KINOシネマ横浜みなとみらいにて、映画『エリザベート1878』鑑賞。
ヒロインは、オーストリア・ハンガリー帝国の皇后にして「帝国の父」と謳われたフランツ・ヨーゼフ1世の妻エリザベート(愛称シシー)。その圧倒的な美貌、フランツ・ヨーゼフ1世とのドラマティックな恋、皇室の枠に収まりきれないその自由奔放で情熱的な生き方、さらにはアナーキストに心臓を一突きされて暗殺されるという悲劇的な最後は恰好な題材となり、今までも何度となく映画・ドラマ・舞台化されています。ヲタクが観た作品の中で、シシーが登場する作品って、(主役だけでなく脇役としての登場も含め)思いつくだけでも、『双頭の鷲』(監督/ジャン・コクトー)『シシー』(主演/ロミー・シュナイダー)、『ルードヴィッヒ』(監督/ルキノ・ヴィスコンティ、主演/ヘルムート・バーガー)、ミュージカル『エリザベート』、Netflixドラマ『エリザベート』、番外編で『うたかたの恋』……スゴイことになってる(笑)
※コルセットに身体を捩じ込む為に息をつけないエリザベートは、風呂に身を沈めて息を止める練習までします。なんという残酷、なんという非道。
これだけの有名人、悪く言えば「使い古されたネタ」を、今まで誰も考えつかなかった切り口で演出した手法は、見事と言うほかありません。実在の人物を映画で描く方法って2通りあって、その人の人生あるいは半生を大河ドラマふうにガッツリ描くか、あるいは人生に大きな影響を与えた出来事、人生の転換期における心情の変化にスポットを当てるか、どちらかかと思います。後者の代表作としては、『マリー・アントワネット』(2007年…ソフィア・コッポラ監督)や『スペンサー/ダイアナの決意』(パブロ・ラライン監督)がありますが、今回の『エリザベート 1978』は前述の2作よりもさらに大胆に、1978年1年間のエリザベートの魂の内奥に踏み込み、虚実織り交ぜたストーリー展開で、あっと驚くような解釈をしてみせます。……まるで優れたミステリのどんでん返しのように。
※追い詰められたエリザベートが唯一信頼を寄せる女官マリエ(左…カタリーナ・ローレンツ)。しかしその信頼関係が行き着く驚愕の結末は……❗❓
1978年、オーストリア・ハンガリー帝国の皇妃エリザベート(ヴィッキー・クリープス)は40歳を迎えていました。生涯をかけてハンガリーを熱烈に愛した彼女は、夫である皇帝にさまざまな方法でハンガリーの自治権を認めるよう働きかけますが、フランツ・ヨーゼフ1世は彼女に政治に首を突っ込むことなど断じて許しません。美しく着飾り、人民の敬愛の象徴たれと耐えず強要される彼女は、精一杯それに答えようと、若い日の華奢なスタイルを維持する為に、来る日も来る日も数枚のスライスオレンジとコンソメスープだけで過ごし(晩餐会のご馳走を眼の前にして、全く手をつけないって……これ、1種の拷問じゃないですか❓😢)、公の場にはまるで甲冑のようなコルセットで、ウェスト50センチ❗までギリギリと締め上げるのです。ある日、公式の場で意識を失い倒れた彼女。彼女は自問自答します。
私は何のために、自分をこれほど追い詰めているのだろう?
…と。憔悴し切ったエリザベートが語る「人は人を愛するわけじゃない。人が自分に与えてくれるものを愛するのよ。」という残酷な真実と、それに対峙する彼女の絶対的な孤独は、観ているこちらの心を抉ります。
※末子ヴァレリーを溺愛するエリザベートですが、ヴァレリーはエキセントリックな母を恥じて…。
そしてエリザベートは、ある決意を固めます。昨日までの自分に訣別し、本来の自分を解き放とうと。彼女はさまざまな方法で、皇后ではなく一個の人間として生きることを模索しますが、帝国の存在、皇室という1つのシステムはそんなことを彼女に許すはずもありません。彼女を待っていたのは、最愛の息子であるルドルフ皇太子やヴァレリー皇女からの反抗と、夫であるオーストリア皇帝からの冷たい侮蔑の視線でした。エリザベートは、逃げることのできない「絶対的孤独」に、徐々に追い詰められていきます。そして最後に、彼女が選択した方法は……❗❓
ラストはかなり衝撃的で、ヲタクとしてはショックだったなぁ…。たとえ皇妃という立場であっても、いやだからこそ、真の自分自身に立ち返る為にはあの方法しかなかったのかと思うと……。ある意味、無政府主義者に刺されるのとどちらが悲劇的なのか…❗❓っていう。
製作総指揮と同時に主演を務めるのは、鬼才ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ファントム・スレッド』やマチュー・アマルリック監督の『彼女のいない部屋』で鮮烈な印象を残したルクセンブルク出身の女優ヴィッキー・クリープス。彼女はフランスの俳優ギャスパー・ウリエルと愛人関係にありましたが、ギャスパーは昨年の1月、スキー事故で急逝してしまいます。『彼女のいない部屋』で、大切な夫と子供を事故で失う女性の役にヴィッキーを起用したアマルリック監督は、「撮影の直後に彼女を襲った同様の悲劇を考えると、複雑な気持ちになる」と語っていました。そして今作、奔放で自己主張の塊のようなエリザベートが時折見せる苦悩と哀しみが何とも切なく、私生活で魂の片方をもぎ取られるという喪失体験を経て、ヴィッキー・クリープスが女優として何段階も上ったことを如実に示すものでした。
エリザベートの時代から150年以上経っても、未だに女性たちをがんじがらめにする加齢の恐怖やルッキズム。現代にも通じる様々な問題を内包した『エリザベート1878』。特に女性には見てもらいたい作品です。