みなとみらいのミニシアター「KINOシネマ横浜みなとみらい」にて、オードリー・ヘップバーン主演『ティファニーで朝食を』鑑賞。

★ざっくり、あらすじ
ホリー(オードリー・ヘップバーン)はニューヨークのアパートに、名前のない猫と同居中。住まいというものに思い入れのない生来のヴァガボンドである彼女は、すぐ鍵をなくしてしまう。その都度ホリーは、階上に住む日本人の写真家ユニオシ(ミッキー・ルーニー)の部屋のベルを鳴らすので、いつもユニオシはカンカン。
そんなホリーの念願は“ティファニー”のような「落ち着ける場所」で暮らすこと。ある日、ホリーのアパートにポール(ジョージ・ペパード)という青年が越してきます。作家という触れ込みですが、短編集を1冊出しただけで、それ以来は鳴かず飛ばすのよう。室内装飾家と称する中年女(パトリシア・ニール)がいつも訪ねてきて、夜中にお金を置いて帰っていきます。
気分が沈むと「ブルー(憂鬱)」より酷い「レッド」だと語るホリーの独特な言語感覚や、「あなたは兄に似ている」と言って甘えるかと思えば「お節介はやめてね」と身を翻すホリーと、奇妙な友情関係を築いていくポールですが-------。
★カポーティの不満
原作のヒロイン、ホリー・ゴライトリーはティーンエイジャーのエスコート嬢。自由奔放に見えてそのじつ、決して他人と心を通わそうとせず、定住もしない。名刺にはいつも「旅行中」の文字。原作者のトルーマン・カポーティは、オードリーが「イメージと違う」と激オコだったとか。⋯確かに原作を先に読んでしまうと(ヲタクもその1人😅)、かなり面食らうかも⋯。オードリーは未熟で反抗的なティーンエイジャーとは似ても似つかぬ上品なオトナのレディ。ヲタク的にはフランソワーズ・サガン原作の映画「悲しみよこんにちは」で主役を演じたジーン・セバーグだったらピッタリだった気がするの。
でもヲタク的にはね、カポーティさんが「ミスキャストだ」って怒るべきだったのは、相手役のポールジョージ・ペパードのほうだったんじゃないかしら。原作のジャックは、小説を書くことだけが生きがいの痩せっぽちの自己肯定感が低い青年(アメリカン・マチズモには程遠い)で、だからこそホリーのことは眩しすぎて、ただただ「見ているだけしかできない」。
確かにカポーティさんが怒るのは無理もないかも^^;それでも---------
映画は、原作とは別の場所で、完璧な幸福を掴んでしまった。
★やっぱり映画『ティファニーで朝食を』は名作だと思う
甘く哀切な「ムーン・リバー」のメロディで幕を開けるこの作品。ジバンシィが手がけたリトル・ブラックドレスに、4連のパールネックレスとロンググローブ、サングラス姿のオードリーが、紙コップの珈琲とデニッシュ片手にティファニーのウィンドウを覗き込むオシャレなオープニングから、私たち観客は一気に、古き良き時代のニューヨーク5番街に連れ去られる。

※映画を彩るオードリーの華麗なるジバンシィ・ファッション
ため息が出るほどステキな美男美女のラブロマンスに、日常の煩雑さも憂さも全て忘れて浸る非日常。そうなると、やっぱりオードリーの相手役は、自身なげに上目遣いで覗き込んでくる内気な青年ではなく、アメリカン・イケメンの代表みたいな、自信満々なジョージ・ペパードで良かったと思えてくる。
うっとりするようなラブコメであると同時に、第2次世界大戦に勝利した直後のニューヨーク、1970年代に入ってベトナム戦争からの撤退により「世界の警察官」たる自負が打ち砕かれる直前、イケイケで享楽的なニューヨークのパリピ・スタイルが克明に描かれた作品とも言えるでしょう。(作者のカポーティ自身、アメリカ・セレブ社会のパリピで有名でした)
★今日の小ネタ⋯日本人・ユニオシさん
精神統一をしてから自らの作品制作にとりかかり、ホリーやポールの、パトロンのお金に頼って享楽的で自堕落とも言えるパリピ生活に対して、いつも激オコで怒鳴りまくっているユニオシさん(ミッキー・ルーニー)。「日本人をバカにしてる」って、公開当時は怒る向きも多かったそうですが、ヲタクはそうは思わなかったな〜。確かにカリカチュアとして描写されてはいるものの、日本人の精神主義と生真面目さがある意味よく描かれていると思いましたよ。もちろん今ではユニオシさんみたいな日本人、どこを探してもいませんが、ヲタクが子どもだった昔むかしには近所にいたよ、ああいう頑固おじさん。まっ、アメリカ人自体、例えば英国のコメディとかではさんざんおちょくられてるから(笑)
ヲタクってもしかすると生来のオプティミスト❓️(笑)