オタクの迷宮

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アイルランドの闇と光〜『コット、はじまりの夏』


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 前世はアイルランド人だったのでは?と勝手に妄想しているオタク。アイルランドが舞台で、しかも全編セリフはケルトゲール語という、正真正銘のアイルランド映画が公開された……ということで、早速観に行ってきました❗横浜は黄金町のミニシアター「ジャック&ベティ」。


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※コットを演じるのは、本作品がデビュー作となるキャサリン・クリンチ。台詞は少ないながら、喜怒哀楽の感情を全て瞳と表情で語る繊細な演技が素晴らしい❗同じアイルランド出身のシアーシャ・ローナン以来の逸材ではないでしょうか。彼女は本作品の卓越した演技により、IFTA賞(アイリッシュ映画&テレビアカデミー賞)主演女優賞を史上最年少(12歳)で受賞しました。

 

 舞台は1981年、アイルランドの片田舎。主人公コットは、両親と、彼女を含めて子供5人(しかも母親は妊娠中)の大家族の中で暮らしていました。ひどく無口な彼女は、学校はおろか、家族からさえ関心を持たれることがなく、父親などは彼女のことを「はぐれ者」と言って憚らない始末。農場の収益を父親がギャンブルに持ち出してしまうため、子どもたちの日々の食事もままならず、コットは「口減らし」のため、夏休みに母親のいとこであるアイリン・キンセラ(キャリー・クロウリー)と夫のショーン(アンドリュー・ベネット)夫妻が営む農場に預けられることに。初めは戸惑っていたコットも、アイリンに髪を梳かしてもらったり、一緒に料理を作ったり、本の読み方を教えてもらったり、また、頑固で不器用だが心優しいショーンと仔牛の世話や牛小屋の清掃をしたりするうちに、生きることの喜びを見出していきます。……しかし楽しい生活も永遠には続きません。家に帰る日がやってきました。打ちひしがれるコット。彼女を送り届けた後、農場に戻ろうとするキンセラ夫婦の車を、コットは必死になって追いかけるのでしたが……。

 

 3食きちんと食事をとること、日の終りにはお風呂に入って1日の汚れを落とすこと、清潔な衣服を身につけること、生活するのに最低限必要な技術を教えてもらうこと……。9歳になるまで、家庭において当たり前なことが当たり前に与えられていなかったコットの日常に胸が痛みます。原題は『The Quiet Girl 無口な少女』ですが、キンセラ夫妻に次第に心を開き、次第におしゃべりをするようになっていくコットを見ていると、これまで彼女が無口だったのは、学校にも家庭にも彼女の言葉を真剣に聞こうとする人がいなかったのだ、そして彼女自身もまた、貧困のために家族がいがみ合う中、自分の意思や希望など話しても無駄だ……と諦めていただけなのだと、我々は気づくのです。

 

 映画の舞台は1981年。これが、この作品を理解する上で、大きな意味を持ってくるんですね。というのは、アイルランドは、80年代までは、ヨーロッパの病人とも言われ、西欧諸国の中では生活水準が最も低い国の一つであり、70年代〜80年代は、インフレと高い失業率、財政赤字に悩まされ続けてきました。ところが1990年代ヨーロッパ統合に伴い、アイルランドは積極的に外国資本による直接投資を受け入れ、特にアメリカ系企業のヨーロッパ向けIT生産拠点となることで飛躍的な経済成長を遂げます。(アイルランドはその1995年〜2007年の経済成長を以て、「ケルトの虎」と呼ばれるに至りました)コットとその家族は、言わばアイルランドの夜明け直前、薄闇の時代に生きているわけです。

 

 キンセラ夫妻の優しさに触れ、生きる希望を取り戻したコットはラスト、初めて自分の言葉で自分の意志を叫ぶのです。しかし、これまでドキュメンタリー作品を中心に、子どもの視点から家族の問題を描き続けてきたコルム・バレード監督は、予定調和的な、センチメンタルで甘い結末を用意してはくれません。少女は愛に満ちたアルカディアから、再び過酷な現実に戻っていかなくてはならないのです。しかし、ひとたび真の愛情を知った少女はきっと、それを心の支えに、困難を力強く乗り越えていくに違いない……。そんな微かな光明を、観ている私たちに与えてくれるようなラスト。(がんばれ、コット!君が大人になる頃には、環境はずいぶん豊かになっているよ)と。

 

 英国からの搾取政策をくぐり抜け、幾多の困難を乗り越えて生き抜いてきたアイルランド人たちに捧げる讃歌……とも言うべきでしょうか。バレード監督の故郷、アイルランド愛が溢れる作品でしたね。