オタクの迷宮

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排除の快楽——ヨルゴス・ランティモス監督『ブゴニア』が映す現代の病理

 横浜地下鉄ブルーライン上大岡駅前のシネコン「109シネマズ上大岡」にて、ヨルゴス・ランティモス監督の最新作『ブゴニア』鑑賞。第98回アカデミー賞では、作品賞、主演女優賞ほか計4部門にノミネートされた問題作…いやもとい、稀に見る怪作❓️であります。

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 『聖なる鹿殺し』で、人間の持つ弱さや狡猾さ、暴力的嗜好を乾いたブラックユーモアで描く監督の手法に魅入られたヲタクは、『女王陛下のお気に入り』(2018年)、『哀れなるものたち』(2023年)、『憐れみの3章』(2024年)------と、彼の作品を観続けてきました。作品の中でランティモス監督は、観ている私たちの心の裡にも眠っている醜悪な部分を容赦なく暴いていくので、新しい作品が公開されると一旦は映画館に足を運ぶのをためらいます。しかし結局観に行ってそのたびに絶望に打ちひしがれる(ドMかじぶん 笑)

 

ランティモスは、人間を信じていないのか❓️

彼の映画には一貫して「救済」がない。
カタルシスも、倫理的勝利も、
観客を慰める言葉もない。

 

あるのは、
冷たい観察。

 

まるで神が、
実験動物を見下ろすように。

そして---------

 

 ★ざっくり、あらすじ

 世界でも有数の製薬会社オクソリスのCEOミシェル(エマ・ストーン)が、ある日何者かに拉致されてしまいます。犯人は、オクソリスの配送係で、母親が社の新薬の被験者となり、その結果ミシェルを死ぬほど憎むようになったテディ(ジェシー・プレモンス)と、彼に無理矢理犯罪に引き込まれた従弟のドン(エイダン・デルビス)でした。テディはなぜか、ミシェルが地球を侵略するために送り込まれた宇宙人だと言い張り、なんとか彼を言い含めようと必死になるミシェルと激しい論戦を繰り広げます。しかしミシェルの努力も虚しくテディは激昂し、事態は坂道を転がるように悲惨な方向へ-------。

 

 これって韓国映画の『地球を救え❗️』っていう作品のリメイクらしいんですが、元ネタを知らなくても、ラストの結末はSF好きなら十分予想できるものだし、それよりも見どころは前半の、「俺は宇宙人に搾取されてる〜〜❗️」と叫ぶ陰謀論者テディと、資本主義社会の権化みたいなミシェルの激しい論戦で、ランティモス流の「思考する映画」になっているので、結末がわかっている方でも十分楽しめると思います。

 

★人間って醜悪な存在かもしれない、でも-------

 特にテディの、実家の養蜂業がうまく立ち行かないのも母親が病気になったのも自分がボンビーなのもみんなみーんなミシェル=宇宙人のせい------っていう他責エコチェン思考、被害者意識は

 

 彼が自己責任に向き合えない人間

 複雑な社会構造から弾かれてしまった人間

 敵を単純化し、叩くことで悦に入る人間

 

であることを示してる。

 

 もちろんそれは私たちの暮らす一般社会にも政治の世界にも普通に見られることで、そういう「誰かに罪を被せれば自分は無罪放免になる」という、他責による快楽思考は、確実にヲタク自身の中にも存在する。

 

 一方でミシェル。
 彼女は合理的で冷徹な、資本主義社会の絶対的勝者。
しかし彼女もまた、生命の危機を感じるほど追い詰められた瞬間、テディに向かって
「あんたみたいな負け犬に生きてる価値はない」
と吐き捨てます。


----そう、他責と排除は、実は同じ構造。
テディはミシェル(絶対的権力)を排除しようとする。
ミシェルはテディ(敗者)とドン(社会的弱者)を排除しようとする。

テディとミシェルはまるで合わせ鏡。
異質なものを排除したいという衝動は、どんな立場にも宿るのだから。

 

★ランティモスは希望を捨てた❓️

 『哀れなるものたち』と『憐れみの3章』を観てヲタクは、(あ、あれ❓️ランティモス監督、人間たちの醜悪さの中にも一筋の光を見いだしたのか❓️)って思ったけど、『ブゴニア』観て、(甘かった)って思った(笑)

 

 そこに救済はない。

 和解もない。

 カタルシスもない。

 ランティモスは人間の愚かさを決して裁かない。

 ただ観察する。
 まるで沈黙する神のように。

 

ランティモス監督はこれからも、『ブゴニア』同様、神の視点から「排除の暴力」を描き続けるのだろうか❓️

 

★それでも、私は生きていく

 でもね監督、ヲタクはいくら卑怯で傲慢な存在であっても、その人を永遠に排除しようとは思わない。愚痴を言いながら、泣き言を言いながらでも、そんな不条理な社会に何とか折り合いをつけて生きていきたいの。

「甘さ」でもなく「逃げ」からでもない(……と思う 笑)

それは排除よりもむしろ、乗り越えるのに困難な、勇気のいる選択だと思うから。

 

★ランティモス監督のこれから

-----ん❗️❓️でもあれかな、ランティモス監督、『ブゴニア』みたいに救いがたい結末であっても、映画を作り続けて、私たちに警鐘を鳴らし続けてくれてるってことは、やっぱり監督も、人間や世界の未来に対する希望を失っていない……ってことになるよね❓️

 

 なぜなら映画を作り続けるという行為そのものが、ランティモス監督の

人間はまだ思考する存在

思考することによって変化できる存在

という大前提に立っているように思えるから。

 

 だからヲタクはこれからも映画を観る。

そして考えてみる。

そうすれば人生が少しずつ変わってくるかもしれない。

少なくとも考えないで排除するよりはきっと------。