オタクの迷宮

海外記事を元ネタにエンタメ情報を発信したり、映画・舞台・ライブの感想、推し活のつれづれなどを呟く気ままなブログ。

スピードに取り憑かれた男〜映画『FERRARI フェラーリ』


f:id:rie4771:20240712115206j:image

 「KINO CINEMA横浜みなとみらい」にて、マイケル・マン監督の『FERRARI フェラーリ』鑑賞。

 

 世界に名だたる自動車メーカー「フェラーリ」の創業者であるエンツォ・フェラーリ(1898〜1988)。当初はレーシング・ドライバーを目指したもののそちらの才能には恵まれず引退した彼は、フェラーリ社を創業してからもスピードへの執着が捨てきれず、レーシングチームを作ってF1をはじめとするスピードレースに次々と参戦し、資金を枯渇させた上、労使紛争を解決できずに一時は倒産寸前に追い込まれます。本作は、そんなエンツォ・フェラーリの、人生最悪の1年(1957年)を、監督マイケル・マンが乾いたタッチで描いたもの。実在の人物を描く場合、極力客観的に、冷静に描く手法って嫌いじゃないな……と改めて思いました。

 

 1957年。イタリアの自動車メーカー「フェラーリ」の創立者であるエンツォ・フェラーリアダム・ドライバー)は、様々な危機に直面していました。。妻ラウラ(ペネロペ・クルス)と共同経営のフェラーリ社は労使関係の悪化に伴って経営の危機に瀕し、1年前に最愛の1人息子ディーノを難病により失ったことで夫婦生活は破綻していました。一方、当時エンツォの唯一の心の支えだった愛人リナ・ラルディ(シャイリーン・ウッドリー)との間に生まれた息子ピエロを認知することは、事情を知って激怒したラウラにより許されないまま。追い詰められたエンツォはそれら様々な軛を断ち切るように、カーレースにのめり込んでいきます。そしてついにイタリア全土1000マイルを駆け抜ける過酷なロードレース「ミッレミリア」の開催日を迎えます。チームメンバーには、それまで殆ど負け知らずの天才レーサー、スペイン貴族のアルフォンソ・デ・ポルターゴ(29才)も名を連ねていました。しかし彼らは知りませんでした。その日、ミッレミリア史上最悪の悲劇が起きようとしていることを……。

 

 実在の人物を映画で描く方法には2通りあり、その人の人生あるいは半生を大河ドラマふうにガッツリ描くか、あるいは人生に大きな影響を与えた出来事、人生の転換期における心情の変化にスポットを当てるか、どちらかかと思います。前者はとかくエモーショナルになりがち。一方、後者の代表作としては、『マリー・アントワネット』(2007年…ソフィア・コッポラ監督)や『スペンサー/ダイアナの決意』(パブロ・ラライン監督)、『エリザベート 1978』(2022年)があり、監督の持つ独自の視点が前面に出てきます。今回の作品も圧倒的に後者の部類でしょう。


f:id:rie4771:20240711211203j:image

エンツォ・フェラーリを演じるのは、アダム・ドライバー。日頃は分別のある誠実な人物を演じることの多い彼ですが、今回はヴィジュアルからしてイタリアの自動車王になり切り、鬼気迫る演技を見せます。

 

 ……しかしなぜ、1957年だったのか。フェラーリのように富や名声を享受した人間であっても、ふとした瞬間、心の隙間にひとたび「執着」「依存」という魔物が入り込んで理性を奪われてしまったら、たとえ周囲を不幸に巻き込んでも、もう止められない。不眠不休で働く自社の労働者たちを評して「惨めなもんだな」と呟き、ミッレミリアの前哨戦でライバルのマセラッティ社に惨敗したフェラーリ・チームに「死ぬことを恐れるな。勝てないドライバーはいらない。ラインを奪うことだけ考えろ」と、何かに取り憑かれたような眼をして言い放つエンツォ。そんな彼の姿を見る私たちは、彼の行く手に待ち受けるのは、ぽっかり空いた心の地獄の入り口だと悟るのです。

 

 

 フェラーリやポルターゴだけではない、平凡な人生を歩んでいる私たちでさえ、いつ何時、「何か」にのめり込みすぎて、狂気めいた感情に翻弄され、気がついた時には大切なものを犠牲にしているかもしれない。その「何か」が、人によってアルコールであったり、恋愛であったり、スピードであったり、SNSの世界であったり……さまざまに変化はするけれど。実際エンツォ・フェラーリは、妻や部下たちの信頼を失い、ポルターゴは自らの命すら失ってしまった。途中エンジニアたちが「タイヤが磨耗している。交換しなければ危険だ」と止めるのも無視して、ポルターゴはレースに飛び出し、エンツォもまたそれを見て見ぬふりをしたことが生死を分けたと思います。


f:id:rie4771:20240712143045j:image

※最愛の息子を失い、結婚生活をも破綻の淵に追い込まれるエンツォの妻ラウラを熱演するのは、ペネロペ・クルス

 

 マイケル・マン監督はフェラーリの「最悪の1年」を描くことで、何かに依存しなければ生きていけない私たち現代人の心に潜む一種の「危うさ」に、警鐘を鳴らしているような気がしてならないのです。

 

 作品のクライマックス、ミッレミリア・カーレースの場面は、まるでレーサーと一緒に走っているかのような臨場感が物凄いド迫力。しかし、花形レーサーの死という同様の悲劇が語られたにも関わらず、この映画には『フォード VS フェラーリ』(2020年……ジェームズ・マンゴールド監督)のような一発逆転の爽快感は微塵も感じられません。全編を通して描かれるのは、スピードに取り憑かれた男の悲劇と、カーレース界の深い闇。ミッレミリアの事故の再現場面は、PG12では甘いのでは❓と思うほど凄惨を極めてショッキングなので、気の弱い方はご注意。

 


f:id:rie4771:20240712190515j:image


f:id:rie4771:20240712190529j:image

※雨に濡れそぼる今日のみなとみらい。映画が始まる前、階下のスタバでぼーっとしているヲタクの窓越しに大勢の海外旅行者が通り過ぎていきましたが、欧米の方たちってなぜあんなに傘をささないんだろう(・・?いまだにナゾである。