オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、鑑賞後の感想をゆるゆると呟いたりする気ままなブログ。

映画で初めて知る偉人の生涯『キュリー夫人〜天才科学者の愛と情熱』


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 名前は世界中の誰もが知っているキュリー夫人。女性で初めてノーベル賞を受賞した(しかも2度も❗)ラジウムの発見者。……でもそのほかは?恥ずかしながらヲタク、映画を観る前のキュリー夫人の知識ときたら、上の3行で終わってしまってました。(^_^;)

 

 19世紀のパリ。ポーランド出身の女性研究者マリア・スクウォドフスカ(ロザムンド・パイク…強固な意志を秘めた瞳と、凛々しい表情がキュリー夫人のイメージにピッタリです)は、ある日ソルボンヌ大学の教授たちに呼び出されます。彼女が研究室のスペースを取りすぎていて、しかも他の研究者たちと協調性がないと。マリアは頑迷な教授たちと押し問答の末、「そんな研究室などこちらから願い下げです❗」とタンカを切って飛び出してしまいます。自宅で実験を試みるも当然うまくいくはずもなく、彼女の焦燥は募るばかり。そんなある日、彼女に声をかけてきた人物が。ピエール・キュリーという温厚な男性は同じソルボンヌ大学の研究者で、自分の研究室を使っていいと彼女に申し出ます。初めは彼を警戒し、ことあるごとに肩肘を張っていたマリアも、彼女を大きく包み込むようなピエールの温かい人柄に次第に心を開いていきます。生涯の伴侶と共同研究のパートナーを同時に得た二人は日夜研究に没頭し、それはラジウムポロニウムという新しい2つの元素の画期的な発見へと繋がりますが……。

 

 キュリー夫人が発見したラジウムは諸刃の剣。研究に取り組むキュリー夫人の生涯に、後に彼女の発見が人類に多大な影響を与えた、そのさまざまなエピソード〜広島への原爆投下、ラジウムを使ったキュリー療法によるがん治療、ネバダ核実験場での一般見学(ネットで調べたら、かつてはラスベガス観光の一環に、核実験見学が組み込まれていた時代もあったとか。今となっては信じられない話ですが)チェルノブイリ原発事故…等のシーンが、挿入されていきます。この演出は素晴らしいと思いました。生涯実験につぐ実験で、大量の放射能を浴び続けたキュリー夫人は、最後は白血病で亡くなりました。彼女が使用した身の回りの物は鉛で封された箱に収めて保管され、直接閲覧するには防護服着用が必須だそうです。凄まじい……。

 

 放射能の有益性と共に、その破壊力をも知り尽くしていた夫人が最後まで心配していたのは、その破壊力を悪用されはしないかということ。核兵器開発に走るどこぞの国の為政者に、この映画見せてやりたいものだわ(怒)

 

 夫妻の長女※イレーヌ(アニャ・テイラー=ジョイ)も両親の遺志を受け継ぎ、人工放射能の研究で親子2代に渡りノーベル賞を受賞しました。第一次世界大戦中、野戦病院にはX線検査機がなかったため、単なる骨折でも四肢を切断される兵士が続出していることを聞いて、夫人とイレーヌが検査機を積んだジープを駆って前線に乗り込んでいく場面は胸アツです。

イレーヌもまた、研究による大量被爆の為、58才で白血病の為逝去……😭

 

 恥ずかしながらヲタクの中で、女性研究者の先駆け、世界の偉人の1人…といった漠然としたイメージしかなかったキュリー夫人。彼女の偉大すぎる業績と研究の苦労だけでなく、馬車の事故で46歳の若さで逝った夫ピエールの死を受け入れられず、科学者でありながら降霊術を頼り、夫の霊を呼び出そうとしたり、空虚感に耐えかねて夫の弟子ポール・ランジュバン(※アナイリン・バーナード)と不倫に走ったり……1人の女性マリ・キュリーの知られざるエピソードもちゃんと語られています。


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不実なイケメン、ランジュバン役にアナイリン・バーナード(『ダンケルク』、BBCドラマ『戦争と平和』、Netfix『1899』)。カイゼル髭で最初誰だかわからなかった(^_^;)でも、甘いマスクにちょうどいいアクセントになってて◎❗

 『1899』では、事件のカギを握る「ナゾの男」役で得意な存在感を放っていましたが、シーズン1のみで打ち切りですってね。欲求不満……(笑)


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※素顔のアナイリン・バーナード

 

 政治も、歴史も、来たるべき未来も、恋愛や結婚の何たるかも、みんな映画が教えてくれる。

 

……だから映画はやめられない❗(笑)

 

★今日の小ネタ

 とかく切り口上で直裁的な物言いをするために、周囲との軋轢が耐えなかったキュリー夫人。知人たちは、研究者としては素晴らしいけれど人柄が……といった受け取り方をしていたようですが、ヲタクは個人的には、彼女がポーランドからの移民だった……という事実が大きいと思います。だって、彼女がパリの地を初めて踏んだのは24歳の時ですよ❗自分を表現したり、対人関係で細かいニュアンスを表現するの、難しいですよね。言葉の面での行き違い、けっこうあったんじゃないかな。しっかし、それでも後年、ソルボンヌ大学で女性初の教授に就任……やっぱ、天才(笑)