オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、映画・舞台・コンサート鑑賞後の感想をゆるゆると呟いたりする気ままなブログです。

独裁者という名の怪物〜『TAR/ ター』のケイト・ブランシェット

 
f:id:rie4771:20230519185649j:image

KINOシネマ横浜みなとみらいで『TAR /ター』(ケイト・ブランシェット主演)鑑賞。KINOシネマの概要には

映画史をとどろかす怪演に、世界平伏❗

とありますが、まさにその通り❗彼女の名演の前にもはや口あんぐり黙ってひれ伏すしかございません(笑)

 

 世界を代表する名優の1人である彼女が今回演じたのは、女性の指揮者として頂点を極めたリディア・ター。レナード・バーンスタインの後継者と目され、アメリカの5大オケ(ニューヨーク、シカゴ、ボストン、フィラデルフィア、クルーヴランド)を指揮した後、ベルリン・フィルの主席指揮者に就任して早や7年が経っていました。

 

 天才としての強烈な矜持を持つター。今彼女が情熱を燃やしているのが、マーラー交響曲第5番のライブ録音。自室でクラウディオ・アバドベルリン・フィルを指揮した第5番のLPをヒールで踏みつけるシーンだけでも、いかに彼女が傲岸不遜かわかろうというもの。そしてまた彼女は自身がレズビアンであることも堂々とカミングアウトしており(カミングアウトによって世間からどう思われるかなどという小市民的な考えは、彼女には無縁のようです)、それどころかその立場を利用して若い女性の音楽家たちに恒常的にセクハラを繰り返しています。

 

 ジュリアード音楽院で教鞭をとる彼女はある日、

「バッハは女性差別主義者だから好きになれない」という若い音大生(注・男性)を、「個人のパーソナリティーと、作品としての偉大さを同列に扱うべきではない」と、彼女は真綿で首を絞めるようにネチネチと彼を追い詰めていきます。(この時のケイト・ブランシェットがまた巧くて。次第に偏執狂的になっていく顔つきが怖い(^.^;)……まあ、独裁者にありがちなパターンですね。別な場面で、セクハラの告発を受けて解雇されたジェームズ・レヴァインアメリカの指揮者)やシャルル・デュトワ(「音の魔術師」の異名をとるスイス出身の指揮者)を擁護する発言もしています。


f:id:rie4771:20230519193700j:image

※ロシア人チェリスト・オルガ(ソフィー・カウアー…彼女は実際のチェリストで、オーディションを経て本作で俳優デビュー)の優れた才能と天真爛漫さに惹かれるター。二人の関係は他の団員の嫉妬の的となり…。

 

 ……そんなターの人生にも、ご多分に漏れず大きな落とし穴が開いていました。かつてのターの教え子で、性的な関係を持ちながら破綻した相手、新進女性指揮者クリスタが自殺したのです。二人の関係が破綻した時、ターはクリスタをベルリン・フィルから追い出し、彼女を誹謗中傷したメールを送っていた事実を彼女の両親から告発されたのです。

 

 それからは坂道を石ころが転がるようにターの人生は破滅の一途を辿ります。元々不眠症に悩まされていた彼女は度重なる悪夢や幻聴、メトロノーム機械的な音、クリスタの筆跡を連想させる謎の落書き等、様々なものに過剰反応を示し、次第に錯乱状態になり……。

 

 最初にも言いましたけど、もはやケイト・ブランシェットの圧倒的な一人芝居で、特に前半のアメリカ英語とドイツ語を自在に繰る冷酷で尊大な絶対君主から、神経を病み、どん底に陥るまでのプロセスが見事と言うほかありません。ヴェネチア国際映画祭のポルピ杯(最優秀女優賞)とゴールデングローブ賞での最優秀主演女優賞(ドラマ)を制覇したのも納得❗


f:id:rie4771:20230519200046j:image

※ターの曲解釈に探りを入れ、模倣しようとする姑息な指揮者エリオット(マーク・ストロング)。首席指揮者の地位を追われたターの後釜にちゃっかり座るものの、激高したターからボコボコに…(^.^;

そんな小者を、『裏切りのサーカス』や『キングスマン』など、マスキュリンな役を演じることの多い彼にキャスティングしたのがミソ。名前も「ストロング」だしね。笑

 

 ヒリヒリとした緊張感で時に見るのが辛くなるような作品ですが、音楽界から背を向けられ、どん底に墜ちたターが、(頂点を極めたマエストロがこんな所で?)と思わせる場所で指揮をとるラストシーン。権力をもぎ取られた彼女にとって、残されたのはやはり音楽だけ。そこに音楽がある限り、望まれれば全身全霊でタクトを振るしか道はない。絶望の先に差す微かな希望の光を暗示しているようです。

 

 最近は「有害な男らしさ」や#Me tooを描いた映画(『パワー・オブ・ザ・ドッグ』『スキャンダル』『シー・セッド その名を暴け』など)がトレンド。しかし本作は架空の人物ではあるものの主人公は女性。権力に魅入られたら男女の別などない、誰もが独裁者という名の怪物になり得る。今までの既成概念を見事に引っくり返した、言わば「裏ジェンダーレス」映画?(^.^;

 

 この映画が撮了後、ケイトは引退を仄めかす発言をしたそうですが、さもありなん。1つの作品でこれほどまでに演技を極めてしまったら、これ以上何をやったらわからなくなると思う。

 

 不世出の大女優の一世一代の名演技。映画館でぜひ体感して下さい。

 

★今日のオマケ

ターは指揮者の集大成としてライブ録音に執念を燃やしますが、その曲目がマーラー交響曲第5番第4楽章。ハイ、ご存知ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ヴェニスに死す』で使われていたあの曲。ヴィスコンティ監督崇拝者のヲタクとしては、今回この曲が流れてきた途端、『ヴェニスに死す』冒頭、主人公のダーク・ボガートが乗った船がサンタマリア・デッラ・サルーテ聖堂に次第に近づいていく場面を思い出して背中がざわざわ、パブロフの犬状態(笑)


f:id:rie4771:20230519201623j:image

※どさくさに紛れて『ヴェニスに死す』の写真も載せちゃうヲタク。笑

 

 トッド・フィールド監督は、当初「ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』に使われたことで、⼤衆的な曲だと⾒なされるようになった」ため、この曲を使用することに迷いがあったとか。ヲタクなんて『ヴェニスに死す』でこの曲を知ってCD買った大衆の1人だから何も言えないけど(^.^; さまざまな形でクラシック音楽が大衆化されていくのは、決して悪いことじゃないと思ってる。