オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、映画・舞台・ライブ鑑賞後の感想をゆるゆると呟いたりする気ままなブログ。

刺すような視線の先、あなたは何を見つめる~UPLINKオンライン『サーミの血』


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(From Pixabay)

 UPLINKオンラインにて『サーミの血』観賞。サーミとは何か?ちょっと長いけど、ウィキの説明を引用させていただきます😊

サーミ人サーミじん、北部サーミ語:Sápmi)は、スカンジナビア半島北部ラップランド及びロシア北部コラ半島に居住する先住民族。フィン・ウゴル系のうちフィン・サーミ諸語(英語版)に属するサーミ語を話すが、ほとんどがスウェーデン語、フィンランド語、ロシア語、ノルウェー語なども話すバイリンガルである。ちなみにラップランドとは辺境の地を呼んだ蔑称であり、彼ら自身は、サーミ、あるいはサーメと自称している。北方少数民族として、アイヌ民族などとの交流もある。錫を使った手工芸細工が有名である。

 

 ラップランドって差別用語なんだね、知らなかった…😮

古くは、我が敬愛する漫画家、大島弓子の『いちご物語』。サーミ人の血を引く少女いちごが日本に来て騒動を巻き起こすお話。サーミ=ピュアでイノセント、日本人=穢れた文明のシンボル…みたいに図式化されていて、彼女のアルカディア思想が最も顕著な作品だと思います。直近では、『ジュディ~虹の彼方に』アカデミー主演女優賞レニー・ゼルヴィガー。サーミの血を引く彼女、一時顔が激変して話題になったけど、あの目元の切れ上がった特徴的な顔のせいで役柄が限定されると思い込み、整形に走ったのでは?…ってウワサされてました。

 

閑話休題

 

  サーミ人のエレ・マリャはサーミの出自を捨て、スウェーデン人として年老いた。反対にサーミとして生き、サーミとして逝った妹のお葬式。息子と孫と共にやって来たものの、頑なに心を閉ざすエレ。ヘリコプターで親族がトナカイのマーキングに行くというので息子は楽しそうだが、エレ一人ホテルに残ることに…。

 

  時は遡って1930年代❓スウェーデン山間部でトナカイを追って暮らすサーミの子どもたちはある一定期間、寄宿舎に入ってスウェーデン語を学ぶ。文化と知識に憧れるエレは「高校に進学したい」と女性教師に訴えるのですが、教師は「あなたたちの脳は文明についていけない」と残酷な言葉を言い放ちます。近所の男の子たちから押さえつけられ、トナカイのマーキングみたいに耳を切られるショッキングなシーンもあるんですが、しかしそんなことにエレの自我は傷つけられたりしない。

 

  ヲタク的に一番憤懣やるかたないシーン。それは、政府高官の夫婦が寄宿舎を訪ねてきて、子どもたちの体の隅々を計測し、挙げ句の果てに全員裸にして写真を撮るところ。こういうことが日常行われていたとしたら、これはスウェーデンの歴史上最大の汚点でしょう。人類学的な調査材料として人間を扱うわけですから。ナチスアウシュビッツで行っていたことと思考回路は基本、同じだとヲタクは思う😢

 

  その時からエレの『闘い』が始まります。寄宿舎の教師は、「サーミの伝統を守ることがあなたの役目」って言うけど、彼女のルーツである『サーミの血』を守るか否かは個人の自由。人間として生まれて来た以上、自分の人生は自分で決める。それが人権ということなんだ、ってきっと聡明なエレは早くから気づいてた。

 

  寄宿舎を出奔したエレは、幼い知恵をふり絞ってひとりの人間としての自由を手中にしようと全力で闘い抜きます。何より、少女時代のエレを演じたレーネ・セシリア・スパルロクが最高に素晴らしい❗彼女はノルウェーサーミで、実際にトナカイの放牧もされている方のようです。この映画がサーミの枠を軽々と飛び越え、普遍的な物語になっているのは、彼女の真っ直ぐで鋭い、過去も未来も見通すかのような眼差しがあればこそ。

 

  心痛む場面も沢山あるけれど、観終わった後はとても爽やかな気持ちになる映画。最後、エレがあれほど嫌っていた自らの出自を受容するシーンも静かな感動を呼びます。

 

名画です。この機会にぜひ❗