥湖の夜』と、中国や香港の映画って、赤い色がどうしてこう魅力的に使われているのだろうか。

 

  父の死を知らされたルオ・ホンウ(ホアン・ジュエ)は、長年離れていた生まれ故郷の凱里の街に帰って来た。彼の脳裏に去来するのは、銃の密売に手を染め、それがもとで殺されてしまった幼なじみの白猫と、闇社会のボスの愛人、ワン・チーウェン(タン・ウェイ)のこと。ボスの目を盗んで、ワンと重ねた逢瀬、濃密な愛の日々に、12年経った今でもホンウの心は囚われたまま。微かな記憶を頼りに、ワンを尋ねて凱里の街をひとり彷徨するルオ・ホンウだったが…。

 

  二人の水辺のラブシーン、二人の重なりあうシルエットからカメラが次第に水の中に下りていって、ゆらゆらと揺れて揺蕩う水藻を写し出す場面は、ゾクゾクするほどセクシーで淫靡。『凱里ブルース』にも、現実と夢幻を分けるような役割として登場したトンネル。本作品にも登場しますが、それは粗削りでノスタルジックな前作とは違う、ひどく官能的な小道具。夜、ルオの車から下りたワンが暗闇のトンネルの中をひたひたと歩き始めると、ルオは再び引き返して、ゆっくりと車で近づいていく。「なんでまたついてくるの?」と怪訝な表情のワンの唇から、真っ赤なルージュがはみ出している…。

 

私たち観客は、ルオ・ホンウの夢と記憶が紡ぐ『意識の流れ』を、追体験しているかのよう😊『意識の流れ』…「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法」と定義されますが、文学でこれを試みたのが、アイルランド出身の作家ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』であり、ウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』。ビー・ガン監督はそれを映像で表現しようとしているのかも。

 

  ヲタクはNetflixで見たから平面的でしたけど、監督は後半1時間を3D使っているわけでしょう?…革命的だよね😮より、「夢魔に脳内を支配されてる」感が強くなったと思われる😅大学で『フィネガンズ・ウェイク』の講義を受けた時にはヲタク、自分の理解力不足か、はたまた語学力不足か、ちんぷんかんぷんでしたけれども😅ビー・ガン監督のように映像で表現してくれると、そのまま水の流れのように作品の世界に入っていける😊「映画は言語である」(今年のベルリン国際映画祭の、ティルダ・スウィントンのスピーチより)とはよく言ったものです。『意識の流れ』を心の病の治療に活用したのがフロイト(「夢判断」という著書もあり)で、この映画の中でも、監督の幼い頃の心的外傷をイメージさせるシーンが散見されます(リンゴを噛るシーンなど)。辛い記憶を映像で表現することによって、監督自身もまた、癒しを得ているのか…。

 

  映画そのものが一篇の詩とも言うべき作品なのですが、ヲタク的に最も印象的なシーンの一つに、ルオが凱里に帰って来てから借りた、まるで廃墟のようなアパートに雨が降り込むシーンがあるんですが、これがもう、雨水が野外の公園みたいに滴ってる。常識から考えたらとんでもないんですけど(笑)ビー・ガン監督のインタビューを読んで、目からウロコ、だったんですよね。監督が小さい頃住んでいた家は湿気がひどくて、雨が降ると雨漏りがしていた。もちろん、映画のシーンみたいにひどく降り込んできたことはなかったけど、子どもの目には、映画の中の描写そのもののように、ひどく降っているように見えた…と❗

 

  ほんの少し、監督の作品のナゾが解けたような気がしました。子どもの目から見た光景、記憶の残像こそが、この映画のリアルなのだと。

 

  日頃から、今起きている変化については、僕ではない誰かが表現してゆけば良いと考えています。僕はそこにかつてあったものや、記憶や脳裏に残像として残っているものに価値があると思い、映画の中に取り入れてきました。

…と語っているビー・ガン監督。夢の中で迷路から抜け出そうともがいている感覚。遠い遠い昔、一つ一つの些末な出来事にも、まるでこの世に終わりが来るような衝撃を覚えたあの時。そのもどかしい数々の想いを、これほどまでに明確に、美しく映像化できるきらびやかな才能。

 

  後半の1時間(驚異のロングワンシークエンスと呼ばれてるアレ)は耽美的な前半(夏至の頃)とガラリと雰囲気が変わり(冬至)、ルオと共に、記憶と夢の迷路にさらに深く踏み込んで行くことになります。まるで、(怖くない、怖くない。これはどうせ夢なんだから)と言い聞かせながら眠っていた子供の頃のように。

 

  監督の2つの作品を見終わって、すっかり「ビー・ガン・ワールド」の囚われ人になってしまった自分を意識するヲタクなのでした😊

 

  一度見てしまったらこの作品、どうしても3Dで見たくなったなあ…。後半のとあるシーンで、(あっ、これ子どもの頃夢の中で見たことある❗)っていう、激しくデジャヴなシーンがあったんだけど、もう一度3Dで確かめたい😅…でも、今上映してるの、全国で「下高井戸シネマ」だけなんだっけ😅しかも夜(笑)こうなったら近くにホテルとって、下高井戸の夜の涯てまで行くしかないか(笑)