2018年カンヌ映画祭の『ある視点部門』グランプリ作品。あの名作映画『ぼくのエリ~200歳の少女』の原作者であるヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストが自身の原作を自ら共同脚本、監督した作品です。当時の審査員だったギレルモ・デル・トロ監督が
強い詩。社会に見捨てられた者が人生において愛と怒りの間で選択を迫られる、大人のためのおとぎ話。
と絶賛したと聞いてましたから、デル・トロ監督の大ファンであるヲタクとしては外せない作品なわけです😉
一般的に北欧ミステリというと、社会に潜む様々な問題を、事件の犯人探しをする過程であぶり出していく手法がとられます。本作品は、映画の日本公開時には『北欧ミステリー』と銘打っていましたが、『児童虐待』という、福祉国家スウェーデンの闇を象徴する事件(ミステリー的要素)を絡めつつも、マイノリティ~デル・トロ監督言うところの社会に見捨てられた者~の悲哀と再生をファンタジックに描いていて、正確には、ミステリーとダークファンタジーの融合とでも言いましょうか❓その着眼点が新しくて、『ある視点部門』グランプリというのは超納得❗
『ぼくのエリ』では主人公が美しい少年少女なので、血のメタファや残酷さと美の融合が鮮烈でしたが、今回のヒロインは中年のオバサン(笑)…なんで、ヲタクとしてはめちゃくちゃ感情移入しやすかったです(笑)
ヒロインのティーナ(エヴァ・メランデル)は、特異な風貌の持ち主(本人は染色体異常と信じ込んでいるがじつは…)。彼女には他人には真似できない特殊能力がありました。それは、人間の負の感情、つまり嫌悪や羞恥心、後悔などを『匂い』で嗅ぎ分ける能力。彼女は自分の風貌や体つきを醜悪だと思い、人とは違う性癖や嗜好を恥ずべきと考え、自らを極度に抑圧し、社会の片隅でひっそりと生きています。「醜い為にいじめられた」という事実は映像では描かれず、ティーナが幼い日の微かな記憶として語るのみ。ティーナの周囲にいる人たちは、彼女とのボーダーをあたかも意識していないかのように振る舞っています。皆、優しい人たち。…でも、ティーナにとっての悲劇は、どんなささいな負の感情でも、嗅ぎ分けることができる、ということ。周囲の人たちと摩擦せずに生きてこれたのも、彼女が自我というものを極度に圧し殺し、社会に過剰適応して生きて来たから😢
ところが、そんな彼女の生活は、ヴォーレ(エーロ・ミロノフ)という一人の男の出現により、180度変化を遂げていきます。ティーナは、その男に、自分と共通する『何か』を嗅ぎ分けるのです。そんな彼に影響されて、少しずつティーナの自我の解放が始まるわけです。
ヴォーレがまたティーナとは真逆の、「人と違うのは優れているってことさ」とこともなげに断言するオプティミスティックな人物😅この短絡的な自己肯定はそのまま彼の『危うさ』に繋がり、彼が引き起こす重大事件の伏線にもなっているのですが…。
自分は本当は何者なのか、出自を知ったティーナは、最後に、自分はこれからどう生きていったらいいのか、究極の選択を迫られます。その答えの果てに、ティーナにもたらされたものとは…❓
圧倒的なスウェーデンの大自然、目に染み入るような森の緑色、見ているだけで震えるよいな冷たく透明な水…。そんな自然の美しさの中で、ティーナが最後に手に入れたもの。それを見たヲタクは、一気に涙腺崩壊するのでありました😭
デル・トロ監督が表現したところの『 強い詩』。なぜ『強い』のか❓それは、自分を貶め、息をひそめて生きて来たティーナの、自らのいのちの尊さへの目覚め、真の自立の物語でもあるからです。