本日、一泊二日のヨコスカ・ミニトリップのハイライト、戦艦三笠見学にやって参りました❗️
★日本の外交努力も虚しく……
明治時代、日清戦争の勝利により清国の脅威は去ったものの、戦後疲弊した日本の状況を逆手に取り、その間隙を縫って遼東半島を手中に収めた帝政ロシア。しかしその触手は日本本土をも脅かし、日本は外交戦略によって開戦を避けようとするも決裂、遂に明治37年(1904年)日露戦争の火蓋は切って落とされたのです。

★皇国の興廃この一戦にあり
各員一層奮励努力せよ
まさか日本のような小国が大国ロシアを下せるとは、誰もが思っていなかったことでしょう。東郷平八郎率いる日本連合艦隊は旅順港に停泊中のロシア艦隊を誘い出し戦いを仕掛けようとするも失敗、膠着状態が続いているところを、乃木希典将軍率いる陸軍が旅順港を見下ろす要塞「二百三高地」を総攻撃、日露両軍15,000名もの犠牲者を出す激しい肉弾戦の末陥落せしめたことで、遂にロシア艦隊に動きが出ました。日本海へ逃げるロシア艦隊、追う日本軍連合艦隊。そこに遠くロシアより世界最強のバルチック艦隊が応援に出動したという知らせが❗️遂に対馬沖で両艦隊は相まみえることになったのです。

★"本日天気晴朗なれども波高し
東郷平八郎の出した指示は驚くべきものでした。150度の左大回頭を命じ、脇から敵艦隊僅か5キロの所まで一気に近づいたのです。そのためバルチック艦隊は進行方向を完全に遮られる形となりました。東郷は、通常後方と左右にしか砲撃できず、前進していれば左右や後方へ旋回には時間がかかるという戦艦の弱点を逆手に取ったのです。所謂東郷ターンと後年呼ばれる戦法でした。
当然のことながら回頭中の15分間は敵から集中砲撃を受けましたが、幸いにも大きな被害を受けることなく、回頭完了後、日本連合艦隊はバルチック艦隊の進路を遮る形で横一線に並び、一斉砲撃を開始しました。戦闘開始から約3時間で勝敗は決し、バルチック艦隊は陣形が乱れ、沈没や離散が相次ぎ、結果、バルチック艦隊38隻のうち19隻を撃沈、7隻を捕獲するという日本連合艦隊の圧倒的勝利に終わったのです。それはそれは危険な賭けでしたが、東郷元帥と参謀であった秋山真之は見事にその賭けに勝ったのでした。

★日本国の独立ここに守られり
この勝利が日露戦争の終結を決定づけ、アメリカのルーズベルト大統領の仲介によるポーツマス講和条約の締結につながり、日本国は大国ロシアの植民地になることはなく、独立は守られたのです。
★父の口ぐせ「東郷ターン」
九州・博多の出身で旧帝国海軍兵学校出身の父にとって、元薩摩藩藩士であり海兵の大先輩である東郷元帥や秋山中佐はまるで軍神そのもの。酔っぱらった父から「東郷ターン」の話なんて何度聞かされたかしれません(^_^;)
日本海海戦においても、日本連合軍が沈没させた戦艦から投げ出されたロシア兵たちを多数救出した逸話は、「日本武士道の発露」として海外でも広く称賛されました。このように例え海上で敵味方に分かれても、海軍同士は「同じ海の男である」というグローバリズム志向が強かったようです。
太平洋戦争中、陸軍は敵国語として士官学校での英語教育を廃止しましたが、兵学校では終戦まで英語教育がなされました。終戦時父は江田島(広島市)におりましたが、海兵の生徒たちに英語を教えていたアメリカ人教師から、「広島に、身体に大変害のある爆弾が落とされたそうだ。列車で東京に帰る生徒たちは絶対途中で広島に下りないように。空気を吸うだけでもダメらしい」と言われたそうです。
祖国を愛し、それを守り抜こうと命を賭けた男たち。彼らの魂が今もなお息づいているような三笠の艦内。その想いを心に刻みつけた三笠見学でした。
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