オタクの迷宮

海外記事を元ネタに洋画の最新情報を発信したり、映画・舞台・ライブ鑑賞後の感想をゆるゆると呟いたりする気ままなブログ。

『hana~1970、コザが燃えた日』(東京芸術劇場プレイハウス)鑑賞記


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(写真スポット…撮影して、SNSで拡散しても可……とのことでしたので、UPさせていただきます。嬉しい😂)

 

  栗山民也演出の舞台『コザが燃えた日』(池袋芸術劇場プレイハウス)。栗山演出は、ちょうど丸2年前、紀伊國屋ホール『月の獣』(主演・眞島秀和岸井ゆきの)以来です。あの頃は、妙なウィルスの病が流行り始めた……というニュースを耳に挟んではいましたが、こんな大変な事態になるなんて思いもしなかった…(遠い眼)

 

  さて、今回の『Hana~1970、コザが燃えた日』。久々に正攻法な芝居を見た感があります。昔で言うなら「新劇」ですね、文学座俳優座、民藝とか。最近アングラ芝居鑑賞が続いていたので、何だかひどく新鮮に感じました。また、席が前から2列めという良席で、役者さんたちを見上げる、まさに臨場感🎵

 

  ヲタクが栗山演出をすごく好きなのは、たとえば今回の「沖縄コザ騒動」のような社会的・歴史的事件を題材にしていても、掘り下げてきめ細やかに描かれるのは、登場人物の心理だったり、それぞれの日常、さらに言えば各々の人生そのもの……だったりするから。2年前の舞台『月の獣』もそうでした。トルコによるアルメニア人虐殺事件という歴史の汚点を白日に晒す一方で、彼が焦点を当てたのは、戦争が心に残した傷痕のために、人を愛することに臆病になってしまって、それが元で少しずつ崩れていく若い夫婦の日常。歴史の特異な事件が優れた演出によって芸術に昇華され、「反戦」「平和」と声高に叫ばずとも、その普遍的なテーマが自ずと浮き上がってくるしくみ。

 

  沖縄返還を間近に控えた1970年。米軍基地の目と鼻の先で、太平洋戦争時の兵隊あがりの同棲相手、ジーラース(神尾佑)とバーを営むおかあ(余貴美子)。ジーラースは、おかあと米兵の間にできた娘、17才のナナコ(上原千果)を父親代わりに育てています。ところがおかあにはまだ、ナナコの他に、既に家を出てひとり暮らしをしている二人の息子がいます。

 

グレて高校を中退した末にヤクザ稼業に身をやつす長男ハルオ(松山ケンイチ)と、教師としてハルオとは真逆の人生を送っている優等生の次男・アキオ(岡山天音)。ハルオが2年ぶりに家に舞い戻ってきたところから、この家族の物語は幕を開けます。しかし、ハルオとアキオ、久しぶりに会った二人は、お互いに対する憎しみを隠そうとはしません。

 

  なぜ、二人はこんなにも憎み合うのか❓

おかあは発覚したらただでは済まないとわかっていながら、なぜ米軍逃亡兵のミケ(玲央バルトナー)を必死に匿うのか❓

ナナコが家にいるのにずっと制服を着ているのはなぜ❓

……と、劇が進むにつれ、私たち観客にはさまざまな疑問が涌いてくるのですが最後には、それが全て明らかにされます。そしてそれと同時に、沖縄の悲惨で過酷な歴史と、社会の矛盾に憤りとやりきれなさを抱えながらもなお、「なんくるないさー」「ぬちどぅ宝」と呟いて、前向きに生きている沖縄の人々の姿に胸を締め付けられ、最後に皆で合唱される反戦歌の名作『花はどこへ行った』が心に染み入る😢

 

  松山ケンイチ余貴美子神尾佑の、手練れ、というか、さすがさすがの安定感溢れる演技。彼らヴェテランの胸を借りて、初のストレートプレイを素晴らしく乗りきっている岡山天音くんに拍手~👏👏👏映像作品では本当にいつもいつもステキなお芝居を見せてくれる彼。今回の舞台では、「群れからはぐれ、自分と違う動物たちの群れに1匹だけ放り込まれた気分」(パンフレットより)という天音くんですが、いやいやどうして。綺麗な音を真っ直ぐ響かせるセリフ回し、繊細なお芝居にヤられました(笑)