オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、映画・舞台・コンサート鑑賞後の感想をゆるゆると呟いたりする気ままなブログです。

『モーリタニアン 黒塗りの記録』~真実の重さ

f:id:rie4771:20211029140803j:image

  最近、ベネディクト・カンバーバッチ出演の映画公開が目白押し。ヲタクの内部でも『シャーロック』以来の、かなり強力な「ベネさま熱」が再燃しつつある昨今ですが、驚きなのは、どれもが重要で、且つ物凄くエネルギーを消耗するような役どころであること。名家の生まれで、何不自由ない環境に育ちながら、こと演技となると、その貪欲さときたら凄まじいばかり。ヲタク的には、映画界七不思議の一つです😮

 

  さて、今回の作品は、あの9.11同時多発テロに関わった容疑で逮捕されたモーリタニア出身の青年モハメドゥ(タハール・ラヒム)が、キューバにある米軍の悪名高きグアンタナモ収容キャンプに収監され、冤罪であるにもかかわらず(いやそもそも裁判すらも行われないまま)、結果4年間も拘束された(釈放されたのはなんとそれからさらに10年後😢)実話に基づいています。長い収監期間に生きる希望も失いかけた時、彼の親族が依頼した弁護士ナンシー・モーガン(ジョディ・フォスター)が彼を訪れます。モハメドゥに面会して彼を弁護する決意を固めた彼女は、アメリカの正義の遂行者として立ち上がりますが、それは二人の果てしない苦闘の始まりでした……。彼女と、後輩の弁護士テリー(シェイリーン・ウッドリー…『ビッグリトルライズ』のシングルマザー役が印象的)が初めてグアンタナモ収容所を訪れる場面は、その収容所内部の、どこか得体の知れない恐ろしさに身がすくみます。

 

  何が恐ろしいかって、「テロを撲滅する」という大義名分のもとに、故なき拷問や強制自白や証拠の隠滅が平然と行われたこと。(拷問のシーンは極めてリアルに描かれており、しかも長い😢気の弱い方は注意❗)「世界の守護神」を以て任じるアメリカの暗部が余すところなく描かれていました。(グアンタナモ収容所は合衆国の司法が及ばない軍の施設であり、9・11直後、アメリカ国民の間に膨れ上がった、ある意味ヒステリックな「対テロ臨戦体勢」の一つのシンボルだった…という事実は留意しておいたほうがいいかも)

 

  しかしそういう非人道的行為が行われていた一方で、それを白日の下に晒す役割として、ジョディ・フォスター演じる弁護士のように、権力に屈しない「アメリカの正義、アメリカの良心」を代表するような人物も確かに存在したわけで…。そしてその経緯もうやむやにはされず、ちゃんと明らかにされ、さらにはそれが映画になって、永久に人々の心に残る……っていうね。目的の為には手段を選ばない怖さと、嘘偽りを許さないピューリタニズム。この矛盾、このパラドックスこそが、じつは真のアメリカの姿なのか…❓と思わせるような映画でしたね。

 

  我らがベネ様は、親友が9・11のハイジャックで殺害された飛行機の副操縦士…という耐え難い経験をし、テロリストを激しく憎むようになった軍属の弁護士、スチュワート中佐。そんな彼に、軍の上層部からモハメドゥを「死刑に処すために」裁判所への立件を命じられるスチュワート。しかし彼は敬虔なクリスチャンとして、また一人の法律家として、確たる証拠もなしに人を裁くのは潔しとしない。大きな陰謀が蠢いているのを感知しながらも、なかなか真実に辿り着けずに懊悩します。派手な見せ場はありませんが、その抑圧された演技、静かな怒りの表現等々は、さすがベネさまでございました😊また、ベネさまの、ちょっと籠り気味のアメリカンイングリッシュがまた、セクシーなんですよね♥️

 

  立場は真逆で対立関係にあるとは言え、「同じ真実」を模索するうち、ナンシーとスチュワートの間には、次第に同士的な感情が育まれて行き、さらにはナンシーとモハメドゥの間にも、それこそ人種や国籍、宗教を越えた強固な友情が培われていく過程に胸打たれます。正義感溢れる、法の女神ともいうべき「鉄の女」ジョディ・フォスターはまさにはまり役❗長い年月を経て顔に刻まれた皺やシルバーヘアさえも、なんと美しいことよ。(彼女はこの作品でゴールデングローブ賞主演女優賞受賞)

 

  モハメドゥの、過酷な年月を乗り越えた末の達観とユーモア。裁判の場面、「私の宗教では「許し」と「自由」は同義語。だから、この裁判で自由になれるなら、私に対して行われたことは、許します」という彼の言葉に、ヲタクを含め、回りで見ていた人たちは皆涙を拭っていました。

 

  冒頭に写し出される、「This is a true story.」という言葉。これは真実そのものだと言い切っている。実話を題材にした映画でよく使われる「This is based on a true story.」ではないんですよね。製作者側の怒りとプロテストが、この一文だけでよくわかります。

 

  真実がずっしりと重い、しかしラストに登場するご本人の明るい笑顔によって、一筋の希望のひかりを感じさせてくれる、そんな映画だと思います。