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インドを舞台にした映画と言えば、突如として歌と踊りが始まるボリウッドスタイルがすぐさま思い浮かびます。しかしこれは歌も踊りもない、インド社会の「今」を鋭く抉った社会派ドラマであり、かと思えば『スラムドッグ$ミリオネア』を思い出させる一人の青年の「成り上がり」の物語でもある、なんだかとても先鋭的なインド映画といった趣。(主人公が、「クイズに勝って億万長者になるなんて、(実際には)起こりっこない」なんてセリフも😅)
カースト最下層に生まれたバルラム(アダーシュ・ゴーラヴ。これがデビュー作だそうですが、新人らしからぬ演技❗)。彼のモノローグ「下層のカーストに生まれた者はニワトリ小屋にいるニワトリと同じ。いくら狭くても外の世界を知らないから、逃げようとも思わない。そして最後は人間に食べられてしまう」は、映画全体を貫くテーマ。彼が閉じ込められているのは身分制度という檻だけではありません。仕事に就いたら、一族郎党20人近くを養わなくてはならないという二重の檻。…大多数がそれを運命と疑いもせず甘受しているのに、バルラムは、ニワトリ小屋が自分の唯一の世界だとは到底納得できなかった。彼は、運命に従い、全てを受け入れて生きる大多数の人々の中では異質の「ホワイトタイガー」。バルラムは、「インドのカーストはたった2つ。腹が膨れている者とぺちゃんこの者」と言い放ち、腹一杯食べることのできる生活を目指して行動を起こします。地元一の富豪の家に下っ端の運転手として潜り込んだ彼は、あらゆる(時には汚い)手を使って「ご主人様」に取り入り、憧れの生活を手中にしようとしますが…。
彼が仕えたのは、富裕な家に生まれ、アメリカに留学して経営を学び、アメリカ育ちのインド人の妻を伴って母国に帰国したアショク(ラージクマール・ラーオ)。アショクは「アメリカ第一主義」で、ゆくゆくはアメリカで起業を夢見ています。バルラムは、そんなアショクのアメリカ志向を内心(時代遅れだ)と思っているフシがあり、インド独自のビジネスモデルを立ち上げるべきだと考えるのです。そんなある夜、アショクと妻のピンキー(ミス・ワールド出身のプリヤンカ・チョープラー。ゴージャスなセレブ感ムンムンで息苦しいくらい=笑)のお供で出かけたバルラムは恐ろしい出来事に遭遇し、彼の運命の歯車は大きく変転していきます。
夫も私もそれぞれインド人と仕事をしたことがありますが、カースト制度と宗教がいまだに彼らの意識、価値観、生き方全てを縛っているような印象を受けましたね。当時娘が看護師を目指していたので(結局方向転換してしまいましたが😅)、夫がインド人の通訳の女性(上層カースト出身)にそれを話したところ、「まともな家の女性はそんな職業につくべきではない」と言下に切り捨てられて、真底驚いたそうです。戸籍制度も整っていないので、出先で行き倒れても、身元がわからない場合が殆どだそうです。その話を夫から聞いた時、大国インドが遠くない将来、中国に互して世界経済の覇者になるだろうと言われながら、中国のリードを許しているのも、こんなところに理由があるのかな…と思ったものでした。
この映画は、バンガロール(インドのシリコンバレーと言われている街)で起業したバルラムが、どうやってここまでのしあがってきたのか、自らの半生を振り返るストーリー展開。アメリカ第一主義だったアショクとは真逆で、中国とのビジネスを始めようとしている彼。「世界は茶色(インド)と黄色(中国)に支配されてるんだ❗」という彼自身のナレーションが入りますが、パキスタン問題等を内包する現在のインドと中国の微妙なバランス関係を考えると、一見成功者に見えるバルラムにも、危うさを秘めた将来が予見されるような気が…。
同じインドを舞台にした映画でも、まるでアメリカンドリームをインドで体現したようなアーミル・カーンの一連の作品とは真逆の、ブラックで苦い後味。彼が今の地位に上り詰めるきっかけになる出来事、ネタバレになるのでここには書きませんが、彼が「ニワトリの檻」から逃げるにはこの方法しかなかったのか?…と考えると(彼自身は、「この方法しかなかった」と断言していますが)、いまだにインド社会が抱える問題の根深さに戦慄します。
これだけリアルにインド社会に根深く存在する格差を描いた作品ながら、脚本・監督を担当したのはイラン系アメリカ人のイラン・バーラニ。ちょっと離れた視点に立ったほうが客観的に物事を描けるのかもしれませんね。
アカデミー賞脚色賞にノミネートされている作品です😊