昔むかし、若かりし頃のヲタクが胸ときめかせた名画たち。
記憶の中に棲むそんな作品たちも、時を経て再び向き合ってみると、まるで別の顔を見せることがあります。
今日ご紹介するのは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の傑作『ベニスに死す』。
かつてのヲタクは、この作品をただ「ひたすらに美しい映画」だと思っていました。
「世界一美しい少年」と称されるビョルン・アンドレセンが演じたポーランド貴族の子息タジオの神々しいまでの美しさ、ヴェネツィアの退廃的な風景、そして静かに流れるマーラーの交響曲第5番第4楽章(アダージェット)——そのすべてに心を奪われ、まるで夢のような時間に浸っていた記憶があります。
けれど今、ヲタクが改めてこの作品を見返してみると、その印象は大きく変わりました。
これは決して、単なる“美しい映画”ではない。
むしろ——美というものが、人間をどこまで狂わせ、そして破滅へと導いていくのかを描いた、あまりにも残酷な物語だったのです。

高名な作曲家にして大学教授のアッシェンバッハ(ダーク・ボガード)。初老期を迎えた彼は体調を崩し、療養のために訪れた水の都ベニスで、この世の美の粋を一身に集めたかのようなポーランド貴族の少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)に出逢います。タジオとの邂逅は、美とは、芸術とは弛まざる克己心と鍛錬、努力によって形成されるべきもの、美とは真であり善である--------と信じて疑わなかったアッシェンバッハの人生観を粉々に打ち砕くものでした。

それからというもの、理知的な人間であることを自負していた筈のアッシェンバッハは、ホテルの社交場で、海辺で、熱に浮かされたようにタジオの姿を追い続けます。しかし自身の美を充分認識しているかのようなタジオは、姿に似合わぬ冷たい笑みを口の端に浮かべながら、アッシェンバッハを翻弄していきます。
果たしてタジオはメフィストなのか?
それとも無垢な美そのものなのか?

ただただタジオの一瞥が欲しいために、髪を黒く染め、顔に白粉を塗りたくるアッシェンバッハ。当時ヨーロッパで猛威を奮っていたコレラは、ベニスにも広がってきます。以前のアッシェンバッハなら、すぐさまベニスを離れたことでしょう。しかし彼はタジオのいる街に留まることを「選択」するのです。
ピエロのような風体で、タジオの姿を追い求め、ベニスの街なかを徘徊するアッシェンバッハ。街の腐敗は、彼自身の内面の崩壊と呼応するかのように彼を鷲掴みにし、そしてついに--------❗️

コレラに罹ったアッシェンバッハが、遠くにタジオの姿を追いながら息絶えるシーン。高熱で流れる汗に白粉は剥げ落ち、額には髪染め粉の黒い筋が⋯。生まれながらの自然なる美の前に打ち砕かれる理性-------映画史上最も美しく、残酷なシーンではないでしょうか。
★遅れてきたロマン主義者 トーマス・マン
原作は、ドイツの作家トーマス・マンの同名小説。マンが30代の頃に着想したと言われています。若き日のマンは、ドイツ・ロマン派の死への賛美や、非合理主義、理性を打ち壊す激情を濃厚に受け継ぎ、「遅れてきたロマン主義者」と呼ばれていました。
タジオに出逢うまでは典型的な※古典主義的芸術家であったアッシェンバッハが、冷たい魅力を持つ美少年タジオに狂い、破滅へと突き進むさまは、当時マンが傾倒していたと思われるデカダン的ロマン主義の高らかな勝利を誇示しているようで感慨深いものがあります。
※古典主義の特徴
・理性の尊重: 感情や個人の個性よりも、理性的で普遍的な人間性を描くこと。
・規則への服従: 形式的な美しさを重視し、構成や形式に厳しい制限を設ける。
・均整と調和の追求。
この作品を観ていると、タジオと出逢う前のアッシェンバッハの理性とその後の狂気、2つの相反する渦が、トーマス・マン自身の中にせめぎ合っていたかのように思えてなりません。
だからこそこの物語は、単なるフィクションではなく、ひとりの芸術家の“内面の告白”のようにも見えてくるのです。
死にゆくアッシェンバッハが最後の瞬間に捉えた、あの遠い海辺に立つタジオの姿は、救済ではなかった。
むしろ——決して手の届かぬ美という名の冥い淵へと引き摺り込む存在そのものだったのではないでしょうか。
死告天使----アズラエルのように。

※死告天使アズラエル(イーヴリン・ド・モーガン画)
★今日の小ネタ⋯美神シルヴァーナ・マンガーノ様
「美とは何か」が究極のテーマであるこの作品、監督ルキノ・ヴィスコンティにとってアンドロギュノス的な美少年タジオがその一典型であるのは間違いないところですが、その一方で、監督の美意識が結晶した存在と言えるのが、タジオの母親を演じたイタリアの名女優シルヴァーナ・マンガーノでしょう。

13世紀から続くミラノ公爵家出身のヴィスコンティ監督は極度のマザコンで😅『ベニスに死す』ではマンガーノを使って、今は亡き自身の母の面影をスクリーンに完全再現しようとしたようです。

※ヴィスコンティ監督の母で、ミラノ社交界一の名花と謳われたカルラ・エルバ。
映画制作の折には、調度品から何から全て「ホンモノ」を使わないと気がすまなかった超完璧主義のヴィスコンティ監督。『ベニスに死す』のホテルに集う貴族のエキストラは、全員自分の友人であるホンモノの貴族だった⋯⋯と言うのだから、恐れ入ります(笑)