KINOシネマ横浜みなとみらいにて、根岸吉太郎監督「ゆきてかへらぬ」鑑賞。
※今日のみなとみらい。冬は桜木町駅からランドマークの中を通ってKINOシネマに行っていたのですが、今日は春めいた暖かさに誘われて、ぴあアリーナMM前のペデストリアンデッキを歩いてみました。
※KINOシネマの向い側には横浜美術館があります。現在、淺井裕介が横浜のために制作した「八百万の森へ」を展示中。
知の巨人・評論家の小林秀雄(岡田将生)と、夭折した天才詩人・中原中也(木戸大聖)。そして、その2人に愛された女優・長谷川泰子(広瀬すず)。3人の間に展開する、ある意味不可思議な恋愛模様を描いた作品です。
ヲタクは、長谷川泰子の名を耳にしたのはこれが初めてではありません。今を去ることン十年前、ヲタクがまだとある大学の英文科の学生だった頃のこと。シェイクスピア研究のゼミでレポートに「ハムレット」を選んだのはいいものの、どんな視点で書いたらいいか早々に行き詰まり、当時小林秀雄に傾倒していたヲタクは、小林秀雄がオフィーリアについて書いた随筆❓️「おふえりや遺文」を、それこそハムレットについて「考えるヒント」を求めて^^;読んでみたのでした。(特に、シェイクスピアをはじめとする英文学のルーツは、ギリシャ・ラテン文学、さらにはダンテの「神曲」に遡る…という彼の「英文学論」に、その頃はいたく心酔していたのです)
……ところがどっこい、オフィーリアの遺書という体裁をとったそれはシェイクスピアの戯曲からは全くかけ離れた内容で(オフィーリアが船先に座っていると、帆柱から栗が歩いて降りてくるという奇想天外な話)、そこに描かれたオフィーリアはシェイクスピアのオフィーリアではなく、そのじつ当時の同棲相手であった長谷川泰子なる女優だった……ということが判明したのでした。しかも小林は、親友・中原中也の同棲相手だった長谷川泰子を略奪したのだとか。「おふえりや遺文」には、知の巨人たる小林秀雄の冷徹な批評眼はどこにも見当たらず、奔放なファムファタールに右往左往する1人の男がいるばかり(笑)「考えるヒント」や「無常といふ事」の冷徹な批評眼、そして古い写真に見るイケオジっぷりにすっかり参っていたヲタクは、所詮彼も恋の病にのぼせ上がるただの男だと落胆し、(ああ小林秀雄よ、お前もか❗️)と毒づいたものです。江藤淳によれば、「小林秀雄は女(長谷川泰子)によって批評家になった」そうですが、この惑乱ぶりを乗り越えて小林秀雄はいかに日本近代批評の父になり得たのか❓️
……そんな遠い日の記憶を辿りながら観た「ゆきてかへらぬ」。根岸吉太郎監督が捉えた三者三様の愛の形は、これまであまたの人たちが捉えてきた「2人の天才を翻弄する長谷川泰子=ファムファタール説」を根底から覆すものだったような気がします。
女優として自立を目指すも、なかなか芽が出ない大部屋女優・
長谷川泰子がひょんなことから同棲を始めたのは、若干17才の詩人・中原中也。手負いの獣のように世間に歯向かい、文学界の大御所にも噛み付く中也の異端の才に強烈に惹かれる泰子。当時中也の1番の理解者だったのが、東京帝大仏文科の学生で、日本初の「評論家」として頭角を現し始めていた小林秀雄でした。中也が傾倒していたフランスの詩人、アルチュール・ランボォの詩をフランス語で読み合い、愉しげにはしゃぐ中也と秀雄を見て猛烈に泰子が嫉妬するシーン、広瀬すずの演技が圧巻です❗️詩と評論で頂点を極めようとする2人に、才能の面で追いつかないもどかしさに身悶えする泰子。そして、中也を尊敬する一方で、「創造者になり得ない己」に忸怩たる想いを抱き、「中也のおんな」を奪うことで彼の創造の源泉を見極めようとする秀雄。そんな、複雑且つ摩訶不思議な恋のトライアングルの行き着く先は……❗️❓️
全編殆ど3人しか出て来ない^^;。言ってみれば、世にも美しい男女3人をとことん愛でる映画と言っても良いでしょう。
まずは小林秀雄を演じた岡田将生。この人いつもお顔が綺麗すぎて、(「エクス・マキナ」のアリシア・ヴィキャンデルみたいに)人間離れしててヲタク時々(もしかしてAI⁉️)とか錯覚しそうになるんですけど(笑)その酷薄そうな感じが(注・褒めてます)、小林秀雄の、己の激情をもう一人の己が見下ろしてる感じを絶妙に表現していて、良かった。(彼の激情の対象が、あくまでも泰子じゃなくて中也だった……というのは、根岸監督の新解釈でしょう)略奪した女にしゃあしゃあと、「俺は君を通して中原を知りたいんだ」と言い放つ冷血クズっぷりが素晴らしかったわ(注・褒めてます)
中原中也役の木戸大聖。親友に自分の女を奪われたのに、その引っ越しの手伝いなんぞをしてしまう可愛い男。木戸くんは天才特有のエキセントリックさを精一杯表現しようと頑張ってましたが、もう一歩、人誑しの愛嬌が滲み出てたらもっと良かったかな^^;
そして広瀬すず。先にも述べた嫉妬心の強烈な表現、職業婦人として自立への葛藤、そして秀雄が自分を通して中也を見ていることに耐えきれず狂気に囚われていくさまはサスガの演技、このまま行けば、「第二の宮沢りえ」になるのも夢じゃない❗️……と、この作品を観てヲタクは思いましたよ。根岸吉太郎監督と言えば、「ひとひらの雪」とか「透光の樹」で秋吉久美子をひじょうに綺麗に色っぽく撮ってますけど(観た当時は、同性だけどはなぢ出そうでした、ハイ)、すずちゃんもこの作品でオトナの女優としてひと皮剥けた感じですね。
舞台は京都から東京へと移り変わっていきますが、当時(大正〜昭和初期)の建物、カフェーや遊郭等デカダンな風俗も忠実に再現されており、その映像美も見どころです。