オタクの迷宮

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魂の同一化か、共依存か?フェネル版『嵐が丘』IMAX感想

 相鉄線ゆめが丘駅前のシネコン「109シネマズゆめが丘」にて、IMAX版『嵐が丘』鑑賞。

 

 没落した名家の令嬢キャサリン・アーンショー(マーゴット・ロビー)と、貧しい孤児ヒースクリフ(ジェイコブ・エロルディ)は、幼い頃から兄妹同然に育ち、成長するにつれてそれは激しい恋愛感情へと変わっていきます。魂の領域まで上り詰めた愛。

 

 しかしキャサリンは富を求めてエドガー・リントンと結婚、絶望したヒースクリフはアーンショー家から出奔します。数年後、巨額の富を得て嵐が丘に舞い戻ってきたヒースクリフは、裏切りの愛に憎しみを募らせ、復讐鬼と化していました-----------❗️

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★『嵐が丘』はロマン主義の代表的作品

 理性や社会の規範を破壊するほどの激しい感情、迸る情熱を描いたエミリ・ブロンテ作『嵐が丘』は、まさに英国ロマン主義の代表的作品です。

 

 ブロンテが描くキャサリンとヒースクリフの恋愛は、

「ヒースクリフは私以上に私自身なの。彼の魂と私の魂は同じ」(キャサリン)

「(キャサリンは)私の人生そのものだ」(ヒースクリフ)

という2人の言葉からもわかるように

 完全なる魂の同一化

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 ヲタクは高校生の頃『嵐が丘』と、エミリのお姉さんであるシャーロット・ブロンテ作の『ジェイン・エア』を同時に読んだのですが、キャサリンとヒースクリフの、社会的規範はおろか、自分たち自身の存在すらも破壊し尽くす狂気とも呼べる愛の形にすっかり面食らってしまい、「見てはいけないものを見てしまった」後悔を覚えたことを今でもはっきり覚えています(笑)どちらかと言えばヲタクは、恋しても決して溺れない、自立したジェイン・エアの

は鳥ではない。どんな網も私を捕らえられない。

って台詞にシビレていたから(笑)

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★トキシック・マスキュリニティにFUCK YOU❗️(ネタバレあり、注意)

  しかし、エメラルド・フェネル版『嵐が丘』は原作をかなり改変しています。冒頭、罪人の絞首刑を眺める幼いキャサリンには恍惚の表情が。その瞬間、彼女は運命に翻弄される悲劇のヒロインなどではなく、どこか暴力的嗜好を秘めた、支配欲の強い性格を隠し持っていることが示唆されます。

 

 にも関わらず、一旦家に帰ればキャサリンは、家の没落に絶望して大酒を飲み、荒れ狂う父親のDVの被害者。彼女が本来持っていた支配欲は、専制的な家父長(父親)から、完膚なきまでに抑圧されているのです。

 

 そんな境遇から這い上がるために、ヒースクリフへの愛も押し殺して富裕なエドガー・リントンと結婚するキャサリン。しかし、貧しい孤児から莫大な富を得て成り上がったヒースクリフが嵐が丘に舞い戻った時から、彼女の人生の歯車は狂い始めて--------。

 

 キャサリンは暴力的な父親から逃れるため、表面的には理性的で穏やかなエドガー・リントンと結婚したものの、結婚後、キャサリンが身ごもったのを知ったとたん「この子は息子だ」と決めつけてしまうエドガーの中に、キャサリンを世継ぎを産むための道具としてしか見ていないミソジニーが潜んでことを知って愕然とします。

 

 原作ではキャサリンは女児を産んで亡くなってしまい、エドガーが娘にキャサリンという同じ名前を付け、忘れ形見として育てるのですが、フェネル版『嵐が丘』では、キャサリンは流産した後、敗血症で死ぬ⋯という救いのないラストが待っています。(かなりショッキングなシーンなので、気の弱い方はご注意)

 

 『プロミシング・ヤング・ウーマン』そして『ソルトバーン』と、いまだ世界に蔓延る家父長制、「有害なる男らしさ」に中指を立て、恋愛における男女のパワーゲームを暴いてきたエメラルド・フェネル。

 

