オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、映画・舞台・ライブ鑑賞後の感想をゆるゆると呟いたりする気ままなブログ。

『マーキュリー・ファー』(世田谷パブリックシアター )鑑賞記

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 オープニング。劇場内のライトが全て消え、漆黒の闇。戦闘機の爆撃の音。そこに黒い人影が現れて、手にした懐中電灯で客席を照らす。眩しくて目を細める。私を照らすのは誰❓もうこの始まりの瞬間から、『マーキュリー・ファー』の世界に引き込まれてしまう。白井晃の演出の妙。(原作では、舞台となる廃墟のようなアパートの一室の描写から入りますから、完全に白井さん独自のアイデアなわけです😊)

 

  じつはヲタク、原作の戯曲を読んでから舞台見ました。ラストは読まないで行こうと思っていたんですが、エリオットとダレン、健気で愛しい兄弟の行く末がどうしても気になって、とうとう観劇前に最後まで読んでしまった😅でも結末がわかっていても、いやわかっているからこそ、そこに至るまでの二人のセリフの一つ一つが切なく心に染みて😢個人的には読んでから観賞して良かったと思っています。白井さんの演出の秀逸さ、斬新さもよくわかりましたし。

 

  英国の近未来。度重なる戦争によって多くの人々が命を落とし、街は見る影もないほど荒廃していました。生き残った人々も、家族や愛する人を目の前で惨殺されたトラウマから、精神を病むか、あるいは幻覚を見せてくれる「バタフライ」を口にして一時現実逃避するほかには生きる術を持たない、絶望的なディストピア。そんな中、弟を守るため、あらゆる知恵を絞り、なんとか生き延びようと必死な兄エリオット(吉沢亮)と、兄を唯一無二の存在と慕う弟のダレン(北村匠海)。これは二人の、命がけの愛の寓話なのです。

 

  冒頭のシーンもそうなんですが、白井さんによる人物像の切り取り方が凄いと思いました。エリオットは19才、エリオットの恋人ローラも19才(注・男性です)、ダレンとナズは16才のティーンエイジャー、彼らは役者さんたちが原作そのままのイメージですが、一方兄弟のアニキ分みたいな役割を果たしているスピンクス、原作のト書きによると、エリオットと2つしか違わない21才なんですよ。パーティーゲストに至っては23才❗だからヲタク、彼らが引き起こす一連の凄惨な事件も、例えば『時計じかけのオレンジ』に見られる青春期の、権威への憎しみと反抗、危うい暴走…みたいなイメージで読んでいました。でも白井さんはあえて、例えばスピンクスやパーティーゲストを加治将樹(34才)と水橋研二(46才)にキャスティングすることにより、彼らをエリオットたちの仲間…ではなくむしろ、彼らの危うさ、純粋さ、脆さに相対する存在…自分たちの欲望や身の安全と引き換えに他者を犠牲にしたり、裏取引をしたりする、「大人のずる賢さ」の代表として描いているような気がするのです。だからこそ、悪に手を染めながらも染まりきれない、友情や肉親の愛を渇望する兄弟の、若さゆえの切なさ、哀しさが浮き彫りにされたと思うのです。(ダレンと、友だちのナズ(小日向星一)の関係も可愛いすぎて…泣ける😭)

 

吉沢亮北村匠海が、お顔も身のこなしも声も透き通るように生き生きと力強く美しくて、演技ももちろん素晴らしいんだけど、存在そのものが尊いのよ、もはや❗

 

  こういう演技ができるのも若いうちだよなぁ…と、年寄りのヲタクは、舞台の始まりの懐中電灯よりずっと目映い二人に目を細めながら、しかし食い入るように見ていましたことよ(笑)しかし吉沢亮、相変わらず滑舌良くて声は真っ直ぐ響くし、怒濤のセリフ量も一字一句明確に聞こえた😮1階のちょうど真ん中辺りの良席で、最初の10分くらいは(彼ってやっぱり実在の人物だったんだ…)とか思って(笑)、初めてのナマ吉沢にアタマぼーっとしてたけど😅次第に吉沢エリオットに魅了されていきました。

 

 そして、 初日をご覧になったという俳優の久保田秀敏さんのTwitterの呟きが、ヲタクの胸に刺さります。

役者が嫉妬する作品

役者が出れなくて悔しがる作品

役者は観た方がいい作品

  初演時、20才そこそこだった吉沢亮は、同じような気持ちで、唇を噛みしめながら客席に居たのでしょうね。かつて彼が体験した「席も立てない程の衝撃」は決してその場限りの「点」では終わらなかった。今回は吉沢さん自身が衝撃を与える側の一員となり、未来に続く太く強固な「線」を形作ったといえるでしょう。こうやって、日本の演劇の歴史は連綿と途切れることなく続いていくんだなぁ…。そしてそれはきっと大きなうねりを形成し、果ては、演出の白井晃が目指すところの「社会を変える力」に成りうる筈。

 

  日本の舞台芸術の限りない可能性をまざまざと見せつけた『マーキュリー・ファー』❗

 

(ついしん)

劇中に非常に重要な役割を果たす少年(山崎光)が登場します。原作ではParty pieceつまり「パーティーの余興」という見方によっては極めて残酷な言い方をしているんですが、翻訳は「パーティープレゼント」となっており、その日本的情緒が素晴らしいと思いました。字面を訳すのではなく、文化の翻訳というところが。それに、言葉一つ訳すにも、その方の人間性が出ますよね😊大空ゆうひさん演じるDuchess(公爵夫人)も、「姫さま」と訳されてます。周囲の男たちにとって彼女は、単なる位の高い女性じゃない。愛を込めて「姫」と呼びたい存在なんですね。

 

パンフレットをお持ちの方は、白井さんのインタビューの中で「I love you so much I could kill you」について、白井さんがcouldに着眼したくだり、ぜひお読み下さい。ヲタク、目からウロコ…でした❗作品のテーマ(特にラスト)に深く関わっていると思います。

 

(ちょっと小ネタ)

  パーティープレゼントはエルヴィス・プレスリーみたいな髪型にラメラメの衣装着せられるんですが、原作のquiffは、セリフではさらっとリーゼントと訳されてます。ニクイです🎵海外ではリーゼントとは呼ばず、英国ではクイッフ、米国ではポンパドールでしたか。(最近では日本でもたまに聞くようになりましたけど、まだまだマイナーな呼び方ですものね😊)