オタクの迷宮~映画と舞台と音楽と Chaos-α

変わり者よと言われても 今日もオタクで生きてゆく

そして少年は大人になる~『青天を衝け』第4回

  今回、渋沢栄一(吉沢亮)は月代剃っていましたねぇ。いよいよ少年期を過ぎて、青年期の入り口に差し掛かった…ということでしょうか。

 

  前回、一番藍の収穫が虫に喰われて大変な苦労に見舞われた血洗島村でしたが、「終わり良ければ全て良し」、結果は収益も上がり、年末の寄合で東んちと中んちが音頭を取って村人たちにご馳走を振る舞うことになります。

 

  栄一は一計を案じて、それぞれ取引先の農家の藍の出来具合によって大関以下の番付表を作り、番付表通りに農民たちを順に上座から座らせます。番付によって農民たちを競わせ、武州の藍全体の品質を上げようという魂胆であります(笑)組織に所属する全員で競い合い、協力しあう近代資本主義の渋沢イズム。しっかしねぇ、凄いよね。若干14、5才ですでに、自分の経営方針を確立しちゃってる(笑)

 

  さて、寄合の当日。いつもは年功序列で上座に座る村の長老は藍の出来具合で下座に。ちなみに上座は大関の若い権兵衛さん。興奮した面持ちでウーウー唸りながら、番付表を掴んで立ち上がった長老(長老は前頭😅)。一同の間に緊張が走りますが、長老は次の瞬間大笑い。

「俺は大関の権兵衛に習って良いシメカス(肥料)買って、来年は番付の王者になってやるんべ~👊」

ナイス❗若い者を育てる年寄りはこうでなくっちゃね(笑)

前回の記事で「血洗島はアルカディアである」と書きましたが、まさにまさに❗徳川幕府が太平の眠りを貪り、士農工商というシステムそのものが動脈硬化を起こしている一方で、農民や商人たち、一般大衆はかくもどんどん底力をつけ、地位や年齢など関係ない、実力主義を具現していたとは…。

「勝ったのは(侍の)わしらではない。勝ったのは、あの百姓たちだ」

(『七人の侍』ラスト、志村喬のセリフ😅)ですわ~。

 

  このエピソードがあればこそ栄一が、とっさまの名代として農民の血の滲むような五百両の年貢を納める時の悔しさが胸に刺さるのです。どしゃ降りの雨、泥の中に頭を擦り付ける栄一。当たり前のように黙って年貢の箱を持って行く侍たち。

悔しいね、栄一。辛いね、栄一😢

今回の悔しさをさあ、どう生かしていくか❗❓…しっかし、お代官を睨み付ける時の、吉沢さんの眼ぢから、相変わらず、凄いっっ😊

 

  一方、慶喜(草彅剛)と、小姓として召し上げられた平岡円四郎の出逢い。開口一番慶喜は、「そなたには私の諍臣(そうしん。主君が正道を外れた時、諌める役を担う臣下)となってほしい」と言うんですね❗食事の作法も身につけていない円四郎の為に、自ら手本を示してやるのです。いやー、イイ男だワ、慶喜。昔むかし、仏教の開祖たるゴータマ・シッダールタは月に一度弟子たちを集め、「1ヶ月の間、私の行動に正しくないところがあったならば、教えてほしい」と問いかけたそうですが、歴代の偉人、名君はかくあるべし。

 

  硬直した武家社会に憤る栄一の姿と、武家のトップに上り詰める運命にありながら柔軟でリベラルな思想を持つ慶喜が、その瞬間一直線にビビビと繋がって、ヲタク的にはこの場面が今回のクライマックスでしたねぇ。生まれも成育環境も全く違う栄一と慶喜がなぜ後年固い絆で結ばれるのか、慶喜のあの一言だけで理解できた。毎回必ず、違う場所で違うことをしている二人が、合わせ鏡のように呼応し合う瞬間があるんですね。ストーリー構成のなんと見事なことよ😊

 

(おまけ)

福井藩主・松平慶永(要潤)の背中を流すシーン(なにげにサービスシーンでヲタク、興奮=笑)に、橋本左内(小池徹平)初登場~♥️清廉高潔な性格であったという悲劇の人。徹平くんにイメージぴったりね…。昔むかし、娘が徹平くんのファンクラブに入ってて、付き添いでシークレットライブに付いていって、ついでに握手してもらったことがあるの。まだ十代だっていうのにとってもジェントルマンだったわ…(遠い眼)