昔むかし、若かりし頃のヲタクが胸ときめかせた名画たち。
記憶の中に棲むそんな名画たちも、今見返すと再び新たな魅力をもって蘇る。
今日ご紹介するのは、『さよならをもう一度』(アナトール・リトヴァク監督 1961年モノクロ)。日本では配信中止になっているようで(もはや契約が切れてしまったか⋯(T_T)、海外の映画配信サイトで鑑賞しました。
彼女に見つめられると男はみんなセクシーになると、『カサブランカ』で共演したハンフリー・ボガードに言わしめたハリウッドの美神イングリッド・バーグマン。
彼女は人気絶頂の頃、妻子のあるイタリアの映画監督ロベルト・ロッセリーニと恋に落ち、婚外子を出産します。ピューリタニズムが支配するアメリカの映画界はそれを許さず、彼女は仕事を干されてイタリアに渡ります。彼女がロッセリーニ監督と離別後、ハリウッド映画に復帰するのはじつに8年もの歳月を要しました。

この映画の時、バーグマンは46歳。ロッセリーニ監督と離婚して3年後のこと。分別のあるアメリカ女性として登場します。パリで装飾デザイナーとして自立している女性ポーラ(バーグマン)は離婚経験があり、同じ年頃のフランス人、ロジェ(イヴ・モンタン)とは、付かず離れずの「大人の関係」。そんな彼女の日常は、15才も年下のアメリカ青年・フィリップ(アンソニー・パーキンス)との出逢いによって大きく変わっていきます。ひたすら若い情熱をぶつけてくる年下の男性に戸惑いながらも、次第に惹かれていく女性の心理をバーグマンがきめ細やかに演じています。
ロジェは不倫の相手ですらもアマン(恋人)と呼ぶお国柄のフランス人ですから、ポーラというれっきとしたパートナーがいても、若い愛人をとっかえひっかえ^^; それに薄々気づいていながら、耐え忍ぶポーラは、フィリップの情熱に身を任せた後も、自分を責め続けます。
フランスにいてもアメリカ人はアメリカ人。パリのアメリカ人社会で、親子ほども年の違う2人の関係は、次第に好奇の目に晒されるようになります。2人はレストランで偶然会ったアメリカ人家族にあからさまに無視され、その出来事が、ポーラがフィリップの将来を思って別れを切り出すきっかけになるのですが----------。
アメリカ人家族の冷たい眼差しに耐えきれずレストランを出て行くポーラの姿に、石もて追われるようにアメリカを後にし、ヨーロッパへ渡ったバーグマンの姿が重なって、ヲタクは胸が締め付けられるようでしたよ。

半世紀前に見た時には、純粋すぎる愛を拒絶されてしまうフィリップが可哀想で可哀想で、ラストシーン、別れの場面に涙したものでしたが、今回はポーラの心情にめっちゃ感情移入しちゃったヲタク。若い頃観た時には、(何なの、この浮気なオジサン!)って怒ってたロジェに対しても(しょうがないなぁ⋯。まあでも、男ってこういうとこあるよね)って、ポーラ同様、どこか苦笑いして許しちゃう自分がいる。
年をとると、見方も感じ方も考える視点も、自ずと変わってくるものなのね⋯(笑)
しかし、撮影当時46歳のバーグマンは、若い頃と同じくらい魅力的でキレイすぎて、彼女をあきらめられないフィリップに「I’m old!(私はもうおばあちゃんなのよ!)」って何度も叫ぶシーンに、いまいち迫力がないのが玉にキズ。あれじゃあ、いくら15才の年の差って言ったって、あきらめ切れないよねぇ…(笑)
フィリップがポーラを「ブラームスがお好き?」と、コンサートに誘うことから二人の関係が始まるんですね。映画の中でも、ブラームスの交響曲第3番第3楽章の甘美で哀愁のあるメロディがアレンジされて繰り返し流れます。

映画の題名は『さよならをもう一度(Good bye,again)』ですが、フランスの作家フランソワーズ・サガンの原作は、フィリップの誘い文句と同じ『ブラームスはお好き?(Aimez-vous Brahms?)』。ヲタクは原作も読みましたが、主役3人がフランス人のためか、三者三様の恋の駆け引きが、エスプリの効いた筆致で描かれており、映画に見られるロマンティシズム、アメリカ的なピューリタニズムとはずいぶんと違った味わいになっています。
映画の中盤、ポーラがロジェに別れを告げて車に乗りこみ、走り出すシーン。雨が降ってきた…と思ってワイパーをかけたら自分が知らずのうちに流していた涙のせいだとわかって、思わず自嘲の笑いを漏らすシーンは必見。「心に残るモノクロ 映画のワンシーン」なんていうアンケートがあったら、1票を投じたい。

若さゆえの情熱も、分別ゆえの諦めも、どちらも等しく美しく、そしてどこか切ない。
だからこそこの物語は、時間を経てなお、私の中で生き続けるのだと思う。