オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、映画・舞台・コンサート鑑賞後の感想をゆるゆると呟いたりする気ままなブログです。

映画『落下の解剖学』に鳴り響く50Centの『P.I.M.P』


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 舞台はフランスのグルノーブル近く、雪に埋もれた山荘。ベストセラー作家のサンドラ(サンドラ・フュラー)は、彼女のファンである女子大生にインタビューを受けていましたが、階上にいる夫サミュエルが大音量で音楽をかけ始めた為、それまで上機嫌でインタビューを受けていたサンドラは少し眉を顰め、「……これじゃ話もできないわね」と苦笑いし、女子大生は困惑し、渋々帰っていきます。

 

 ……そして1時間余。

 

 盲導犬スヌープと共に近所に散歩に出かけていた視覚障害の息子ダニエル(11才…ミロ・マシャド・グラネール)は、異変を感じたスヌープに導かれ、雪を血に染めて倒れている父親を発見します。息子の悲痛な叫び声に駆けつけたサンドラ。しかし既に夫はこと切れていました。当初は単なる事故死と目されましたが、その後の警察の調べにより、前日に夫婦は激しい言い争いをしており、しかも夫はその一部始終を密かに録音していたことが判明します。ついにサンドラは夫殺しの罪で告訴され、法廷で彼女を待ち受けていたのは、彼女が1番恐れていた展開(4才の時の事故が元で視力を失った息子の為に仲睦まじい夫婦を装ってきた夫婦の仮面が、傍聴席に座っている当の息子の前で剥がされていく)だったのです。夫の死の前日に起きた夫妻の激しい口論と暴力の内容とは?それは果たして夫の死に関係しているのか?数々の謎を孕んだまま、苛烈な法廷闘争が幕を開けますが……。

 

 結論から言うと、これはサスペンスでもミステリーでもないので、ラスト、真実が明らかになってカタルシスを感じられる映画ではありません。不透明な部分は不透明なままで終わります(^_^;)それよりもこの映画は法廷で露わになっていく一組の夫婦の関係を通じて、社会の歪みと分断を描こうとしたのでは?と思います。

 

 個人的には、「男女平等」「女性が力を発揮できる社会の実現」なんて言葉が昨今そこかしこで軽々しく口にされるけど、所詮男性のDNAの中には、妻や恋人のキャリア、社会的成功を心から喜べない「本能」とも言うべきものが組み込まれているのではないか?という疑問が心の中にムクムク湧いてきちゃったわけですよ。これね、日本ならさもありなんと思うの。残念ながら日本は、いちおう先進国と呼ばれる国々の中でもダントツ女性蔑視の国だからさ。……でもね、フランスでこれ?っていう絶望感ね。映画の中に登場する検察や警察側の男性陣(しかも若い)がサンドラを追い詰めていくその奥底に、「社会で成功した女性」に対する憎悪と嫉妬がチラチラ垣間見れると思ったのはヲタクだけ?「私は無実なのよ!」と叫ぶ彼女に、彼女の古い友人で弁護を引き受けた弁護士のヴァンサン(スワン・アルロー)ですら、「この際真実は関係ない。世間にとって、君のような社会的に成功をおさめた著名な女性が実は夫殺しだったというほうが面白いんだよ」って言い放つんですから……。

 

 しかしもう1つ、ヒロインのサンドラは特異な条件下に置かれています。彼女は女性であるだけでなくドイツ人で、ロンドンで結婚して出産したのですが、息子の事故後の治療費で経済的に逼迫、夫の故郷であるグルノーブルに帰ってきた設定なんですね。故郷のドイツを嫌ってイギリスに渡った彼女は、フランスに住むようになってからも夫や息子と英語で話しているんです。女性でありしかもドイツ人……っていう。裁判が進むにつれ、それがさらに彼女を不利な立場に追い込んでいきます。フランス語が不得意な彼女は、陳述をする場合もデリケートな部分の説明ができません。二言目には「英語で話していい?」と言う彼女に、人々は冷たい視線を投げかけます。息子を守るためにこれまで夫婦で守り続けてきたお互いの秘密や恥部を次々と暴露されていく恐怖。もし自分が彼女の立場だったら……と思うと、背筋が寒くなりました。  

 

 そもそも冒頭、夫のサミュエルが大音量でかけてる曲がこともあろうに50Centの「P.I.M.P」なんですよねぇ。夫はこの時はまだ画面に登場していないんだけど、階下で妻が仕事中だと言うのに、この曲をガンガンかけてるってだけで彼の人物像が想像できる。監督がこの曲をしょっぱなから使ったことで、テーマはすでに明らかですよね(^_^;)

 

 法廷ドラマの形を借りて、社会に今も根強く残る差別と分断の問題、結婚や子育てというある種の「システム」が孕む様々な矛盾と危険性、さらには十分な証拠が揃っていなくても「有罪か無罪か」を決定しなくてはならない裁判制度の限界……等々を鋭く抉ってみせたこの作品。監督はフランス出身のジュスティーヌ・トリエ。2006年の学生運動を追った「Sur place」(07)や仏大統領選挙の日々を記録した「Solférino」(09) などのドキュメンタリー映画を制作して注目を集めた社会派監督のようですね。『落下の解剖学』は、第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で女性監督として史上3人目となる最高賞パルムドールを受賞、ゴールデングローブ賞最優秀脚本賞にも輝きました。第96回アカデミー賞でも作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞編集賞の5部門にノミネートされています。「パルムドールって私が3人目?たったの?」と驚き、「自分にとって、今までモデルになる女性の監督はいなかった」と威勢のいい発言が印象的な彼女、これからもその鋭い視点で問題作を繰り出していってほしいものです。

 

・おススメ度……★★★★☆

「男と女の間には深くて暗い河がある」

個人的には四ツ星だけど、男性の感想はきっと全く違うだろうなぁ。ヲタクは少なくとも夫とこの映画を観る勇気はない(笑)