オタクの迷宮~映画と舞台と音楽と Chaos-α

変わり者よと言われても 今日もオタクで生きてゆく

日本のネオ・リアリズモだ❗~映画『泣く子はいねぇが』

  月の夜、スクリーンからも立ち上って来るような凍てつく冷気。山の上の神社から松明の篝火を携えて、奇声を発しながら次々と駆け下りてくるなまはげたちの異形のさまはこの世のものとは思えず、恐ろしく、神々しく、そして美しい。

 

  今でも男鹿半島に残る奇習は本来は神事であり、なまはげは「父性」の象徴で、家族の絆を強固にする為のものだと言う。けれど、新進気鋭の佐藤快磨監督が紡ぎ出す物語は、リアルで残酷で、どこか物悲しい。

 

  女の子が生まれたばかりの若い夫婦、たすく(仲野太賀)とことね(吉岡里帆)。一番幸せに溢れている時期のはずが、映画の冒頭から二人の間には不穏な空気が漂っている。泣く子をあやしながら、妻は一言、「…もう、無理だから」と呟いている。たすくは父親になる自覚のないままに、卑屈な笑いを浮かべながら、なすすべもなくそこにいる。それを責める妻の視線から逃れるようになまはげの神事に参加したたすくは、あろうことか、その本番の夜、御神酒をあおりすぎて前後不覚になり、なまはげの面をつけたまま一糸まとわぬ姿になって、街にさ迷い出てしまう…。

 

  衝撃の一夜から、歯車の狂ってしまった彼の人生。男鹿半島から出奔し、東京の片隅で身を潜めるように暮らして2年が過ぎたが、故郷や離婚した元妻のことね、そして3才になったはずの娘への想い絶ちがたく、たすくは男鹿へ舞い戻ってきた。そこで彼を待ち受けていたものは…❗❓

 

  これまでの出演作品を見ただけでも仲野太賀が、当代きっての演技派であることは異論の余地がなく、今作品でもばつぐんの安定感😊最初のうちこそ『生きちゃった』と似たようなキャラかな…?と思っていたのに、見終わってみればぜんぜん別人😮凄いな…。

 

…そしてそして吉岡里帆ですよ❗

 

寡黙な役なんですけど、「目は口ほどにモノを言い」最後の場面の、元夫、娘の父親を見つめるその表情。静かな怒り、憐れみ、諦観、赦し…。全くの無言のなかにあらゆるものがせめぎ合う…見事です❗❗

 

  ラストは素晴らしい名場面。一切のセンチメンタリズムを排除した皮肉で苦い結末ながら、それが乾いた感じにならずに、どこか哀愁があり、ひとすじの光りが射しているように思えるのは、舞台が男鹿半島だからか、それとも仲野太賀の滲み出る人間味ゆえか❓

 

見終わった後の感じは、第二次世界大戦後の貧困と荒廃をリアルに描き出した『自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ)や『鉄道員』(ピエトロ・ジェルミ)など、イタリアのネオ・リアリズモの作品にも似て…。なまはげというローカルな風習を題材にしながら、現代の日本が抱えるさまざまな問題を孕んだ、骨太な作品。

 

  是枝裕和監督が佐藤快磨監督の若き才能に惚れ込み全面的に助力を惜しまなかった、それがなかったら陽の目は見なかっただろうと言われるこの作品。佐藤監督は見事に是枝監督の期待に答え、そしてその若き才能のもとに一流の役者陣が集結した❗

 

  …そんな情熱的なエピソードを聞くにつけ、日本映画界の未来は限りなく明るい❗…と思わずにはいられない😊