オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、映画・舞台・ライブ鑑賞後の感想、推し活のつれづれなどを呟いたりする気ままなブログ。

ドキュメンタリー『ルキノ・ヴィスコンティの世界』~デカダンスの表現者

デカダンスとは……

退廃主義。頽唐(たいとう)派ともいう。衰微、衰退を意味する語で、ギボン著『ローマ帝国衰亡史』(1776~88)に読まれるように、ローマ帝国が爛熟(らんじゅく)から衰退、破滅に向かう過程の病的で享楽主義的文芸の風潮をさすことば。19世紀末フランスにおいて、ボードレール、ベルレーヌ、マラルメランボーらの悪魔主義象徴主義の影響を受けたモーリス・ド・プレッシー、ロダンバック、ラフォルグら一群の象徴派詩人たちが自らをデカダンとよんだことから、世紀末的文芸思潮の呼称となる。

……コトバンクより

 

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ヴィスコンティに見出だされ、晩年の作品の数々に出演したヘルムート・バーガー。バーガーはヴィスコンティの死後、彼との性的な関係を暴露し、「僕はヴィスコンティの未亡人だ」などと発言して、物議を醸しました。

 U-NEXTで、イタリア映画の巨匠ルキノ・ヴィスコンティの生涯とその製作の秘密を探ったドキュメンタリー映画ルキノ・ヴィスコンティの世界』

デカダンス表現者」とも称される彼。ナチスドイツに侵食されていくドイツの鉄鋼王一族の愛憎を描いた壮大な一大叙事詩地獄に堕ちた勇者ども』で、まさに「デカダンス表現者」たるヴィスコンティに夢中になり、『ヴェニスに死す』、『ルードウィッヒ』、『山猫』でますます熱は高まるばかりだったヲタク。……しかしこのドキュメンタリーを見て、彼の映画製作の原点に初めて触れ、デカダンスとは対極にある彼の、全く別の一面を見ることができました。

 

  ヴィスコンティの映画人生の始まりは、あの独裁者ムッソリーニの息子が編集長を務める「チネマ」誌。編集部にはロベルト・ロッセリーニフェデリコ・フェリーニが出入りしており、いわゆる「ネオ・リアリズモ運動」は、ムッソリーニの国威高揚のアジテーションに対する反発から起きたものである……というのは、このドキュメンタリーを見て目からウロコでした。

 

  ミラノの裕福な貴族の家に生まれたヴィスコンティ。(父は北イタリアでも指折りの貴族、モドローネ伯)しかしその豪奢な貴族生活も、第二次世界大戦でイタリアがムッソリーニ独裁制となり、ナチスと手を結んだことから、脆くも崩れていきます。(大戦中は、屋敷を密かにレジスタンスの闘士たちに使わせていたそう)大戦中はレジスタンスのシンパであり、戦後はイタリア共産党に入党、『揺れる大地』や『郵便配達は2度ベルを鳴らす』『ベリッシマ』など、虐げられた貧しい人々の生活をリアルに描いた作品を次々と発表したヴィスコンティ。そんな彼が、いかにして「デカダンス表現者」となったのか?

 

  1948年にイタリアは完全に共和制に移行、貴族はその特権をことごとく取り上げられました。戦後次第にネオリアリズモ運動も下火になり、ヴィスコンティ自身もまた、イタリア共産党を離党します。

 

  彼にとってエポックメーキング的な作品が『山猫』。イタリア貴族の末裔ランペドゥーサ原作のこの作品は、シチリア戦争の只中ブルボン王朝が駆逐され、旧体制が滅び行くさまを、年老いた伯爵(バート・ランカスター)の眼を通して描いたもの。ヴィスコンティはこの映画で、衣装、食器、内装、食事をはじめとして、貴族たちの暮らしぶり、言葉づかい、礼節、マナー等貴族の生活を寸部の隙もなく表現するという離れ業をやってのけました。このドキュメンタリーの中でも、1回の撮影に何千本という蝋燭を使用するため、俳優たちの頭上に熱い蝋のしずくがポタポタ垂れて大変だった……というエピソードが披露されています。


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バイセクシュアルを公言し、生涯伴侶を持たなかったヴィスコンティ。彼の作品の中のアラン・ドロンは、若さと美しさが溢れんばかり。

 

  『山猫』を契機としてヴィスコンティは、彼本来の貴族趣味、滅び行くものに対する哀惜の情、耽美主義、デカダンス……等々を、美しい映像で余すところなく描くようになります。その白眉とも言える作品が、トーマス・マン原作の『ベニスに死す』でしょう。克己心が強く、血の滲むような努力によって美を造型してきた芸術家アッシェンバッハ(ダーク・ボガート)が、自然の造型の賜物とも言える美少年(ビヨルン・アンドレセン)に惑溺し、自らの才も、地位も、そしてしまいには自らのいのちさえ腐らせていくさまを冷徹に描いた作品です。ハンガリー貴族の少年タジオを演じたビヨルン・アンドレセンの美しさはもちろん圧倒的でしたが、ヴィスコンティが力を込めて描きたかったのは、じつはタジオの母親である伯爵夫人(シルヴァーナ・マンガーノ)だったようです。

 ヴィスコンティが実は私に、自らの母親の再現を求めているのはすぐにわかったわ。

彼は「母はこのようにスカーフを巻いていた。同じように巻けるかい❓」と聞くの。

そして、こう言ったわ。「君は少年タジオの母親としてだけじゃない。僕の記憶の中で、母の記憶と結び付いて永遠に生き続けるだろう」とね。

 

『ベニスに死す』の僅か5年後には、この世を去ることになるヴィスコンティ。この映画には、腐りかける前の瀾熟の美や、死の色濃い、不吉なイメージが内包されていますが、ヴィスコンティは自らの遠からぬ死を予感していたのでしょうか。


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※主人公の理性を侵食していく美少年タジオ(右……ビヨルン・アンドレセン)とその母親の伯爵夫人(シルヴァーナ・マンガーノ)。

 

 上映権が終了間近で、もう映画館では上映されなくなると聞き、去年、見納めに『山猫』を観に行ったヲタクですが、『地獄に堕ちた勇者ども』も、配信サイトではもう見れないようです😢『ベニスに死す』はかろうじて見ることができるようですが……。

 

  画面の隅々まで「本物」にこだわった、まるで1つの芸術品のようなヴィスコンティの作品。どうか、機会があったら配信サイトで、ぜひ鑑賞してみて下さい。契約切れで見ることができなくなる前に。