オタクの迷宮

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アンドリュー・スコットを超えた❓️――稲垣吾郎『プレゼント・ラフター』比較考察

 2026年2月19日、渋谷PARCO劇場にて稲垣吾郎主演『プレゼント・ラフター』(夜公演)鑑賞。

 

 稲垣吾郎の舞台歴を語る上で、今後必ず口端にのぼるであろう感動的な舞台でした❗️

 

 役者・稲垣吾郎の今宵の素晴らしさを語る前に、ヲタクがなぜこの作品を鑑賞することになったのか、その成り行きをひと言、語らせて下さい。

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★『プレゼント・ラフター』について

 作者は20世紀前半に、劇作家、俳優、演出家、作詞・作曲家…と、多彩な才能を発揮したノエル・カワード(1899–1973)。軽妙洒脱なウィットとユーモア、英国人らしい社会風刺の毒がヲタクは昔から大好き❗️(『陽気な幽霊』や『ビター・スウィート』など)中でも、彼の代表作が今回の『プレゼント・ラフター』というわけです。

 

 舞台はイギリスのロンドン、1900年代前半。主人公のギャリー・エッセンダインは大人気、脂の乗り切った舞台役者。まさに今、笑いが止まらない(=プレゼント・ラフター)絶頂期なはず。

 

 ところがところが、人生ままならない。綺羅びやかなスターであるが故に、ワンナイトラブの相手からは「愛してる結婚して❗️あなたを理解できるのはワタシだけ」と猛烈に言い寄られ、チェーホフカブレのオタク作家に「新作を読んでくれ、ボクはあなたに執着してるんだ」と追いかけ回され、セレブ仲間うちの恋愛沙汰、不倫騒動に否が応でも引きずり込まれる(傍観者のはずがいつの間にか当事者に 笑)。さりとて、今でも影になり日向になり自分を支えてくれている元妻リズと復縁する勇気もない……。そんな大人子ども、(しょーがないなぁ)と呆れながらも憎めない、愛すべきピーターパン症候群❓️の中年男の右往左往を軽妙なタッチで描いたコメディ作品です。

 

★アンドリュー・スコット版に魅せられたヲタク

 実はこれ、ヲタク激推し、アイルランド人俳優のアンドリュー・スコットが2019年にロンドンのオールド・ヴィック劇場で主役のギャリーを演じ、その卓越した演技でローレンス・オリヴィエ賞主演男優賞にノミネートされた作品。このアンドリューの舞台はNTL(ナショナル・シアター・ライブ)により、日本でも一部の映画館で何度か上映されてきましたが、いよいよ昨年の5月上映契約が終了との知らせ😭何度も観た舞台でしたが、今生最後の上映をヲタクは横浜から宇都宮まで観に行きました。淋しさに胸を締め付けられつつ…。

 

 ---------こんな経緯があったので、日本版を観るのはちょっと逡巡があったんだけど、スターがスター自身の華やかさと矜持、そして悲哀と孤独を等身大で演じる、いわゆる「メタ・シットコム」なこの作品を、SMAP時代から早や40年近く、日本屈指のスターであり続けている稲垣吾郎が演じるとなれば話は別(笑)ヲタクの手は自然とオンラインチケット申し込みをクリックしていたのでありました😅

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★クィア・コーディングは果たして描かれる❓️

 ノエル・カワードがこの戯曲を書いた1930年代には英国で同性愛は違法だったため、初演当時はギャリーのセクシュアリティ設定はヘテロであるように書き換えられていたようです。(ノエル・カワード自身もゲイだった)

 

 しかしアンドリュー・スコット版は明白な「クィア・コーディング」芝居(しかもちょっぴりミソジニー寄り😅)それもそのはず、アンドリューは2013年に、プーチン大統領の発表した反同性愛法制定に際して、自身がゲイであることを堂々とカミングアウトした超男前。ゲイであるということに関して彼は、「嬉しいことに、今じゃみんなゲイのことを性格的欠点とは見なさないよね。でもこれは「親切」といった美徳じゃないし、バンジョーが弾けるみたいな特技でもない。ただの事実なんだ」と淡々と語り、ヲタクはアンドリュー沼にドボン(笑)

 

 アイルランド人らしく率直で気さくなアンドリューに対して、その私生活は謎に包まれている日本のスター中のスター稲垣吾郎は、そのセクシュアリティをはじめとして、ギャリーの人物像をどう演じるのか❓️

 

--------さあ、あと30分で開幕のベルが鳴る❗️❗️待ち受けるは、日頃の稲垣吾郎の殻を破った驚くべき爆弾投下か、それとも彼の特性をさらに進化させた陰翳の美か❗️❓️