 今作品においてもフェネルのフェミニズム思想は全開😅ブロンテ原作ではキャサリンを溺愛し、甘やかすばかりだった父親は、フェネル版では人生に絶望してそのはけ口に娘を抑圧する暴力的な父親に変貌し、原作版での優しい夫エドガーは、フェネル版では暗に「男(自分の跡継ぎ)を産め」と圧をかけてくる----------。原作の主要テーマであるはずのキャサリンとヒースクリフの「魂の同一化」ですらも、「奪うか、奪われるか」の凄まじい愛の闘争として描かれているのです。

 

 フェネル監督はキャサリンの人生を通して、自らを、いや女性全体を縛り付ける様々な軛を断ち切ろうともがき苦しみ、結局は果たせなかった女性の悲劇を描こうとしたのではないかと、ヲタクは推察しています。

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 --------とここまで書いてくると(なんて陰鬱な小難しい映画なんだろう)と尻込みする向きも出てきそうですが😅何せキャサリンを演じているのが愛嬌があってキラキラのマーゴット・ロビーで、彼女のキュートな所作や取っ替え引っ替え身に付けるポップな衣装を観ているだけで楽しくて、フェネルの強めの❓️主張が甘いオブラートに包まれているのでご安心を(マーゴットの衣装だけで51着だそうだ⋯ビックリ🤯)それにお相手も、今ハリウッドで大注目、新生007ジェームズ・ボンドにオファーされたと専らのウワサのジェイコブ・エロルディだし〜😆

 

★ヒースクリフの愛と狂気を演じ切ったジェイコブ・エロルディ

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 支配欲に駆られ、庇護よりもむしろ、胸を焦がす刺激と挑戦を追い求めるキャサリンに比べて、どこか傷つきやすい、愛に飢えた若者感を漂わせる今作品中のヒースクリフ。

 

 『嵐が丘』は全世界でも1、2を争う人気小説なので、幾度となく映画化されてきましたが、ヲタクが観たのは、英国の伝説的名優サー・ローレンス・オリヴィエがヒースクリフを演じたウィリアム・ワイラー監督版(1939年)のみ。ローレンス・オリヴィエは、彫刻のような美貌も相まって、こちらの心まで冷え冷えするような、ちょっとサイコ的で冷徹な復讐鬼を演じました。

 

 今回ジェイコブ・エロルディが造型したのはそれと真逆、キャサリンへの激しい恋情を持て余し、キャサリンに向かって

は僕のものだ。

のように世界の涯までも君を追う

と叫び、愛の刃で自らを傷つけてしまうヒースクリフ像です。

 

 報われない愛ゆえに次第に狂気に陥り、キャサリンへの復讐のために偽装結婚した妻イザベルから「怪物」と呼ばれるまでに⋯。ギレルモ・デル・トロの『フランケンシュタイン』(Netflix)で、その醜い外見ゆえに創造者からも愛を得られない怪物の焦燥と絶望を繊細に演じ切ったジェイコブならではの人物造型だったと思います。

 

★IMAXで観るヨークシャーの荒野(ムーア)

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※本作品の舞台ヨークシャーの荒野(ムーア)

 

 吹きさらしの荒野(ムーア)の光景は、キャサリンとヒースクリフの荒れ狂う激しい気性を映す鏡。

 

 IMAXの巨大スクリーンがムーアを“風景”ではなく“感情そのもの”として叩きつけてくる。

 

 ヲタクは英国が大好きでヨーロッパ赴任時代4度旅しましたが、ブロンテ姉妹の生家(ヨークシャー州ハワース)にはとうとう行かずじまい😭今回の『嵐が丘』で、念願のハワース旅行が堪能できました。エメラルド・フェネルありがとう❗️

 

★そして--------エメラルド・フェネルがエミリ・ブロンテに対峙した時

原作では娘が生まれ、キャサリンは亡くなるけれど、名前は受け継がれ、物語は次世代へと続いていきます。
しかしフェネルは、その継承そのものを断ち切ってしまいます。


それは偶然ではありません。

 

魂の同一化という名の愛は、結局は破壊しか生まなかった。
そうフェネルは結論づけたのではないでしょうか。
そして現代にもなお息づく女性の搾取と、
トキシック・マスキュリニティという社会構造を、
次世代には決して引き継がせない。
あのラストには、そんな強固な意志が宿っているように思えたのです。

 

-------ヲタクはこんなふうに考えました。
あなたは、どう受け取ったでしょうか。