オタクの迷宮

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映画『落下音』〜むせかえる死の匂いと、少女たちに受け継がれる記憶

「KINOシネマ横浜みなとみらい」にて、『落下音』鑑賞。

 

これは、ひとつの家に染みついた「死の記憶」を巡る物語〜

 

 舞台はドイツ・※アルトマルク地方のとある農場付きの巨大な屋敷。そこは代々ひとつの家族によって継承されています。そしてこの作品は、同じ家の中で、4つのそれぞれ異なる時代に生きた4人の少女たちの、連綿たる経済的・性的搾取、抑圧の体験あるいは目撃談、そしてそれにまつわる「死の匂い」を、闇と光のコントラストが印象的な映像美、そして、全編を通じて繰り返される不穏で耳障りな「落下音」で表現した作品です。

 

※アルトマルク地方は、第二次大戦末期から戦後、ソ連軍の進攻と占領の影響を強く受けた地域。冷戦期には周辺にソ連軍の演習地帯も置かれ、東西ドイツ統一後も旧ソ連系部隊の撤収完了は1994年まで続きました。そう考えると、この土地に漂う戦争の残響と暴力の記憶は、本作の不穏な空気と深く響き合っているように思えます。

 

 今回のレビューはネタバレ無しでは書けないので、以下は映画の鑑賞済の方だけお読み頂ければ⋯と思います。

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★少女たちの残酷な肖像

①エリカ

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 オープニング⋯1940年代。第二次世界大戦終戦後の混乱の中にある東ドイツ。

 

 「家の仕事をサボるな」と、専横的な父親からことあるごとに暴力を振るわれている10代の少女エリカは、片足を失っているため一室に閉じこもりきりの叔父フリッツ(40代後半〜50代前半?)に対する性的欲望を抑えきれないでいます。(それを表現する、あるシーンはかなりショッキングです)

 

 農場の傍には川が流れており、川を渡ればそこは西ドイツ。後に彼女は泳いで西側に渡ろうとして溺死してしまうのですが、その原因として、ソ連兵から性的暴行を受けたことによるトラウマが暗に示されます。

 

②アルマ

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 時代は逆行して1910年代。6〜7歳の幼いアルマ。彼女は自らが経済的・性的搾取や虐待の対象となることはありませんでしたが、様々な恐怖に満ちた「事件」を覗き見ます。(幼いアルマは、その事件の持つ意味をはっきり理解できないのですが、観ている私たちはその恐ろしさに震えるのです)

 

 ある日彼女は、叔父のフリッツ(①エリカの欲望の対象となるフリッツの若き日)が「嫌だ❗️助けて」と叫びながら男たちに羽交い締めにされ、納屋へ連れ込まれるのを目撃します。フリッツは納屋の上から突き落とされて重傷を負い、それがもとで片足を切断します。彼を兵役に取られないため、両親が行った非人道的な行為。片足を切断されたフリッツの幻肢痛はしかし苛烈を極め、闇を切り裂く彼の呻きと叫び声は、長くアルマを悩ませるのでした。

 

 動けなくなったフリッツの性欲処理を担当するのは、若い女中のトゥルーディ。奉公時、強制的に不妊手術を受けさせられた彼女は、フリッツだけでなく、屋敷の他の男たちの性欲のはけ口になっていて、「夜、トゥルーディの部屋の前には男の人たちが列を作っている」と、幼いアルマが意味もわからず呟くことの恐ろしさに、ヲタクはゾッと背筋が凍る思いでした。

 

 しかし、それはトゥルーディに限ったことではありませんでした。不況で行き詰まった農場を救うため、長女のリアが他の屋敷の女中奉公に出ることになったのです。不妊手術を受けた我が娘に、「ご主人様をお慰めするんだぞ」と言い放つ父親⋯。しかしリアは、屋敷に向かって疾走する馬車から身を投げて自ら命を絶ちます。

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※抗議の死を遂げるアルマの姉、リア

 

 当時の北ドイツの風習なのでしょうか、葬儀の折に死者を中央に座らせて家族写真を撮るのですが、リアは瞳を閉じないよう針と糸で瞼を縫い付けられるのです。醜悪な世界を見たくないがために自ら命を絶った彼女なのに、死後、目を閉じる自由さえも奪われなければならないのか。------ヲタクは、怒りと哀しみに身体が震えましたよ。

 

アンゲリカ

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 1980年代、東西冷戦下。アルトマルクからは旧ソ連系部隊が撤収しておらず、依然として第二次世界大戦の傷跡が色濃く残っていた時代。

 

 父親から「明るく元気で、愛嬌のある娘」像を強要されている彼女はいつも、「自分が自分自身とは感じられない」という違和感に悩んでいます。(父親に向かって、無理に口角を上げて笑いかける彼女が痛々しい⋯)しかし、その違和感を圧し殺して「自分を(父親好みに)創り上げ」ようとしても、「恥ずかしいと人は赤くなり、顔に出るから本当の気持ちが皆にバレちゃうんだよね」と彼女自らモノローグで語っているように、少女特有の鋭い感性から、自らの肉体はやすやすと思考や意志を裏切っていくことに気付き始めてもいるのです。

 

一方で彼女は、屋敷に同居している叔父のウーヴェから性的虐待を受けていると思われるフシがあり、その鬱屈した感情を、「父親の運転するトラクターに轢き殺される」希死念慮によって晴らしています。

 

 しかしある日、庭で行われる親族の集まりの最中、彼女は突如として彼らの前から姿を消し、消息を絶ちます。村の噂では、東西ドイツの国境を流れる川(40年前、エリカが渡ろうとして溺死した川)を泳いで、西側に行ってしまった---------というのですが⋯。

