相鉄線ゆめが丘駅前のシネコン「109シネマズゆめが丘」にて、「遠い山なみの光」(原作 カズオ・イシグロ)鑑賞。
1980年代のイギリスと終戦直後の長崎を行き来しつつ、被爆した人々の痛み、当時の日本の混乱の中で必死で生きる女性たちの姿、そして平和への切なる願いを郷愁を込めて、しかも幻想的に描き出した佳作です。
★ざっくり、あらすじ
1982年、イギリス。片田舎の一軒家で独り暮らす初老の女性悦子(吉田羊)のもとに、普段はロンドン住まいで疎遠だった娘ニキ(カミラ・アイコ)が突然訪ねてきます。ゆくゆくは文筆業で身を立てたいと思っているニキは、不倫関係にある編集者から、被爆後、幼い娘・景子を連れてイギリス人ジャーナリストと結婚した母・悦子の数奇な半生を本にまとめてみたら⋯⋯と勧められ、話を聞きにやってきたのです。長崎で会社員の夫と平穏に暮らしていたはずの母が、どういった経緯でイギリス人の父と結婚し、渡英することになったのか❓️悦子が日本から連れてきた娘・景子はなぜイギリスで引き篭もりになり、自死という痛ましい最期を遂げることになってしまったのか❓️
ところが重い口を開いた悦子が話し始めたのはなぜか、若き日の悦子(広瀬すず)が妊娠した頃、ふとしたきっかけで知り合った女性・佐知子(二階堂ふみ)と、被爆の後遺症で腕にケロイドを持つ彼女の娘・万里子の思い出でした。佐知子は長崎の市中を遠く離れたバラックに万里子と共に住み、進駐軍相手のパンパン(娼婦)をして生計を立てている女性でした。一見正反対の2人の女性でしたが、その運命は複雑に絡み合っていき⋯⋯❗️
★様々なナゾを読み解く
(注・ここからは結末をはじめとして重大なネタバレが含まれます。映画鑑賞後にお読み下さい)
★悦子(広瀬すず)と佐知子(二階堂ふみ)は同一人物なのか❓️
ズバリ、そうでしょう(笑)まず第一に心に留めておくべきはこの作品の原作者がカズオ・イシグロだということ。彼の作風は、人間の記憶や認知の曖昧さを描くところにあり、話し手の語る内容がしばしば事実と反する場合があるからです。しかしちゃんと伏線は張り巡らされていて、被爆後の悦子は夜中に突然起きてバイオリンを引き始めた事実が義父(三浦友和)の口から語られ、しかも悦子は全くそれを覚えていないという、トラウマによる乖離状態にあったことが想像されます。被爆したことをひた隠しにして最初の夫(松下洸平)と結婚し、生まれた娘に被爆の後遺症が出た時点で離縁されてしまったのではありますまいか。娘に思い出を語る時、生きるためとは言え、米兵相手のパンパンをしていた過去を恥じ、佐知子という別人格を創り上げたのではないか⋯⋯と思われます。
悦子と佐知子が同一人物であるという伏線は、演じる広瀬すずと二階堂ふみの演技にも張られているんですよ、実は。顔立ちが全く違う2人なのに、おっとりした起居動作や話しぶりが双子みたいに瓜二つなんです。広瀬すずと二階堂ふみ、演技のシンクロ率が凄い❗️❗️さすが若手女優の中ではトップランナーとしてひた走る2人だと思いました。
⋯⋯かえって、広瀬すず演じる悦子が、30年経ったとは言え、吉田羊になるかなぁ⋯とちょっと思っちゃった^^; 30年間の英国暮らしが、典型的な戦前戦後の日本女性だった悦子をすっかり変えてしまった⋯⋯ってことなのかな(笑)それにしても吉田羊の英語の発音、素晴らしい❗️台詞は全て英語、英国に移住して30年という女性の役に何の違和感もありませんでした。(ネットで調べたところ、長年英語を話せるようになりたい⋯という願いは持っていらしたそうで、昨年英国留学をされたそうです。その熱意と努力に乾杯❗️)
★登場人物の心象に呼応するかのような映像美
カズオ・イシグロの風景描写と言えば、登場人物の眼に映る光景が、心象と分かち難く呼応し合う場合が多いですが、この作品においても、原爆投下時は大勢の人々が横たわっていたであろう長崎の河原の風景は、美しいけれど凄絶さと不穏さを秘め、悦子が住む英国片田舎の穏やかな癒しの光景とは明らかに対照的です。
今年は戦後80年の節目の年。つい先日、天皇皇后両陛下と敬宮愛子内親王殿下が慰霊の旅を長崎で締めくくられたばかり。イシグロ氏の母親も長崎の被爆者。彼自身、母親の被爆体験を長く語り継ぐことが自身の作家としての使命であると明言しています。
しかしイシグロ氏は、原爆の恐ろしさや平和への願いをショッキングな描写で声高に主張するのではなく、1人の女性の生きざま、その心象風景を通して静かなメッセージを私たちに伝えてくれているのです。被爆体験、ひいては戦争体験が風化しつつある昨今だからこそ、特に若い世代に観ていただきたい作品だと、ヲタクはしみじみ思ったのでした。