※Andrea Appiani作、「エジプト遠征中の肖像」(背景に現地人を配する構図が、原住民との融和政策を推進したドゼーの人徳を表しているようです)ヤバい、横顔が美しすぎる……。
はいっ、皆さんこんにちは、イケメン好きのヲタクです(笑)今日は久しぶりの「歴史上のイケメン」シリーズ⑦、ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼー将軍について語っちゃいたいと思います。
最近ヲタクはAppleTV+のフランスドラマ「カレーム 宮廷料理人」(実在のシェフ、アントナン・カレームを主人公にしたドラマシリーズ)にハマってまして。それがちょうど、「フランス革命→共和制→ナポレオン帝政→王政復古」というフランス激動の時代が背景になってるんですが、あの時代って歴史的背景もめっちゃ複雑で、様々な政治的思惑や権謀術数が絡み合っていた時代ですよね❓️当時のフランスを扱った資料等を読み漁っているうちに、ヲタク好みのイケメンを発見したというわけ(笑)
軍神マルスの化身❓️美しき将軍ドゼー
さてさて、猜疑心が深く、たとえ腹心の部下であってもめったに心の裡を見せなかったと言われたナポレオン。そんな彼が全幅の信頼を置き、ナポレオン帝政の名参謀と謳われたドゼー将軍(1768〜1800)。フランス・オーヴェルニュ地方の貴族でありながら13歳の時から軍人としての教育を受けたエリートで、1978年のエジプト遠征でナポレオンの腹心の部下として武功を立て、それがきっかけでエジプト南部(上エジプト)の統治を任されます。彼の偉大な点は、ナポレオンから「獅子将軍」と評されるほどの軍事の天才でありながら、エジプト統治においては原住民との融和を図り、彼らから「正義のスルタン」と讃えられ、行政官としても超一流であったこと。(ナポレオンによる搾取的な統治とは一線を画すものでした)さらには彫りの深い端正な美貌に栗色の巻き毛をなびかせ、馬に乗って戦場を駆け抜ける姿はさながら軍神マルスのようだったそうです。
……しかし美男薄命😭😭😭
ナポレオン率いるフランス軍がマレンゴの戦い(ナポレオンの第2次イタリア遠征において、1800年6月13・14日に行われた、フランス軍とメラスオーストリア軍との戦闘)において大苦戦中との報を受けたドゼー将軍は自らの部隊を率いて援護に駆けつけ獅子奮迅の活躍、辛くもフランス軍は勝利を収めます。ところがその瞬間、一発の銃弾が彼の胸を貫いたのでした……。享年32、早過ぎる死でした。
ナポレオンは彼の死を嘆き悲しみ、「あの一発の銃弾が、今日の勝利よりも高価なものを奪った」と周囲に語ったそうです。そしてナポレオンはその後、居室にドゼーの胸像を置き、毎日眺め、話しかけていたとか。え❓️え❓️それってもしかして……
愛よ、愛❗️
その公平無私で温厚な人柄から、フランス兵士たちの人望も厚く、「聖者ドゼー」「静かなる騎士」と称されたドゼー将軍。彼の死をきっかけに、ナポレオンは益々武力によるヨーロッパ征服へとのめり込んでいきます。(ひょっとして、愛する者を喪ったがゆえの自暴自棄なのか……❓️)
「もしもドゼー将軍が生きていたら、ナポレオン帝政ももっと長続きしていただろう」と言われるほどの逸材だった彼は、雲の上から、ナポレオンの暴走をどのような気持ちで眺めていたのでしょうか。
※ドゼーの死を深く悼んだナポレオンは居室にドゼーの胸像を飾り、毎夜話しかけたとか…。