オタクの迷宮

海外記事を元ネタにエンタメ情報を発信したり、映画・舞台・ライブの感想、推し活のつれづれなどを呟く気ままなブログ。

舞台『毛皮のヴィーナス』溝端淳平 × 高岡早紀(シアタートラム)


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 シアタートラムにて、横溝淳平と高岡早紀の二人芝居『毛皮のヴィーナス』観賞。

 

19世紀オーストリアの小説家レオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホの『毛皮のヴィーナス』を戯曲化した演出家のトーマス(溝端淳平)。主人公が愛を捧げ、崇拝し、支配して欲しいと願うヴィーナスことヴァンダを演じる女優を探して毎日オーディションを繰り返していますが、なかなか思うようにことは運びません。冒頭でフィアンセに状況を愚痴るトーマスのセリフ(「来るヤツ来るヤツ、バカばっかり。全く俺の戯曲を理解していない」)から、彼が尊大で自信過剰の「ヤなヤツ」であることが見てとれます。そこに、無名の女優のヴァンダ(高岡早紀……奇しくも戯曲のヒロインと同じ名前で、この偶然が舞台が進むにつれ、ジワジワと効いてきます)が飛び込んできます。彼女は一見ガサツで知性のかけらも感じさせず、トーマスがグチるところの、所謂「おツムの軽い女優」の一人のようでした。彼女の言動にウンザリしたトーマスは、なんとか彼女を追い払って、フィアンセの待つ自宅に帰ろうとしますが、ヴァンダは言うことを聞きません😅渋々自分が相手役となり、読み合わせを始めますが……。

 

  じつはこのヴァンダ、読み合わせを始めてみれば長台詞は全て頭に入っているわ、トーマスの戯曲の矛盾点に鋭いツッコミを入れるわ……で、次第にトーマスは彼女の知性と頭の回転の速さに翻弄され始め、いつのまにか二人の力関係が逆転していきます。この二人の変化、コメディタッチで進んでいくのでわ私たち観客はクスクス笑いながらさらっと見過ごしがちですが、特に、トーマス自身が意識していなかった潜在的な女性蔑視の感情が、ヴァンダの鋭い指摘によって暴かれていく過程は、二人の息がピッタリ合っていなければ難しいし、演技力も要求される難しい舞台だと思います。これが3度目の共演だという二人、さすがに阿吽の呼吸、演技の相性もバッチリ😊まあとにかく見ているだけで眼福の美しいお二人♥️皮肉で苦い内容なんだけど、ともすればそれも忘れ果て、声も立ち姿も振る舞いも優雅なお二人にうっとりと熱視線を送ってしまうヲタクなんでした(笑)

 

  ヴァンダによって自らの潜在的な欲望が露になっていくことに戸惑い、焦り、必死に抵抗するトーマス。しかしラスト、またさらに意地悪などんでん返しが待っているのです。

 

え!?オイオイ、トーマスの潜在的な欲望ってそっちだったのかよー❗

……ってゆーね。

作品は終わっちゃったけど、あの後二人はどーなっちゃうのかしらん。まあ、異常な状況下の恋愛で結ばれた男女は長続きしないって説があるけどね😅

 

  作品自体は2011年にアメリカの劇作家デヴィッド・アイヴスが発表したものなので現代劇の範疇に入るものだとは思いますが、何しろ主役の二人がマゾッホの世界に没入しており(時折ハッとして、「今の自分」に立ち戻る)、ギリシャ神話のメタファもちょいちょい出てきて、過去と現在、フィクションとリアルが混在する、不思議な魅力を持つ舞台と言えるでしょう。

 

  この作品、※ポランスキー監督が映画化してまして。しかもヴァンダ役は現在のパートナー、エマニュエル・セニエポランスキー、第二のロジェ・バディムか❓(笑)トーマス役は、監督兼俳優のマチュー・アマルリック。(先日、彼の監督最新作『彼女のいない部屋』ご紹介したばかりでしたね)彼の場合、いかにもヘンタイオヤジふう(失礼❗)だったから、最後のどんでん返しも(ふーーん)ってカンジであんまり驚きはなかったんだけど、今日の舞台は、何せ端正な超イケメン溝端クンですから。かなり意外性がありましたよね。

※この『毛皮のヴィーナス』、作者はアメリカ人だけど、映画化はフランス……って面白いですよね。いかにもフランス人好みのヒネった内容で。マゾッホオーストリア人で、対極にあるマルキ・ド・サドはフランス人。SMは表裏一体と言われてるから、フランスで映画化されたのも、宜なるかな……ですね😉

 

  溝端淳平 ×高岡早紀。かなりのゴールデンコンビだと思うな😃また別の作品で見てみたいですね、このお二人♥️