日生劇場にて「天保十二年のシェイクスピア」(マチネ)鑑賞。
天保水滸伝を下敷きに、あの英国の文豪シェイクスピアの戯曲全37作品(正しくは「十二夜」を除く36作品)のパロディを散りばめた「天保十二年のシェイクスピア」は、言わばシェイクスピアの紅白歌合戦みたいなものだから、師走に見るのは作者・井上ひさしさんの趣旨にも叶ってるはず……と、独断と偏見で思う(笑)井上ひさしさんはヲタクの大学の先輩。(但し、井上さんは外国語学部フランス語学科のご出身で、ヲタクは文学部英文学科。外国語学部が第一志望だったんだけど、そっちは落ちた 笑)ご健在の頃は、同窓会の席で講演して下さったこともありますよね…。(遠い眼)
「天保十二年のシェイクスピア」のプロローグの歌の中で井上さんは「もしもシェイクスピアがいなかったら、文学博士になりそこなった英文学者がずいぶん出ただろう」と、しょっぱなから強烈なギャグと皮肉をかましてくるわけですが、このくだりを聴く度に、歌詞があまりにも的を得ていて、大学でシェイクスピアの机上の講義をさんざん受けたヲタク的にはちょっとムズムズした気持ちになっちゃう(笑)…つまり、大学時代シェイクスピアの作品に触れる度にヲタクは、(シェイクスピアの作品群って、大学の教室で、先生も生徒もお互いにしかめつらして大真面目に学ぶものなの❓️シェイクスピア自身そんなこと望んでいたのかな❓️)って思いがムクムクと湧いてきてたから。大学は厳格なカトリックの大学で、シェイクスピアの講義もキリスト教的なフィルターを通したものばかりだったから、なんだかいつも片手落ちみたいな気がしてた。シェイクスピアの作品ってオリジナルの戯曲を読んでみると、実はダジャレやギャグや下ネタの宝庫で、その中に深遠な人生哲学が眠ってる……っていう。まさに今回の舞台のキャッチコピー「劇場が熱くたぎるカオスで包まれる」なんですよ❗️机に向かって大真面目に「研究」するものじゃなくて、それこそお酒でも飲みながら大笑いして観て、そしてふと、観終わった後に、その中に潜むシェイクスピアのメッセージに思い至る…というね。きっと井上さんがこの戯曲を執筆した動機も、そんなところにあったんじゃないでしょうか。(シェイクスピアって凄く面白いんだよ、ワクワクするんだよ❗️そんな肩肘張らず、気軽に見てみて)っていう。そういう意味では、井上ひさしという戯作者は、シェイクスピアの直系の弟子とも言えるのではないか。
今日の舞台、※佐渡の三世次役の浦井健治さんはじめ、演者たちが井上さんのメッセージをしっかり受け止めて、実に愉しそうに生き生きと演じているのが大正解❗️でしたね。前回はきじるしの王次役だった浦井さんが、登場人物の人生をマリオネットのように繰り、最後は自分も破滅していく佐渡の三世次役(リチャード三世だけじゃなくて、後半にはイアーゴー(「オセロ」)みも混じってくる)。ただの悪役ではなく、憎み切れない愛嬌もありつつ、「きれいはきたない、きたないはきれい(ご存知「マクベス」の魔女の台詞)全ての値打ちをごちゃまぜにする その時はじめて俺は生きられる」と謳う時の圧倒的な色気は、鶴屋南北が生み出した民谷伊右衛門(「東海道四谷怪談」)をはじめとする歌舞伎の「色悪(いろあく)」を彷彿とさせました。カーテンコールの挨拶で「(この作品を演じていると)シェイクスピアから人生の宿題を出されている気がする」と言っていた浦井さん。一座の座長役として、がっちり舞台の要を果たしているように感じました。もう、今回の舞台はただただ浦井さんLOVE٩(♡ε♡ )۶歴代の三世次役は唐沢寿明、高橋一生……と錚々たるメンツですが、それでもヲタクは、浦井さんがダントツ魅力的だったと思う。雲の上の井上ひさし先生もさらに目を細めて(笑)喜んでらっしゃるでしょう。
※モデルはリチャード三世。佐渡(マルキ・ド・サド)をくっつけたのはフランス語学科出身の井上さんならでは❓️(笑)
王次役の大貫勇輔さん、歌は上手いし身体表現はしなやか、体幹もしっかりしてるし華もある(有名なダンサーさんなんですよね)……だけどだけど(ゴメンナサイ)、ヲタクにとってきじるしの王次は蜷川版(2005年)の藤原竜也で止まっちゃってる……。もう20年経つんだからいーかげん忘れろよ、未練がましい❗️って自分に言い聞かせるんだけど、阿部サダヲも、大好きな浦井さんでさえ、ヲタクの脳内の「きじるしの王次=藤原竜也」の等式を消してくれない。今日も帰ってから蜷川版DVDの藤原竜也登場シーン見返しちゃったもん。…そう、18禁のアレ(笑)
閑話休題(^_^;)
さてさてこの作品、上演時間4時間の大作ですが、主な登場人物は複数のシェイクスピアのキャラを演じることになるため、前半と後半では突如としてキャラ変したりします。キャラ設定までもがカオスなんですよ(笑)例えば、ヒロインお光(唯月ふうか)が登場時は寡黙で生真面目なコーディリア(「リア王」)だったのに、王次と恋に落ちた瞬間ジュリエットになって色ボケ状態、暴走しまくりになるとか(途中から「間違いの喜劇」も割り込んできて、てんやわんや^^;)、お里(土井ケイト)は強欲なリア王の次女リーガンからマクベス夫人へと移り変わり、最後は一転、なんと貞淑で情の濃いデズデモーナ(「オセロ」)として死ぬ……っていう(笑)きじるしの王次もハムレットとロミオとハル王子ごちゃまぜだもんね(^_^;)今までは気づかなかったけど、ひょっとしてこのキャラ変のカオスも、長丁場に変化をつけるための井上さんなりの工夫だったのではないかと。
日生劇場千秋楽まであと3日、来年からは大阪をはじめ地方公演が待っているそうですが、「笑って 泣けて ためになる」(映画「はたらく細胞」キャッチコピーのパクリ 笑)熱くてカオスな祝祭劇「天保十二年のシェイクスピア」、この機会にぜひ❗️