今日は3月27日。 横浜の桜満開時期は4月1日頃、あと5日後…との予想ですが、明日からまた地獄の連勤のため、一足早くやって来ました横浜・山手。
★生の悦びを喰らう〜山手十番館

腹が減っては花見は出来ぬ…というわけで、まずは山手と言えばここ、老舗のフレンチレストラン「山手十番館」へ。
〜平日限定のランチコース〜
・本日のスープ(新玉ねぎのポタージュ ビーツのフォームを添えて)
・前菜:鰆のコンフィ キャロットラペとアサリフォーム
・メインディッシュは下の4点から選びます
①名物タンシチュー 特製デミグラスソース
季節の温野菜と共に
②豚フィレのロティ 柚子胡椒ソース
③寒鰤のグリル “いしり”ブールブラン
④国産経産牛フィレ肉のポワレ 和風ソース 本山葵と共に
・本日のデザート(アップルパイ山手十番館風バニラアイス添え)
※平日は乾杯用のスパークリングワインが付きます。

明治の趣を感じさせる建物の中、ステンドグラスから差し込む光を浴びながら頂く洗練されたフレンチ。特にメインに選んだフィレ肉のポワレは、柔らかさと弾力の頃合いが絶妙。合わせたのは、山手十番館厳選の国産赤ワイン、塩尻メルロー(フルボディ)と丹波ワインの赤「小式部」(ライトボディ)。
美味しいお料理に美味しいワイン、生きてるってステキ❗️どんなに辛い時でも食欲だけは衰えないヲタクだけど、こんな時には特に強烈に感じるの、生きてることの悦びを。
★外国人墓地の不穏な桜

美食の余韻に満たされながらふと外を見やると、
視界に入り込んできたのは、あまりにも対照的な風景でした。

山手十番館の通りの向こう側は、外国人墓地。
「あら、外国人墓地にも桜があるんだっけ」
店を出た後連れに声をかけて、ヲタクは何かに引き寄せられるように通りを越えて外人墓地へ-------。
異国の御霊が眠る、普段はフェンスに隔てられて足を踏み入れることが出来ない禁忌の場所に、桜は不似合いのような気がしますが、ヲタクはふと梶井基次郎の短編小説の冒頭を思い出しました。
桜の樹の下には 屍体が埋まっている。
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。
しかしいま、やっとわかるときが来た。
桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
---------梶井基次郎『桜の樹の下には』
この場所に眠る異国の人々は、火に焼かれることなく、ゆっくりと朽ち果て、土へ還っていくことを考えると、梶井が肺の病に侵された熱の中で生まれた妄想なのだと、ただ切り捨てることも出来ない気がします。
1862年(文久2年)に起きた生麦事件で、薩摩藩士に斬殺された若き英国商人、チャールズ・レノックス・リチャードソン (当時29才)も、ここに眠っています。奇しくも梶井基次郎もまたリチャードソンと同じ年代、31才の若さで夭折しました。
花の盛りの絶頂期、無理やり枝からもぎ取られるように、その生を終えた2人。
しかし梶井は、花の盛りの美しさを人生に重ね、絶頂期が自分に訪れることを信じられず、訪れたとしても、桜が一気に散り果てるように、自らもまた破滅に向かっていくのだと頑なに思い込んでいたようです。
梶井が死の直前、酒に溺れ、歓楽街で狼藉を働いたと言われているのも、どこかで自らの人生の儚さを感じ取り、自暴自棄になっていた為ではあるまいか----------。
昔むかし、藤沢の遊行寺で見た一遍の聖絵にも、踊念仏と共に鉦を打ち鳴らし、阿弥陀如来をこの世に降臨させる場面で、桜が描かれていたっけ。
そこでは、桜は冥土=異界への入口として機能していたはず。
桜の華やかさにタナトスの気配を感じ取ったのは、何も梶井だけじゃない…。
-------なーんて、いけない、いけない❗️
このままフェンス越しに外国人墓地の桜を眺めていたら、意識があちらの世界に持ってかれちゃう(笑)
ヲタクは連れに「早く行こ、港の見える丘公園へ。なんだか寒くなってきた」と声をかけ、急き立てるように外国人墓地を後にしました。
春の陽に輝く港の景色を見て、早く生気を取り戻したい。ヲタクは100才くらいまでこっちの世界に居座るつもりだからね(笑)
だけど---------
桜の木の下に眠る大勢の人々と
ワインに酔っ払いながら桜を眺めつつ歩くヲタクと…。
ここ横浜・山手では案外、その境界線は曖昧なのかもしれない-------。

※元町公園の桜
外国人墓地の桜は三分咲き…と言ったところでしたが、元町公園の桜は、碧天を背に美しく咲き誇り、港の見える丘公園の花々は春真っ盛り。

※港の見える丘公園
一方で、山手カトリック教会では信者の女性(ご本名の脇に洗礼名が併記されていたところを見ると、修道女の方…❓️)のご葬儀ミサが執り行われていました。
横浜・山手はやはり、生と死が混在する不思議な場所--------。

お茶は「エリスマン邸」にて。
※エリスマン邸
エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅でした。大正14(1925)年から大正15(1926)年にかけて、山手町127番地に建てられました。設計は、「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンドです。------------「エリスマン邸」公式HPより抜粋