恐怖の銃撃戦は、愛から逃げた男の“些細な嫉妬”から始まった——

★ざっくり、あらすじ
時は今を遡ること2020年、アメリカ・ニューメキシコ州の小さな町エディントン。折しも町はコロナ禍の厳しいロックダウンの真っ最中。ゴーストタウン化した町には、抑圧された住民たちの不満と不安が激しく渦巻いていました。そんな中、町の保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)は、巨大データセンターの建設とメガソーラーによって町の経済復興を図ろうとする市長テッド(ペドロ・パスカル)とマスクの着用を巡る言い争いから激しく対立、(街を救えるのはオレだけだ❗️)とばかり突如として市長選に立候補します。実はジョーの妻ルイーズは、ティーンエイジャーの時にテッドの子を妊娠、堕胎したトラウマを抱えており、ジョーはやり場のない嫉妬と怒りをテッドに抱いているのでした。
ジョーとテッドが激しい選挙戦を繰り広げる中、テッドが自分が経営するバーからホームレスを追い出した映像が切り取られてUPされ、「市長が社会的弱者を差別した」としてSNSで大炎上、それを利用してジョーはテッドを誹謗中傷し、追い詰めます。一方、当のルイーズは、やはりYouTubeでいわれのない陰謀論で人々を煽るカルト集団の教祖ヴァーノン(オースティン・バトラー)にのめり込み⋯❗️
愛する相手と正面切って対峙することから逃げ、フェイクニュースに踊らされて一線を踏み越えた男の悲喜劇。彼の憎悪はさらにSNSという媒体を通じて、まるで町に蔓延するコロナウィルスのように人々の間に広がっていきます。まさにアリ・アスター的「悪夢のような世界」(by 監督と初タッグを組んだペドロ・パスカルの言)が、まるで石ころが坂道を転がるように急展開していくのです。
ヲタクも5年前のコロナ禍の息苦しさを思い出したけど、ほら、日本人って、良くも悪くもマスク着用も"お上のお達し通り"従順に実行、実質的にロックダウンみたいな極端な政策はとらなかったし、銃所持も違法だから、この作品みたいにロックダウンの鬱屈感から最後は住民同士が銃撃戦になる…なんて展開はちょっと違和感を感じる人はあるかも。ただ、この作品中で描かれた、家族や友人の間ですら直接対峙することを避け、仮想空間で憎悪を募らせる現代人共通の病理には、頷ける点が多々あるのではないでしょうか。
★小心な男の心理を演じさせたらピカイチ、ホアキン・フェニックス

保安官というアメリカンマッチョを装っていながらそのじつ、自己肯定感が低くて、妻のご機嫌をとることに汲々としている情けない男。『ジョーカー』もそうでしたが、そんな役を演じたら右に出る者がいないホアキン・フェニックス、最初から最後まで出ずっぱりの大熱演で、ラストには立派なイ◯モツまでご開帳。アリ・アスター監督って少々趣味悪し(笑)まっでもこの露悪こそ、監督が“男の自尊心”を解体するための最終兵器なのかもね。
★カルト教主のオースティン・バトラーが怪しすぎ(笑)

出演シーンは少ないながら、作品の中で最もインパクト強かったのは、ホアキンよりもむしろ、エマ・ストーンを骨抜きにするカルト教主を演じたオースティン・バトラーと言えるのではないでしょうか。カルト教主とか、一般ピープルを洗脳しちゃうカリスマみたいな怪しげな役ってさ、見るからにくせつよなホアキン・フェニックス(『ザ・マスター』)より、普段役柄上もインタビューでも清廉潔白なイメージのトム・クルーズ(『マグノリア』)やダン・スティーブンス(『ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋』)、そして本作のオースティン・バトラーみたいな好青年たちが演じたほうが破壊力凄いのよ(笑)エマ・ストーンの気持ちわかるわぁ。オースティンだったら洗脳されてみたいもん(⇐注:危険思想のため、映画鑑賞はくれぐれも自己責任で 笑)
オースティン・バトラーと言えば、殆ど無名の存在から、バズ・ラーマン監督に見出されて映画『エルヴィス』でキング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーを驚異の完コピ、一躍ハリウッドの次世代フロントランナーに躍り出た人。『エルヴィス』のプロモで来日した時もシャイで素直な、(良い意味で)普通の人⋯という感じ。そんな彼が『砂の惑星 2』のサイコヴィランや本作のような怪しげなカリスマ等、対極の役を演じる時にこそ、生き生きと耀くような気がするのはヲタクだけ❓️

そしてそしてエマ・ストーン❗️今回はやけに大人しいな、出演シーンも少ないし…(笑)って思って見ていたら、ラストのどんでん返しで口あんぐり😅アリ・アスター監督が彼女をキャスティングしたのはこの一瞬のためだったのか…(納得)『レオン』のゲイリー・オールドマン並みの衝撃です。エマ・ストーンファンはお楽しみ❓️に😉