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※さすが稲垣吾郎様、お祝いの花束も飾りきれずリスト化されてる(笑)

 

★ギャリーを演じるために生まれてきた吾郎ちゃん❗️❓️

 誰かに「愛している」と迫られればイヤと言えずに、自らを危機的状況に追い込んでしまうギャリー役を、吾郎ちゃんは上品に、そしてスタイリッシュに演じて、舞台上で軽やかに飛翔してみせた。それは幼い頃からアイドルとしてスポットライトを浴び続け、大勢のファンに惜しみなく愛を与えてきた彼だからこそ。その華麗なるオーラは、ヲタクの中でアンドリュー・スコットを超えた❗️

 

 ことこのギャリー役に関しては、吾郎ちゃんに軍配をあげましょう(断言)

 

 スター特有の「博愛主義」から、迫りくる相手をうっかり受け入れてしまうくせに、さらに踏み込まれると狼狽えて右往左往してしまうギャリー。そんな彼の首根っこを掴まえて、ガッチリ手綱引き締める女丈夫の元妻リズ(倉科カナ)。2人の掛け合いが楽しく面白く、まさに「男は愛嬌 女は度胸❗️❓️」の好感度爆上がりカップル(笑)2人の演技の相性もバッチリでしたね。

 

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※幕間の楽しみと言えば、バーで飲みながら前半の振り返りをしつつ後半の期待に心を躍らせるひととき。今日のお供はレッドシアタースカッシュ(パイナップル、苺、柑橘類、クランベリーに炭酸を注いだモクテル)

 

 さてさてヲタクが注目していたクィア・コーディングですが、今回は完膚なきまでに封印されていましたね😅(アンドリュー版では重要な役割を演じた親友のジョーはそもそも登場しない 笑)1930年代の初演版に回帰…ってことみたい。でもその代わり、世代を通じて楽しめる、お洒落でソフィスティケートな艶笑喜劇の味わいに。-------でも日本で上演するには、それでちょうどよかったかも。アンドリュー版みたいなアバンギャルドな芝居は、まだまだ日本の客層には馴染まないかもしれません。

 

 ヲタクの深掘り「スターの仮面(ペルソナ)」

〜ノエル・カワードとギャリーと稲垣吾郎と〜

 今回の舞台には亡きものにされていたけど、「人生はパーティーのようなもの。しかめつらで生きるなんてバカバカしい」と、生真面目さを笑い飛ばしたノエル・カワードの戯曲の底流には、自らのセクシュアリティを抑圧し、生涯仮面を被って生きなければならなかったカワードの「心の闇」が横たわっていることを考えると、稲垣吾郎版『プレゼント・ラフター』もまた、違った視点で観ることができるかもしれません。

 

 ノエル・カワードは、そのセクシュアリティを公には語らずに生涯を終えました。1930年代の英国では、同性愛は犯罪だったからです。俳優でもあった彼は、軽妙洒脱な笑いの裏で、常に“仮面(ペルソナ)”を被り続けていました。


 本作品の主人公、ギャリー・エッセンダインもまた、スターという仮面を被る男。誰からも愛され、誰にも嫌われたくない。求められれば応じてしまう博愛主義。しかし本心では、誰かに本気で心の中に踏み込まれることを恐れている。

 


 そして、稲垣吾郎。


 40年近く日本のトップスターとして在り続けてきた彼もまた、公と私の境界をきっちりと守り続けてきた人。多くを語らず、決して素顔を安売りしない。その佇まいは、ある意味で“完璧な仮面”とも言えるでしょう。


 今回彼が演じるギャリーには、その仮面の奥にほんの一瞬、孤独の影が差す瞬間があったように思います。


 笑っているのに、どこか脆い。

 華やかなのに、どこか切ない。
 

 その陰翳は、演技のひと言で片付けることができない、長年スターであり続けた人間だけが纏うことのできるオーラ。
 

 今回の舞台では、アンドリュー版が白日の下に晒したクィア・コーディングは完全に封印されました。しかしそれでも、この舞台が薄味にならなかったのは、“仮面を被って生きること”の切なさが、吾郎ちゃん自身と重なったからではないでしょうか。
 

 スターとは、常に光を浴び続ける存在。
 光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。


 その光と影を、軽やかなコメディという衣に包みながら、観客に手渡してみせた『プレゼント・ラフター』。

カーテンコールでは観客総立ち。
今宵私たちは――
稲垣吾郎という、
笑いの奥に人生の苦さと哀愁を滲ませることのできる
正統派喜劇役者誕生の瞬間を目撃した証人となったのです。