オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、映画・舞台・ライブ鑑賞後の感想をゆるゆると呟いたりする気ままなブログ。

選ばれし者の宿命〜Number_iとエルヴィス・プレスリー


f:id:rie4771:20240308054053j:image

 最近Number_iの活躍が目覚ましいですね。久々に現れた、老若男女をトリコにする国民的アーティストって気がします。彼らがどこまで高みに上っていくのか、もはや想像もつかなくなってきました。またね、彼らを支えるファンの方たちの、3人に対する想いが深いこと、健気なこと!最近は、ファンの方たちの、愛と悦び溢れる応援ポストの数々を読むのがヲタクの密かな楽しみです。ヲタクは元旦に『GOAT』のMV見て沼オチした新参者だけど、SNSに満ちる皆さんの熱量にはとてもかなわないなぁ。一生懸命「イイネ」ポチしてはしてるけど(笑)

 

 イマドキ、ゴリゴリなラップはダサい……って風潮のある中、あえて第1弾を『GOAT』でブチ上げ、さらにシングルカット第2弾が『FUJI』ってことで、いかに彼らが攻めの体勢に入っているかがわかります。昨今の彼らを見ていて、ふと思い出したのが、キング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリー。極貧の幼少期、黒人街で育ったプレスリーにとって、音楽のルーツは黒人たちが教会で歌い上げるゴスペル。黒人社会からは「物好きな白人」と奇異な眼で見られ、白人社会からは「白い顔の黒人」と揶揄される中、彼は独自の音楽を築き上げていきました。いわばルーツを「超えた」んですね。Number_iもまた、今回同時発売されたEP全6曲を聴いていると、これまで3人に影響を与えてきた様々な人々、多彩な経験や事象を全て吸収して、咀嚼して、彼らにしか出せないオリジナリティを確立しようと格闘している気がします。

 

 さて、不世出のキング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーにも長い低迷期がありました。それがちょうど、長年の恋人プリシラと結婚して、愛娘のリサ・マリーが生まれ、成長していく時期と被るんですね。長いスランプを経てプレスリーはラスベガスで開催されたコンサートで奇跡の大復活を遂げるんですが(その模様は映画化され、日本でも大ヒットしました)、まさにその初日のコンサート後、舞台袖に押し寄せるファンを次々と抱きしめ、キスをするプレスリーの姿は、2022年に公開された映画『エルヴィス』(監督/バズ・ラーマン)で克明に描かれています。一部始終を見ていた当時のマネージャーが、その夜は招待者席にいた妻のプリシラを見て、こう呟くんですね。

 

彼女は今、真実を知ってしまった。

自分がエルヴィスに与えられる愛は到底、ファンたちが彼に注ぐ愛には叶わないのだと。

 

 そう、その時のプリシラの、悲しみと絶望に満ちた、何とも言えない表情にヲタクは心抉られましたよ(ToT)……そして同時にプリシラはその時、悟ってしまったんですね。最愛の夫エルヴィスは、自分や娘との平穏な生活では到底満足できない、華やかなスポットライトや怒涛のような歓声、ファンから浴びる熱視線でしか、エクスタシーを感じることのできない人間だったということを。その夜以降、エルヴィスとプリシラの結婚生活は、一気に崩壊へと転がり始めます。

 

 奇しくも『GOAT』のティザーでギリシャの神々に模されたように、Number_iの御三方はこれからますます注目を浴び、万人から愛され情熱を注がれる、音楽界のアイコンとなっていくでしょう。しかしそれには悲しい哉、それ相応の大きな代償が伴います。プレスリーの悲劇を見てもわかるように、時代の象徴であるべきアイコンが、我々市井の人間でも持てるようなささやかな幸せや温もりを求めた時、それまで見る者の欲望を引き摺り出し、火を付け、狂おしい気持ちにさせてきたカリスマ性は一瞬のうちに霧散してしまう。……ひどく残酷のようですが、それが事実なのです。一世を風靡したトップアイドル、山口百恵さんは世界的な写真家である篠山紀信氏から「時代と寝た女」という最上級の賛辞を贈られましたが、自身のアーティストとしてのカリスマ性よりも「家庭の温かいぬくもり」を求めた彼女は、結婚と同時に潔く引退しました。アイドルのカリスマ性は市井の幸福とは相容れないことを、彼女は生来の賢さでとうの昔に悟っていたのでしょう。

 

 これまで築き上げた数々の名声も、あまたある名曲の権利も全てなげうち、真の「スタァ」になるために新たな道を歩み始めたNumber_i。百恵さん同様クレバーな彼らのこと、そんなことは百も承知かもしれません。彼らの日頃の言動、とりわけファンの方々に対する振る舞いを見てもそれは明らかです。

 

 『GOAT』MVのラストで描かれたように、これから3人は今まで誰も到達し得なかった高みへと上り詰めていくに違いありません。彼らこそが、「令和という時代と寝る」男たちなのです。

 

 

 ………しかしそれでもなお、華やかなスポットライトを浴びて満面の笑みを浮かべる彼らの表情のなかに、時折ふと、生身の、血の通った青年の孤独と寂寥感が滲みます。『GOAT』と『FUJI』が華やかなアイコンが放つ光の象徴ならば、『Is it me?』と『Blow your cover』は生身の彼ら自身が抱える翳を表現したもののような……。そんな彼らの二面性を見た我々は、さらにさらにNumber_iの底無し沼にズブズブとはまっていくしくみ(笑)