ヒットラーの片腕として、事実上ホロコーストの1番の責任者といえる、悪名高きアウシュビッツ収容所所長ルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)。彼は収容所のすぐ隣に邸宅を構え、妻(ザンドラ・フュラー)と子供たち、使用人と共に暮らしていたのですが、この映画は彼の所長時代の日々の生活を描いたもの。しかし作品を貫く淡々とした「日常性」が、かえって観ている我々の恐怖をじわじわと増殖させていきます。そしてそれは、まるで黒いシミになって、私たちの身体に染みついてしまうのかと思うほど。
作品では決して、収容所内の酷たらしい光景を映し出そうとはしません。しかし私たちは、ローズマリーやライラックが美しく咲き誇る庭の背景に、絶えず黒煙を吐き出す巨大な煙突や、蒸気機関車の煙、ヘスが髪を洗うとシンクに流れ出てくる黒い筋を見る時、不安と恐怖に苛まれます。いや、1番恐ろしいのは、1日中ユダヤ人たちの阿鼻叫喚の声や拳銃の音を遠くに聞きながら、幸せそうに笑っているヘスや妻、子どもたちの姿かもしれません。特にヘスの妻は、金持ちのユダヤ人女性の遺品である毛皮のコートを嬉々として身にまとい、ポケットに入っていたルージュをつけて鏡に向かって歯を剥き出し、ニッと笑ってみせます。彼女とSS将校たちとのお茶の話題は、ユダヤ人の遺品の中からいかに「掘り出し物を見つけるか」ということ。ヘスの妻が、「歯磨き粉の中にダイヤが入ってたのよ!……本当に(ユダヤ人たちは)悪賢いんだから」と、お菓子を頬張りながら言った時にはヲタク、恐怖と嫌悪感で全身総毛立ちましたよ。……特に、ラスト近くの「アノシーン」の衝撃は凄まじい。ヲタク的には、『夜と霧』(1955年…アラン・レネ監督)を観た時と同じくらいショックを受けました。
様々に解釈を加えられている映画ですが、ヲタクは映画館から明るい日向に出た時、不安なく雑踏を歩けることが、しいて言えば生あることそのものが、ただただ有り難かった。これからどんなに苦しい出来事があっても、生きていたいと強烈に思いました。単純すぎると言われるかもしれないけど、それが偽らざる心境です。現在の世界に弾き比べて批評する余裕なんて、なかったよ。
※広大な庭で短い夏を満喫するヘスと家族、友人たち。しかし、有刺鉄線を張り巡らした塀の向こうはアウシュビッツ捕虜収容所。今日も断末魔の叫びが聞こえる……。
『関心領域』は、A24スタジオの作品。エンターテイメント性を大事にしながら、今世界が抱える様々な問題を世に問いかけるA24にはヲタク、絶対的信頼を置いているけど、今回もまた、期待を裏切らない作品でした。2023年5月19日に第76回カンヌ国際映画祭にてグランプリとFIPRESCI賞、第49回ロサンゼルス映画批評家協会賞では作品賞を受賞、2023年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞ではトップ5に入っています。
撮影監督は、ポーランド出身のウカシュ・ジャル。若干43才にして、撮る映画撮る映画、欧米の各映画賞総ナメの映像の天才。彼は、同じポーランド出身のパヴェウ・パヴリコフスキと組んで、『イーダ』(2014年)、『COLD WARあの歌、2つの心』(2018年)というモノクロ映画の名作を撮り、一方では、『ゴッホ最後の手紙』や『もう終わりにしよう。』で鮮やかな色彩感覚を見せました。今作品では、ポーランドの目に染みるような美しい風景が、ホロコーストという人類史上類を見ない非人道的行為の恐怖を際立たせています。
……しかしラスト、ヘスのあの行為は何を意味していたのだろうか❓ヒットラーの片腕として、ニュールンベルグ裁判の後若干45才で絞首刑に処せられた彼にも、一縷の良心が残っていたのだと、ヲタクは信じたい。