 

④ネリー

 現代。無口で内向的な彼女は、活発な姉のレンカと自らを常に比較し、「母親から愛されていない」と感じています。

 

 川遊びの帰り道、母親と姉に先に行かれただけなのに、自分が溺死して母親が泣き叫ぶ姿を夢想するなど、「見捨てられ不安」に常に苛まれています。

 

 そしてラスト、100年前にフリッツが両親から突き落とされた納屋の上から、彼女は自ら身を投げて------------。

 

 ネリーのこの唐突な死は、作品中唯一“理由が提示されない死”であり、彼女こそ、少女たちを苦しめてきた忌まわしい過去と断絶しているようで、最も深く繋がっている存在なのです。

 

★むせるような死の匂い

 マーシャ・シリンスキ監督は、この作品を制作したきっかけを次のように語っています。

 

< 私と共同脚本家のルイーズ・ピーターにとって出発点となったのは、「理由がはっきりしないのに湧き上がる不安や恐れはどこから来るのか?」という問いでした。

唐突に現れる感情なのに、自分の人生や経験を振り返っても説明できない。それは世代を超えて継承されてきたものではないかと考えた私たちは、世代間トラウマに関するいろんな事例を集め始めたんです。

 

 ヒロインの少女たちが、実際に死を選んだり、自死する妄想に取り憑かれるのは、彼女たちを苦しめる抑圧や搾取から逃れる唯一の術が「死ぬこと」だったからでしょう。悲しいことですが-------。

 

 しかし、ラスト、高所から身を投げて自死するネリーの場合、エリカやリア、アンゲリカとは違って、虐待を受けているとか、経済的・性的搾取をされている事実は提示されません。ヲタク思うに、ネリーこそが、監督の言う「理由のない漠然とした不安」に苛まれる現代の少女を体現する存在ではないかと思うのです。

 

 これは良く言われるところの「遺伝的記憶」でしょうか。例えば、現代人が夜を恐れる感覚は、単なる心理的なものではなく、数百万年にわたる人類の進化の過程で刻まれた「先祖の記憶(遺伝的記憶)」に由来する可能性が高い⋯と。

 

 だとすれば、ほんの数十年前まで繰り返されてきた少女たちへの抑圧と搾取の恐怖が、現代の私たちの潜在意識に刷り込まれ、漠然とした恐怖を呼び起こしたとしても不思議はありますまい。

 

★ヒロインはなぜ少女でなければならなかったのか

 なぜこの物語は、「少女」たちでなければならなかったのか。
同じ出来事を大人の女性で描くこともできたはずです。
それでもなお、監督は“少女”という存在にこだわった。
そこには、この作品の恐怖の本質が隠されているように思えてなりません。

 

〜少女は未完成な存在である〜

 少女は、まだ社会的にも身体的にも“完成されていない存在”。
自分の意思が確立していない。世界のルールを完全に理解していない。
でも「何かがおかしい」という違和感だけは、特有の鋭敏さで感じ取ってしまう。
つまり、「理解できない不安や恐怖」を最も純粋な形で受け取ってしまう存在なのです。

 

〜少女は「搾取される存在」の象徴〜

この作品における少女たち(アルマ、リア、エリカ、アンゲリカ、ネリー)は、単なる個人ではありません。
彼女たちは、言わば性的搾取、家父長制、経済的搾取、戦争など、すべての暴力が向かう先。彼女たちは、「選べない」のです。生まれた家、肉体、社会的立場が全て定められていて、逃げ場がありません。そこから生まれ出るものは、恐怖のみ。

 

〜少女は「記憶の器」として機能する〜

 今作品の少女たちは、監督が意図したように、過去の連綿たる「負の歴史」を受け取る器として機能しています。

 

・アルマは過去を覗き見る

・エリカは暴力を引き受ける

・アンゲリカは違和感を自覚する

そして⋯

・現代のネリーは理由なき恐怖を我が身で体現してしまう

 

 少女とは本来、明るい未来そのものの筈。
しかしその未来が、ここではすでに“汚染されている”のです。生まれた時点で、何も知らない無垢な段階で、彼女たちはすでに負の歴史を背負ってしまっている。

 

 従ってラストのネリーの死は、単なる少女個人の悲劇ではなく、未来そのものの断絶を意味しているのです。

 

 そして彼女たちの記憶は、消えることなく、形を変えながら、“落下音”を響かせていく。

 

 ---------その忌まわしい記憶の連鎖を、どこかで断ち切らない限り。

 

★今日の小ネタ⋯『少女ムシェット』(監督 ロベール・ブレッソン)

 

——あの「落下」は、決して映画『落下音』だけのものではなかった❗️

 

 14才でありながら父親の飲み代のために強制労働させられ、寝たきりの母親に死なれた上に森の密猟者にレイプされる少女ムシェット。彼女は母親の葬式用にと、近所の親切な老婦人がくれた服を抱きしめ、ゴロゴロと丘の上から転がり続け、池に落ちて2度と浮かび上がって来なかった。あれはまさに悲惨な現実世界から逃れるための、少女の意思による「自由への落下」でした。

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※『少女ムシェット』ラストの落下シーン。辛くていたたまれない⋯😭

 

 ネリーが母親と姉に「置いてきぼりにされた(=見捨てられた)」と感じた時の希死念慮の妄想シーン、『少女ムシェット』のラストにそっくりなんだよね。

 

 シリンスキ監督による、『少女ムシェット』のオマージュだと感じたのはヲタクだけ❓️