つい先日、ロイヤルオペラ in シネマで5時間に及ぶワーグナーの大作「ワルキューレ」を鑑賞したヲタク。久しぶりのワーグナー歌劇に感激さめやらず、最近のヲタクのヘビロテは昼夜違わず「ワルキューレの騎行」(←影響されやすい人 笑)
⋯⋯というわけで、久しぶりヲタクの「歴史上のイケメンシリーズ」は、ワーグナーの強力なるパトロンとして名を残す※バイエルンの王、ルートヴィヒ2世(1845〜1886)をご紹介しましょう。
※バイエルン王国は現在のドイツ・バイエルン州に位置し、20世紀のドイツ革命まで存在していました。

★オタクだった少年期
バイエルン王である父マクシミリアン2世とプロイセン出身の母マリーとの間に生まれたルートヴィヒ2世は、狩猟や執務、軍事などにはあまり興味を示さず、シラー、ゲーテ、シェイクスピア、ワーグナー、ニーベルンゲンの歌などの伝説に没頭する少年期を過ごしたそう。
はっきり言ってオタクです(笑)
話は合いそうだけどな、じぶん(笑)
★あのビスマルクの「熱烈推し」だった❗️
ルートヴィヒ2世は1863年8月、18歳の時にミュンヘンの宮殿で、前年プロイセン王国の首相に就任したあのビスマルクと会見しました。(2人が何を話し合ったかは定かでないのですが⋯^^;)当時48才の男盛りだったビスマルクは、この冷たい美貌の王子に魅せられ、帰国した後は執務室にルートヴィヒ2世の絵を飾るほどの熱愛ぶり。後にプロイセンの首相、そしてドイツ統一後はドイツ帝国の初代宰相として、鉄血政策と呼ばれる強権的なやり方で「鉄血宰相」の異名をとったビスマルクをも骨抜きにするなんて(゚∀゚)絶世の美貌に加え、よほど人誑しの才があったと見えますね(笑)
★ワーグナー沼にハマった末に⋯
ルートヴィヒ2世は冒頭に述べたように、当時女性とのスキャンダルで音楽界を追われ、経済的に困窮していたワーグナーを全面的に支援、彼の作品の上演とバイロイト祝祭劇場の建設に没頭しましたが、それらが国の財政を逼迫させ、政治的大混乱を招く端緒となってしまいました。現代の私たちがワーグナーの名作群を鑑賞できるのもルートヴィヒ2世のお陰なのですが、王自身はそのせいで「夢想王」「狂王」などという有り難くない称号で呼ばれるようになってしまいました。ヲタクだったら「お耽美王」とでも呼びますがね(笑)
★繊細であったがゆえの悲劇
1866年の普墺(プロイセン・オーストリア)戦争で、バイエルン議会はオーストリア側につく決議を採択しましたが、ルートヴィヒ2世自身はあくまでも戦争反対を唱えました。そりゃそうよねぇ、プロイセンのビスマルク首相は自分を熱烈に推してくれてるんだから、戦争したくないよ(⋯⋯ち、違う❗️❓️笑)結局オーストリアと共にバイエルン王国は敗戦国となりましたが、ビスマルクはバイエルンに攻守同盟締結を持ちかけ、バイエルン王国の独立と面目は保たれたのです。いやー、持つべきは美貌の人誑し王よねぇ(⋯⋯ち、違う❗️❓️)
しかしこの一連の出来事は、戦争を忌避する繊細なルートヴィヒの神経にかなりの打撃を与え、1886年40歳の時に重度の精神病と診断され、強制的に退位させられ、ベルグ城に幽閉させられてしまいます。(ワーグナー支援とノイシュバンシュタイン城建設による国庫の逼迫を憂いた、当時の首相ルッツによる陰謀との説もあり)そして同年6月13日、シュタルンベルク湖で水死体となって発見されます。自殺、他殺、事故死⋯⋯様々な説が取沙汰されましたが、真相は闇の中。

芸術を愛した美貌の耽美王ルートヴィヒ2世。ヲタクはヨーロッパ赴任時代の夏休み、ノイシュバンシュタイン城を訪れましたが、白鳥に喩えられる美しい外観もさることながら、隅々にまで王の美意識が行き届いた内装と調度品もそれはそれは見事なもので、ヲタクは「生まれた場所を間違えてしまった」感受性の強い、美貌の青年の悲劇の生涯に、遠く想いを馳せたのでありました。